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短編小説 : 最後の出会い

珍しく晴天の日だった。この季節はいつもどんよりとして重苦しい雲が立ち込める日が多いのだが、今日はいつもと違う。私は久しぶりの日差しに目を細めて店のシャッターを開けた。


街の中心街に店を持って早十五年。自然食品とスピリチュアル系の書籍を扱う店として細々とやってきた。最近のビオ野菜の流行なども手伝って、近年店は順調だった。

そして、私の店が何とか続いているもう一つの理由が、仲間のおかげだった。

仲間とは、通称メイソンと呼ばれる人たちだ。古い言葉で言えば魔法使い。魔法使いと言っても特に奇抜な服装をしたり世捨て人の様に過ごしているわけではない。いたって普通の服装をし、いたって普通の仕事をして働いている。

彼らはサイキック能力を持つ集団で、その力を使ってボランティア活動をしている。透視ができる者は犯罪捜査や失くし物探しに協力し、過去生が未来が読める者はカウンセラーとして人々の相談にのる。そうした能力は一見して分かる物ではない。

しかしサイキック能力を持つもの同士、相手のオーラが見えればその力は一目瞭然だ。地下鉄や路肩でくっきりとしたサイキックのオーラの持ち主がいれば、あいさつ代わりにメイソンの仲間かどうか握手をして確かめることもある。相手が合図を返してくれば、同じメイソンの仲間だとわかる。

そして私はメイソンとは従姉関係にある、ウィッカという魔女の流派にいた。


ウィッカはメイソンとはまた違う流派なのだが、サイキック能力を持つ身としては、ウィッカもメイソンもお互い協力して仲間を保護し、お互いを支えあう。また街中で仲間になれそうな人間がいれば誘うことも度々あった。サイキックな能力は世の中のために役立てること。そのためには若いメイソンやウィッカを育てて、知識や経験を伝承させていかなければならない。それはウィッカもメイソンも共通の認識としていた。

ウィッカやメイソンの素質を持った若い人たちは、サイキック能力が開花するときに時として自分自身の力に驚愕することがある。そのショックをできるだけ和らげ、才能をスムーズに開花させて世の中のために尽くせるようにするよう、メイソン達は特殊なオーラの持ち主を街で見かければ合図を送って仲間になるよう促している。一旦仲間になれば、サイキック能力の伸ばし方や、社会での役立て方を伝授することができる。

メイソンは通常はボランティア団体として活動している。そして各々のメンバーは各人のサイキック能力を活かして、実世界では医師や看護師、カウンセラー、書物の執筆、書籍の販売、セミナー運営をするなどして生計を立てていた。

彼らには独特の階級制度があり、大きくボアズ、ヤキン、親方の階級に分かれる。知識と経験度によってはっきりした区別がなされている。これは彼らの伝統でもあり、サイキック能力の強さを識別するためでもあった。そして上の階級は下の階級の者へと蓄えた知識を分け与えるという仕組みになっている。


その日、メイソンの中のヤキンの階級のメイソン仲間が店に連れてきたのは、一人の少女だった。おそらく十代半ばといったところだろうか。少し異国風の顔立ちをしていた。ティーンエイジャーによくありがちな仏頂面をしたその子は、そのメイソンリーが以前から私に相談をしていた子だった。

「親方から、一人ここに連れてきていいか頼まれている子がいるんだ。悪いが、また一人世話をしてやってくれないか。

その子はボアズの連中の何人かが街で見かけてロッジに報告したんだが、濃い群青色の大きなオーラをしていた。俺も実際に見たよ。ボアズのやつらが握手で合図をしたら、堂々と握手で合図をし返してきたらしい。俺もその子を見つけた時に握手をしてみたら、ヤキンの位の握手で返してきた。

群青色のオーラだけではなく、ペンタゴンの大きなペンダントをつけているのも目立つ理由の一つらしいな。親方がその子を見つけた時、目立ちすぎるから注意をしたようだ。それ以来ペンダントは外したらしい。

とにかくうちのロッジに入るように仲間が促してみたものの、本人はどうやら自分の力が分かっていないらしくて、首を縦に振らないようなんだ。もしかしたら、ロッジが何なのかも分かっていないかもしれない。

まだ若いから、今のうちに将来必要になる知識はつけさせてやりたいんだよね。ああいう子がいずれは後続のメイソンやウィッカの力になるわけだし・・・女の子だから、君の様なウィッカの方が扱いにも慣れているんじゃないかな。メイソンに加入しなければ、そのまま魔女として育ててやってもいいんじゃないかと思う」

