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連載小説:室町時代劇:仮面の笑顔

「花,稽古は進んでいるのかい」

渡り廊下でぐったりしていたあたしに吉丸兄さんが尋ねた。

「ぜんぜん。小雪姐さんにとっくりと絞られてる」

「まあ、小雪も真剣になると癇癪を起しやすくなるからな。それだけお前さんに真剣に向かっている証拠だよ。きっちり稽古しときな」

「でもこのままじゃお披露目にまにあうかどうか・・・」

「まあ、そんなに心配するなって。そろそろ昼餉だ。外の井戸で顔でも洗っておいで」

あたしは疲れ切った体を引きずって外の井戸へ行った。一年を通じて冷たい水が顔にかかると身も心もシャキッとする。

あたしがこの家に来てから何年が経つだろう。たしか松太郎が絹姐さんと幸兄さんの所に来た年の事だから、もう五年も前になるだろうか。

あたしは奉公先を飛び出して、逃げて逃げてこの京丹波までやって来た。

奉公先は大きな商家だったが,使用人に対する折檻が当たり前だった。ほんの少し水をこぼしたり、ほんの少しでも炊いた米におこげが出来ると竹の棒でいやというほど殴られた。

眠る場所は家畜小屋で、馬や牛でぎゅうぎゅう詰めの小屋の中になけなしの藁を敷いて寝る毎日。冬は暖かくてまだましだったが、夏場には強烈な悪臭が漂い、蚤もひどく、一睡もできない日が続くこともあった。

あたしたちがあんまりに臭いので家の中には上げてもらえず、日がな一日外で洗濯や皿洗い、畑仕事に水汲みと当時五歳だったあたしにはきつい仕事が待っていた。

寒くなって家畜小屋での匂いが薄れてくると、ようやく家の土間に入れてもらえた。そこでは台所仕事も手伝ったが、無駄を徹底的に嫌う雇い主は何かをこぼすのを極端に嫌がった。井戸から組んできた水が手桶から跳ねて土間に数滴落ちただけでも竹の棒の仕置きが待っていた。背中にはみみずばれが常にあり、失敗した日の夕餉はお預けだった。

商家の家族は白米に具沢山の味噌汁、貴重な魚の干し物や副菜の野菜を食べているのに、あたしたちには薄い稗がゆしかもらえなかった。

そんなきつい環境でいても、不満げな顔をするのは一切許されなかった。

「笑うんだよ。ここに居れて、屋根のある所で眠れて食事もとれて幸せだろう?いつも笑顔を絶やすんじゃない。お客様が来た時に暗い顔をしていたらそれこそお仕置きだからね」

奉公先の奥様の口癖だった。

あたしはどんな時でも笑顔を作った。どんなに横柄な客が来ても、どんなに雇い主や奥様が意地悪をしても、笑顔を作った。雇い主のお仕置きは酷い。自分を守るためにも最高の笑顔を作った。

ある日、釜を土間に落としたあたしはいつも以上の折檻を受け、背中だけではなく頭から腕、胴や腹や足を滅多打ちにされた。二日間意識を失い、ようやく動けるようになった時、あたしの中で何かが切れた。

もうここにはいられない。その日の夜、他の使用人が寝ている所をしっかり確認したあたしは、傷む足を無理やり動かし、家畜小屋からそっと出た。びっこを引きながら夜の闇の中を走って走って、人の居るところまでやって来た。朝日が射してきて、それが町だったのを見て心底安心した。人ごみに紛れてしまえば追手にも見つかりにくくなるはず。

二日間何も食べていなかった。あたしは建物の壁に背を当てて座り込むと、膝を抱えて寝込んでしまった。

そこを揺り起こしてくれたのが今お世話になっている一座のおやじさんだ。
何処から来たのか、どうしてこんなところに座ってるんだ。色々聞かれたが、あたしには喋る気力も残っていなかった。するとおやじさんは「ここで待ってるんだよ」と言い、しばらく姿を消すと、白くて大きな丸いものが刺さっている串を持ってきた。

