見出し画像

連載小説:室町時代劇(4) 母子の再会


「座長、ご用事が終わったら家の修繕をちょっと見て下せえ」

一座の若いものが声をかけてきた。

私は文をしまうと、よいっと声をかけながら立ち上がった。

京丹波の正吉さんからの手紙が届いたのはその春の事だった。

座員達と住んでいる長屋がどうにも傷んできていた。長年大家さんに修理を頼んでいたものの、息子の代になっても修繕する気配も無かった。

もう長らく屋根が傷み雨漏りが続き、最近になっては壁に大きな穴まで開く始末。壁の大穴を二代目の大家さんに見せたところ、しぶしぶ建て替えに首を縦に振ってくれた。お金を出してはくれるが、後は自分たちでどうにかするようにという事だった。

その僅かばかりの銭で、自分たちで建て直そうと意気込んではいたものの、大工の棟梁からは「若い人手がせめてあと二人は欲しい」と言われてしまった。

困り果てて正吉さんに相談したところ、座員の若い衆を二人貸してくださることになった。大道具の扱いに慣れている人達で、木材の組み立てにも慣れていると言う。これは頼もしい衆がやってくる、とうちの一座は大喜びだった。

春の日差しが強いある日、その二人はやって来た。迎えにやった茂吉が連れてきた二人を、狭いながらも唯一屋根がしっかりしている部屋へと通した。ここは今座員達全員で過ごしている部屋だ。

戸口から若者たちが入ってくるのを見た途端、私は嬉しくてつい大声を出してしまった。

「まあまあ!遠い所よく来てくれましたね!どうぞ、狭いけど上がってくださいな」

若者たちは草履を脱ぎ、上がり框にあった盥の水で足を拭くと、板の間に上がってきた。
冷たい水を差しだしたり、狭い場所から何とか二人が座れる場所をひねり出したり、と座員達が動く中、私はやっと二人の顔をしっかりとらえることが出来た。

一人はしっかりした彫りの深い顔立ちで、髪が多く、がっしりとしつつも滑らかな動きを見せる男だった。この人が恐らく軽業をする人だろう。

もう一人をよく見た時、私は思わず声を上げそうになった。

この顔を知っている。

それもそのはずだ。この二十年以上忘れもしなかった顔。

伊周様だ。

古い私の思い人。

自分が駆け出しの芸人で、まだたった一人で四つ辻で舞っていた頃、ほんの僅かばかりの間深い仲にあった人。

その伊周様が亡くなってもう何十年にもなるが、その人に生き写しの若者が目の前に立っている。

細面な顔つきといい、涼やかすっとした大きな瞳といい、高い鼻と言い、華奢な手足が長い体格といい、左目が少し隠れる長さの前髪といい、すべてが伊周様の生き写しと言ってよかった。

他人の空似ではあろうが、こんなにも似ている人がいる。私はしばしあっけに取られて青年の顔を見つめた。

しかし、そんなことをしていたら座員達がいぶかしがるだろう。私は努めて平静を装った。

二人とは、正吉さんの所からうちの一座によく来る小雪や清の話に花を咲かせたところで、長屋の建て替えの作業が始まった。

聞けば、正吉さんの所の二人が梯子に登って梁をはる仕事をすると言う。

理由は解らないが、私は不思議なくらい不安になった。大道具を作るのに慣れているとはいえ、二人とも舞台に立つ身だ。一人は舞を、一人は軽業を得意としていると聞く。怪我でもさせてしまったら正吉さんに見せる顔が無い。長屋の骨組みを建てる仕事が始まり、その間一人で部屋で過ごしていても気もそぞろだった。

日差しが強くなり、南向きの部屋の中はだんだん蒸し暑くなってきた。私は涼しい外に出ると、仕事が進んでいる長屋の端の方へ行ってみた。

梯子の上の二人は、さすがに暑かったのか、二人とも着物をはだけて背中を出している。

その時、私の眼に若者の背中にある大きな痣が飛び込んできた。

右肩の大きな骨の上にある、鳥の翼の様な大きな青い痣。

生まれて数日も経たないままに行方知れずになった私の息子、藤丸と同じ痣だ。

もう二十年以上前に、正吉さんの一座でお世話になり始めた頃、伊周様と別れた後、たった一人でこの長屋のこの部屋で産んだ私の子。

産湯を使わせるたびに、赤子の背中の右側に大きく広がる青痣が目に入る。なぜこのような身体に産んでしまったかと不憫でならなかった。着物で隠れる場所なのが唯一安堵できることだった。