メイソン達にはロッジという仲間の集う場所が街にあり、お互い情報交換が出来る。しかしウィッカが集える場所はそうそう無い。ウィッカの仲間たちは、自然あふれる田舎暮らしをしている人達がほとんどで、街で若いウィッカが知識や経験を積むのが困難なのは私自身が良く知っていた。


この大きな街に生まれた私は、幼いころから、私には物の周りには美しい色の光が発せられていることが当たり前のように見えていた。

しかしそれが見えることが普通ではないと知ってから、私は他人から奇妙な目で見られないよう、見えないふりをすることを学んだ。けれどもエンパシーや予知、霊視など、年を追うごとにサイキックな力は増すばかりで、自分自身に何が起きているか分からなかった時期もあった。

このサイキック能力は一体何なのか。それを突き詰めるために、私は学校を卒業した後、地方に移り住み、パートタイムの仕事をしながら、その村にあったウィッカの集会に参加するようになった。

集会はまさに私が望んでいたものだった。周りのウィッカ達は、私と同様にサイキック能力の持ち主ばかりで、皆悩んだ末にこの集会に集まってきていた。集会では、何人ものウィッカの先輩たちが代わるがわるウィッカの哲学や歴史、力の伸ばし方、実生活での活かし方などを教えてくれた。

ウィッカとは自然を大切にする哲学を持っており、自然の中で自分の力をうまく伸ばしていくための方法を知っていた、心的・肉体的なストレスの緩和の方法や、ハーブやスパイスなどを利用した健康法。人の悩みにこたえるためのサイキック能力の活かし方と伸ばし方。そしてサイキック能力を実生活で生きていくための手段につなげて方法など、学んだことは数えきれない。また、書籍なども豊富にあり、今まで見たことも聞いたこともない知識を身に着けることができた。

私にはオーラを見わける力があったが、集会でハーブ学と栄養学を学んだことで、ウィッカとして生活していく基盤となる方法を見つけることができた。それは、自分の店を持ち、食品や書籍を販売する店を持つことだった。果物や野菜などからは独特のオーラが出ており、しっかりしたオーラが出ている物は食べた人に活力を与え、体を健康にさせる。自分の見えている物で人の役に立てるのであれば、その力を試してみたくなった。

集会で知り合った友人たちは、そのまま村に残るか、近隣で生活することを選んだ。皆自然豊かな環境で生活することを望んだ。しかし、生まれも育ちも大きな街だった私は、なぜか都会が恋しくてならなかった。せっかくできた友人達と離れ離れになるのは寂しかったが、ほどなくして私は自分が生まれた街に戻った。


店を始めてからは、しっかりとしたオーラの強い、栄養満点のハーブや野菜を自分の目で見て仕入れ、またウィッカの哲学や方法論を知識としていつでも学べるよう、書籍も扱い始めた。幼い頃の自分に読ませたかった本。そんなものを仕入れて店に並べていった。

開業時はちょうどヒッピー文化が華やかな時代で、自然の力に興味がある人々が増え、店は繁盛した。

しかし、時代には波がある。人が自然の力に興味を示すときと、そうでない時では、客の数にも影響が出た。

私は人々が自然に興味を示さなくなった時でも、淡々と自分の店を続けた。自分で扱っている野菜やハーブには、人を健康にする力がある。そしてその力がわかる人は必ずいる。そう信じていたからだ。


そんな折、近所のロッジの親方から、この店を将来有望そうな若い子供たちが学べる場所としてもらえないかと相談を受けた。

街には時々サイキック能力が開花寸前の若い子供たちが沢山いる。その子たちが道を誤らないよう、知識をつけられる場所として紹介させてもらえないか、という相談だった。

私は二つ返事で相談を受け入れた。仲間が増えれば、価値観を共有できる人がまた増える。ウィッカの哲学に救われた私は、若い人たちにもウィッカの知識を学んでほしいと思っていた。それがこの都会で実現できるとは思ってもいなかった。

サイキック能力が世間一般で認知されるようになるにはまだほど遠い。

言い方ひとつで精神病の扱いをされるケースもあるだろう。病院で薬漬けにされる若いサイキックもいれば、自分の能力に恐れをなして、力を封印する子もいる。精神のバランスを崩して本当に病院の助けが必要になる子もいる。