「餅だよ。おあがんなさい」

私は食べた。醤油の焦げた匂いが食欲を刺激する。大きな餅だったが、あたしは夢中でかぶりついた。二つとも平らげるのに時間はかからなかった。

その後おやじさんの家に連れて行ってもらい、奉公先が探しているかどうか調べられることになった。おやじさんは何度も奉行衆の所に行って調べが進んでいるか確認していたが、あたしは心の中で「ここにおいてください」と何度も神仏に祈った。

ひと月経って奉公人を探している商家も見当たらず、あたしはこの一座に置いてもらえることになった。何の芸も出来なくて始めのうちは姐さんや兄さん達をてこずらせたが、そのうち唄と舞は何とか人前で見せることが出来るようになってきた。

あれが五年前。今では四つ辻で舞を舞わせてもらったり、清姐さん仕込みの今様を謡うこともある。お稽古して初めて分かったのだが、あたしは声が大きかった。今までいた商家では奉公人はしゃべることを許されておらず、自分がどんな声をしているかも忘れそうな日々が続いていた。

「畑仕事や重いものを沢山運んでいたんだろうね。足腰がしっかりしていて腹から声が出ているよ。このまま唄いを続けなさい」と唄の姐さんが言ってくれた。

舞の姐さんも、「足腰がしっかりしているのは舞にはとてもいいんだよ。あんたは低い姿勢で舞う事が出来る。この調子で頑張んなさい」と仰ってくれた。

ただ、どうしても抜けなかったのが、張り付いたような笑顔だった。緊張すればするほどひきつったような笑顔になってしまう。笑顔でなければ折檻が待っていたから。

ふと気が付くと吉丸兄さんも井戸から水を汲んで一口飲んだ。

「あー冷たい!これで瓜でも冷やせばいう事は無いんだがな。おい花、今度四つ辻で芸見せをやったら、大き目の瓜を一つ買ってきてくれないか」

「そこまでの上りがあれば良いですけどね」

あたしは舌をだした。

そこへ、遠くから大きな声がした

「おーい、吉丸よ!」

振り向くとお年を召した男の人が路地を歩いてくる。吉丸兄さんは破顔一笑で駆けよっていった。

「久蔵さん!ご無沙汰しております!」

「やあ、久しいな。皆息災かい?」

「もちろんです。おやじを除いては・・・」

「正吉さんもなあ、お疲れが出たんだろう。京では皆どんな様子か気になっていてな」

「このところは起き上がれるようにはなっています」

「そうかい、それは何よりで」

「こんなところでの立ち話はなんです、さあおあがりください。おやじも首を長くしてお待ちしていた所ですよ。花、ひとっ走り行って、おやじに久蔵さんが来たと知らせてくれないか」

「あいよ、兄さん」

久蔵さんは、京にいるおやじさんと懇意にしている芸人一座の人と聞いている。小雪姐さんや清姐さんが小さい時からお世話になっている一座の人だ。

あたしたちは久蔵さんを家に招き入れ、おやじさんの部屋に連れて行った。

「正吉さん!ご無沙汰しております。お加減はいかがで」

「おお、久蔵さんよ、遠くはるばるよく来てくれたなあ。京の皆はどうだい、その後は」

「へえ、こちらの若い方々の手助けもあって長屋の立て直しが早く終わってね。今じゃ皆新しい部屋で心地よく暮らしておりますんで」

「しかしあの長屋もついに建て直しかあ・・・多恵がうちの一座に出入りするようになった頃に住んでいた場所じゃないかね。久蔵さんも確か一間借りていらっしゃったかね」

「その通りでさ。正吉さんの一座の方々も、もともとはあの長屋の出身の人も多かった。多恵さんが一座を立ち上げてからというものの、あそこがわしらの家に定まったという訳で」