藤丸という名は、私が臨月の時に伊周様から送られてきた文から採ったものだ。
生まれた子が男なら藤丸、女だったら弥生と名付けると良い、と。

もう会わない、と決めていた人から思いもかけずに文が届き、子が生まれることを知っていたのには驚いた。子供の名前の事は私だけで決めるつもりではあった。それでも私の我が儘で別れてしまった思い人が、子供の事を気にかけてくれるのはやはり嬉しかった。

その日、夕餉を取りながら私は考えていた。

この子が藤丸かどうか、どうしても知りたい。

私は青年を自分の部屋へ呼ぶと、世間話を装って青年の小さい頃の話をしてもらった。

青年は保名という名前で、物心つく前から寺で育ったと言った。

しかし、その寺も六歳の時に飛び出てしまい、走るだけ走って、偶然にも正吉さんの住む京丹波へと辿り着いたと言う。寺の名前や場所などは分からず、自分でもどのようにして京丹波へ辿り着いたのかも分からないと言っていた。

青年の声は、伊周様の声に似ていた。少しかすれたような、それでいて太くて温かみのある声。

その伊周様にそっくりな風貌の青年が私の目の前にいる。

お別れした後、伊周様はお身体を悪くされ、藤丸が産まれて程なくして亡くなられたと聞いている。たとえ生きていらっしゃったとしても、藤丸と合うことも無かっただろう。

いつしか、私の心の中では、目の前の青年はもはや藤丸本人に違いないという気持ちでいっぱいになっていた。

伊周様とお別れした直後、私は藤丸を身籠っていることに気が付いた。

当時は正吉さんの一座に加えてもらい、一座で舞を舞わせていただけるようになり、旅の巡業にも連れて行ってもらえるお話を頂いたばかりだった。

私の父と母も芸人で、武蔵の国からはるばると「芸で国を取る」という思いで京の都までやってきた。曲毎々だった父と白拍子だった母に育てられた私は、両親とは少し違い、「国中を巡って芸で国を取りたい」と願っていた。そんな時に出来たのが藤丸だった。

子を降ろすことなどは考えなかった。一人で産んで育てればいい。親子二人で生きて行って、ゆくゆくは二人で芸を磨き、二人で一座を立ち上げて、国中を巡って芸を見せるなどという夢も膨らんだ。

しかし、その生まれた藤丸は、たった一週間で長屋の私の部屋から忽然と姿を消した。

私は半狂乱になった。正吉さんの巡業のお話もお断りをし、日がな京の街を歩いては、赤子の藤丸を何日も探して回った。長屋の人々も私を気遣ってくれて一緒に探してくれたり、当時長屋を見舞ってくれていた庵主様にも何度も心の内を打ち明けて相談に乗ってもらった。

それでも私の藤丸は見つからなかった。

その探していた子が今目の前にいる青年ではないかと思うと、私は思わず青年を抱きしめてたくなる衝動にかられた。しかし、この子が伊周様に生き写しだと言うこと以外、藤丸だと言う確証はない。

こんなに伊周様に似ている青年が私の傍にいたら、どうなるだろうか。古い昔を知っている人ならば、もしかしたら伊周様と私の関係を知っているかもしれない。そして私がその後、身籠って子供を産んだことも覚えているかもしれない。

今の家の座にいる久蔵は、若い頃に私と伊周様が親しくしていたことを知っている。
久蔵は口が堅いので、もし気が付いたとしても何も喋らないだろう。

しかし、伊周様の奥方様はまだご存命だ。

町なかで伊周様の事を覚えている人がいるとすれば、奥方様の周辺の人だろう。伊周様の事を覚えている人達の間では、この子の事が噂になるかもしれない。噂が広まれば、そして奥方様が噂通りに癇癪を起すような人であれば、藤丸に危害を及ぼすかもしれない。