これもサイキック能力を当たり前のこととして受け入れられる大人が身近にいないケースによるものだ。


そして今私の目の前にいる子は、紛れもなくサイキックになるであろうというオーラをまとっていた。恐らく第三の目が開いていてもおかしくない、そのような雰囲気だった。

私はウィッカの候補生が来たときにやる、いつものちょっとした儀式を始めた。

私はその日のために何種類かの野菜を箱に取り分けておいた。少し日が経ってオーラが弱くなったものもあれば、サイズや形が悪くとも濃くて力強いオーラを発している野菜もある。これを見極められれば、まずウィッカの第一関門は突破、というわけだ。



私は目の前の少女に箱を差し出した。「一番いいものはどれか、選んでみて」

その子は、しばらく箱の中を見て、ズッキーニを選んだ。一番オーラが大きくて強いものではなかったが、決して間違いではなかった。小さくとも濃くて強いオーラのあった野菜だ。私は嬉しくなり、笑顔でその子に言った。

「うん、これなら大丈夫ね。あなたはここにいつ来ても良いわよ」

少女はすこしいぶかし気な顔をしていたが、「本当にいつ来ても良いの?」と返してきた。

「ええ、お店がやっている時間で、あなたが昼間にやるべきことをやっている時間以外であれば。学校や宿題はさぼっちゃダメよ。」

少女は分かってるよ、と言いたげな苦笑いを浮かべた。


その日、少女は連れられてきたヤキンと一緒にフランキンセスを選んで買って帰っていった。母親が風邪で喉を傷めているという。

次の週末から、少女は店を繰り返し訪れるようになった。ハーブの知識が少しあるようで、私に様々なハーブの効能を次から次へと訊ねていった。知識欲が旺盛なようで、私は彼女の質問にどんどん答えていった。少女は時々カモミールやミントのお茶を買っていくこともあった。また店にある書籍にも興味を示すなど、とてつもないスピードで私の店に慣れていった。


私は彼女を好きなようにさせていた。盗癖があるようでもないし、何より彼女の守護霊がこの店に導いていたのは明白だった。私の店にも何人かの霊がいる。何人かの霊は、少女の背後霊と事前に連絡を取っているようだった。

背後霊と店の霊の連絡が良いせいだろうか。何しろ少女が店に入って来ると、まるで店に何年も前から通い詰めた客かの様に、買いたいものや見たかったものの棚の前にまっすぐ行くのだ。そのまま本を読んだり、ハーブをじっくり吟味したりしている。自分が店でやるべきことが判っている、と言った感じだった。私は時々少女に語り掛け、書籍やハーブ、飲み物などについて色々語り合った。

地方の集会に出ているときの様に系統立てて話ができるわけではないが、少女が少しでも知識をつけ、ハーブを利用して実体験を摘んでくれればと願わんばかりだった。


ある日、少女は店にいる霊と会話を始めた。店の左奥にいつもいる霊なのだが、この少女にある書籍を読むよう勧めているようだ。まるで人がそこにいるかの様に、大っぴらに霊と会話する少女を見て、私は苦笑を隠せなかった。しかし、他のお客が来た時には驚かれる可能性がある。私は少女に少し静かにするよう言った。店で大声を出すのもマナー違反であるとも。少女は納得したようだった。

その次に来た時、少女は店の奥の古い書籍の棚から離れなくなった。上の方の棚にある書籍に興味があるようで、梯子で上まで登り、静かに何冊か吟味をしている。あまりに長い事静かにしているので、気になった私は本棚の方へ行ってみた。


少女は空中にいた。

空中浮遊。別名、レビテーション。

古い時代に霊が人間にコンタクトを積極的に取り始め、死後の世界について語り始めた頃に、自分の存在を周囲に伝えるために使われていた古い技。

このレビテーションは、霊媒を使って霊が自分はここにいると周囲に知らせる古い合図の一つだ。霊媒がいなければこの現象は起こらない。つまり、この少女は霊媒の素質があり、その力が発現したことになる。

久しぶりに見たレビテーションに、私は一瞬気を取られた。今の時代でもこのような古い現象が起こるとは思ってもみなかった。

しかしここで自分が驚いてはならないと自分を律した。私が驚けば、少女も驚くだろう。私が驚いたことで、下手をすればこの少女がレビテーションを受け付けなくなる可能性もある。


できるだけ普通に。私は落ち着いて少女に話しかけた。


「いつまで読んでるの?その本、買うの?」

「あ、ごめんなさい。面白くってつい読んじゃった。」

「早く降りてきたら?」

「そうしたいんだけど・・・。すみません、梯子を取っていただけますか?」


梯子を取る?空中にいる間は自分で動けないんだろうか?