「そうだなあ。小雪や清が新しい長屋を見たら、さぞかし喜ぶだろうな。古くなっても直さずに使っている所を二人とも心配していたもんで。冬場には風邪でもひいたら大変だと」

「そんな風に思っていてくれたとはねえ・・・そういえば小雪がまた新しい舞を作ったと聞きましてね。気もそぞろで馳せ参じたわけでございまして」

「そうなんだよ。わしもこの間少し見せてもらえたが、今回の舞は久蔵さんが知っている小雪の舞とは一味違うよ。あの子があんなに丹力の強い舞を見せるとはわしでも思わなかった」

「そりゃあ楽しみだ。あの子と言えば花鳥風月しか頭にないと思い込んでいたんですが。それ以外のものに手を出すとは、よほど何か心境が変わったのかと思いましてね」

「いや、あれはあの子の中から産まれだしたもの。どこにあんな力が宿っていたのか、わしにも想像がつかん。

おい、吉丸よ。小雪たちを呼んでやってくれないか。あの子たちも久蔵さんに会うのを楽しみにしていたからな」

「承知したよ、おやじ。今呼んでくる」

家にやって来た久蔵さんは、すぐに俺たちの中に溶け込んだ。

小雪姐さんと清姐さんは、まるで自分の父親が帰って来たかのような喜びようで、囲炉裏の間に久蔵さんを通すと、水や干し柿まで取り出してきて熱心にもてなし始めた。

「久蔵さんに会うのも何年振りかね。前回うちらが京にお邪魔した時は久蔵さんは旅回りに出ていらっしゃったものね」

「あの時は残念だったと、ずっと言ってたんですよ。いつもなら、あたしたち二人も久蔵さんからお稽古をつけてもらうのを楽しみにしているのに、あの時ばかりはお会いできなくって」

「おいおい、二人にこれ以上つける稽古なんてあるもんかね。それに小雪、新作の舞を作ったと聞いたよ。今日はわしにも見せてもらえるかね。ぜひ一目見たくて飛んできたわけさ」

そう言われた小雪姐さんは、少し目を伏せるようにして何かを思案しているように見えた。

「久蔵さんになら少しだけ・・・うちの座以外の人にはまだ見せたくは無かったんだけど、久蔵さんなら、悪い所もちゃんと見ていただけると思う」

悪い事?あの舞の何が悪いんだろうか。

「小雪、あの舞の何が悪いんだい?俺には分からんのだが」

吉丸兄さんが驚いたように言った。

「吉丸はあの舞を見すぎてるんよ。私に足らない所はいくらでもある。それに言っとくけどね。五頭龍の舞は他の誰かにやってもらうよ。私は天女の舞なら出てもいいと言ってるじゃないの」

「また堂々巡りか。久蔵さん、一度見てやっていただけますかね。小雪も承知しているなら、誰か外からの眼で見て、率直に見たものを言ってやって欲しい」

「あい分かったよ。ここはひとつ、見物人の心持で見せていただこうかね」

「小雪、衣装はほとんど出来てるんだけど、どうする?着るかい?せっかく久蔵さんが来たんだから、ここは出来上がりに近いものをお見せしたほうがいいんでないのかい?」

清姐さんが熱心に勧めた。五頭龍の衣装はほぼ完成しており、頭に被る龍の被り物と面も彫り終えているそうだ。着物も小雪でも保名でも、どちらが着てもいい様に腰のあたりで調節できるように手を加えているそうだ。