自分勝手に悪い方に考えていると承知していても、私は伊周様の奥方様の存在が気になって仕方が無かった。

この子を長くここに引き留めておくべきか、早く帰すべきか。私は迷った。

この子の命を守らなければ。舞を見せるのであれば、どこかで人目につくこともあろう。

私の近くにいれば、私と伊周様の関係を知っている輩に見つかるかもしれない。

青年は頬をほんのり赤くしながら、笑顔のままこちらを見ている。

この笑顔をどうとらえていいのか、私には分からなかった。

話が終わって青年が皆の待つ部屋へ帰っていくと、私は時間をかけて思案した。

この子を私の傍に置くべきではない。

藤丸であったのなら、猶更傍に置くべきではない。もう二十年以上前の話であれ、人の口に戸は建てられないものだ。噂は広がるに違いない。

翌朝、私は久蔵を呼ぶと、保名を家に帰すように言った。舞手に万が一怪我をさせては正吉さんに顔向けができない。人手は足りなくなるかもしれないが、もう一人の徳二には残ってもらい、後の仕事を手伝ってもらう。

久蔵は何も言わず、保名に話すことを引き受けてくれた。

翌日、保名は一人で京丹波に帰っていった。私はあえて家から遠くへ行き、別れの挨拶をしなかった。変に関係を深くして私と頻繁に会うようになっては、昔の事を知っている誰に見られるか分かったものではない。

私は京の街中を歩いた。

いつもと変わらない京の街。甲州の方では、織田様の軍勢と武田様の軍勢が戦っており、劣勢だった武田様方が窮地に追い込まれている、と人の噂で広まっていた。

その甲州での戦いが嘘の事に感じられる程、今日の都は春うららの陽気が続いており、行きかう人々は汗をぬぐいながら、時々竹の筒から水を飲んでは、渇きを潤している。

そんな中、私の眼はある親子に吸い寄せられた。

母親と、三歳くらいの男の子の二人連れだ。子供は目いっぱい腕を上に上げて母親の手をつかみ、母親は子供の方へ身をかがめながら手を差し出していた。

どうという事のない家族の歩き姿だった。しかし、このような親子を見ると、つい藤丸と重ね合わせてしまう。今はもう大きくなって子供もでき、どこかで幸せに暮らしているのではないかと。

しかし藤丸がいなくなってから、数年間、私は京の街を歩くたびに、藤丸と同じ年の頃の子供に目が吸い寄せられていた。

母親や父親、祖父母に大切そうに横に抱かれている小さな赤子。

首が座り、大人に縦に抱かれ、安心しきったかのように肩の上でぐっすり眠る子供。

ようやく腰が据わったのか、縁側で腰を掛けている子供。

四つ這いがようよう出来るようになったのか、庭先をはいずる子供。

立って歩けるようになったのか、親の手の先を握りしめながら、おぼつかない足でよちよちと歩く子供。

すべて、藤丸の面影と重なった。

今私の手元にいれば、私は藤丸を抱っこして歩いていたんだな、一緒に歩いていたんだな。そんな考えがわいては消え、さらに沸いては消えた。

今でも、よその子供に藤丸が大きくなった面影を移している自分がいる。町中で青年を見つければ、自分の子供もこのくらいに大きくなっていたのではないかと。

しかし、昨日私の目の前に現れた子は、その子の父親にあまりに似すぎていた。

他人の空似の可能性があることは重々承知しているが、私の中では、すでに保名は藤丸と同じ青年になってしまっている。

けれども本当の事は誰にも分からない。

赤ん坊だった藤丸を連れ去った人以外には。

私はもう一度目の前にいた親子連れを見た。
相変わらず子供は目いっぱい腕を高く上げ、親は腕を目いっぱい下げ、手をしっかりつないでいる。

そんな光景を目にするたびに、私も藤丸とこんな風に手を繋いであるくことがあったのかな、という心持になる。

二十年以上前に時を戻すことなど出来るはずもない。
それに、これ以上思い出して、今更何になるんだろう。

藤丸を連れ去った人も、もしかしてもうこの世にいないかもしれない。

私はそう考えるよう頭を巡らせると、踵を返して家路に着いた。


続く


連載が「室町芸人シリーズ」としてAnazonから書籍になりました。
全世界のAmazon Kindle Unlimitedで無料ダウンロードが可能です。
ペーパーバックもご用意しております。

ご興味のあるかたは是非下記リンクから立読みをしていってください。

サンプル記事は下記のマガジンでお読みいただけます。



この記事が参加している募集

眠れない夜に

歴史小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?