私はしぶしぶと梯子を取り、少女の浮かんでいるところへ持って行ってやった。

「ありがとうございます」

そう言うと、少女は、悠々と梯子を下りてきた。

「なにか面白い本はあった?」

「正直、この棚にある本を買い占めたいくらいです。でも、バーチがこっちの本が良いって言ってて、迷ってるんです。」

バーチとは、私の店の左奥にいる霊の事だ。この霊は自分の霊言集を人に勧めるのに熱心で、これぞという霊媒がいると、本を読むように促すことがある。私の店ではバーチの霊言集を平積みにして目立つところに置いている。

「で、どっちを買うの?」私は少女に尋ねた。できるだけ、普通の店の店主としてふるまわなければ。この子の今言っている事にも、できるだけ気を取られないようにしないと。

「バーチの言ってる本を・・・あ、でも今日はお金がないから、次回来た時で言いですか?」

少女は尋ねた。

「別にいいけど、その時にはもう売り切れになっちゃってるかもよ?」私は言った。

「それじゃ・・・」一瞬、少女がその本を取り置きにしてほしいと尋ねるかと思ったのだが、答えは違った。

「また来ます」そう言うと、少女は速足で店を出ていった。


その後、数週間たっても少女が店を訪れることはなかった。メイソンのヤキンの階級の仲間が立ち寄ってくれた時に、私は少女の事を訊ねてみた。

「それが、メイソンリーの仲間でも、最近あの子をすっかり見かけなくなった、というんだよな。少し異国風の顔をしていたから、もしかするとそっちで使命ができたのかもしれない。まあ、あんたがずいぶんと自由にさせてやっていたようだし、ここの店に来るようになってから、あの子のオーラも大分群青色に紫色が混じるようになってきたようだし、成長したんじゃないかな。」

他の場所で使命ができた。私がかつて地方でウィッカの技術や哲学を学んで、そのあとこの街に戻ってきたように、あの子も別の場所に呼ばれたのだろうか。せっかく知識が増えてきて私との会話も弾むようになってきた所だったので、私は残念でならなかった。せめて最後の挨拶くらいあってもよかったのでは、と思ったが、それは私の我が儘なのかもしれない。


その後もウィッカの予備軍の子供たちが何人も店を訪れた。おずおずと店に入ってくる子もいれば、こういう店を探していた、と言わんばかりに飛び込んでくる子もいた。私は彼らと接し、様々な質問に答え、私の持てる知識や経験を彼らと分かち合った。

しかし、あの少女の様な形でサイキックの能力が開いたケースにはまだお目にかかっていない。予知能力やエンパスなど、もっと穏やかな形で能力が開花していく子供たちがほとんどだった。


あの日見たような物質現象は、その後もお目にはかかっていない。古い書籍を開けば、当時の科学者達まで巻き込んで調査が進められたその現象。絵や写真などでも記録があり、その現象が起きたことは確かなのだが、何分調査が行われてから時間が経っているのと、一般的に誰もが良く見る現象ではないので、一般に認知されている現象とはとてもいいがたい。

また、近年の霊言などを見ていると、人間が洗練されていくと、物質を介した現象には遭遇しなくなっていくという。霊媒という体質の人間も、時が経てばその役目も変わっていくということなのだろう。


もしかして、あのような形で霊が自己主張を私に見せるのはあれが最後になるのかもしれない。


時代は変わっていく。バーチの霊言集の後にも、沢山の霊が地上の人間とコンタクトを取り、それが書籍になっていく。

近年は宇宙からもこの地上にコンタクトをとり、様々な情報を伝えている霊団もある。そして新しい時代には新しい能力を持ったウィッカが必要とされるだろう。メイソンもしかりだ。私たちも時代に合わせて情報に触れていかなければいけないだろう。近頃はインターネットなどで豊富な知識を得ることができる。私の仕事も徐々に変化していくかもしれないだろう。

しかし、あの日見た空中浮遊という物質現象は、なぜか今でも私の心にとどまり続けている。物質現象という古風な現象。まるで古い時代が終わりを告げるのを見たような気がした。


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