「そうね・・・そうしようかね」

珍しく小雪姐さんが応じた。普段なら激怒して自分は五頭龍はやらないと言い張るのだが、今日の姐さんは何か違う。

夕方、福吉や梅、松太郎を連れて四つ辻での見世物を終えた徳二兄さんたちが帰って来た頃、小雪姐さんの五頭龍の舞を見せる用意が整った。

ここであたしと福吉はやっと久蔵さんに紹介してもらえた。久蔵さんはすぐに言った。

「この子たちは舞手なんで?」

「そうです。軽業もやりますが、今回「江の島縁起」以外にも別の舞も考えていて、どちらに出すかまだ思案中なんですよ」

「そうか。じゃあ二人ともおいで。おじさんと一緒にじっくり見ようじゃないか」

薄暗くなってきた庭のお白州に薪を二つ灯す。楽の幸兄さんと、鼓の龍兄さんも庭の右隅に場所をとった。

猿楽から影響を受けて、この舞は向かって左側の奥から、中央へと舞手が進んでくる。白の小袖と白の袴をつけた小雪姐さんは、庭に立っただけで、見ているこちらを圧倒する存在感を醸し出していた。姐さんの方から流れてくる空気に圧力がある。

笛の音をきっかけに、小雪姐さんが動き出した。

小雪は低い姿勢を取りながら、重々しい足取りでお白州の中央までゆっくりと歩いてくる。歩き方自体が、普段の小雪の軽やかですべるような動きとは格段の違いがある。

お白州の中央まで来た小雪姐さんは、正面を向くと、下を向いていた目をキッと正面の縁側に座っていた俺たちに向けた。

そこからが小雪姐さんの代骨頂だった。

金色の扇子を右手にした小雪は、勢いよく振りかぶり、前に大股で三歩、力強く踏みしめながら歩いた。表情は今や普段のおっとりとした姐さんではなかった。あるのは、憤怒にかられた男の顔。怒りをどこにもっていけばいいのやら判ることもなく、ただただ己の外に向けて爆発させているのだ。

動きがだんだん早くなり、右側に低い体勢で大きく一歩足を出しては、金色の扇子を閉じて怒りと苦痛にゆがんだ顔で扇を振り下げる。

小柄で華奢な小雪姐さんのどこにこのような力があるのか、普段一緒にいるあたし達でさえも、見ていてつい引き込まれる。

続いて両膝を横に深く折り、扇を何か大切なものを抱えるように抱きしめると、それを苦痛にゆがんだ顔をしながら、天高く差し出していく。その動きを前向き、横向き、後ろむきと向きを変えながら一回転していく。

正面に戻って来た姐さんは、閉じた扇を両手で目いっぱい高く差し上げつつ立ち上がり、左脚をこれでもかという程高く上げた。上げた足の甲が姐さんの耳に殆どくっ付いている。

これが終わると、ゆっくりと膝を折りながら脚を地面に降ろしていく。同じ動きを、今度は左脚でも行った。空中を苦しみ暴れながら進む龍。そんな事を想像させるような動きだ。

その後、姐さんは膝を折って立膝になり、扇子を開きながらゆっくりと上体を後ろに倒してゆき、今度は先ほどの倍はあるたおやかな動きで扇子を天に差し上げながら上体を起こしていく。波の様に寄せては返すその動きは、水の神である龍神の滑らかな動きと悲しみを象徴しているようだ。

その動きを見せた後、背中をしならせながら地面を這いつくばり、最後には肘を地面につけて上体を起こし、畳んだ扇で天を指し、そこからゆっくりと地面に伏せていった。この次に始まるのが天女の舞だ。

ここまで見た久蔵さんは、唸った。

素に戻った姐さんは、久蔵さんの所へ駆けよって言った。

「これが新作の五頭龍です。龍の怒りを思い浮かべていたら、こういう動きになったの。どうです?皆が良い舞だと言うけれど、久蔵さんはどう思う?」

「どう思うって・・・またこりゃ凄いのを作り出したな。お前さんは元来花があるけれども、この舞で見せる花は今まで見てきた舞の百倍はありそうだな。身体も柔らかくて飛びきる良く動いている。身体を柔らかくする稽古をやっていたのかね?」

「はい。いつ軽業に戻るとも分からなかったので、身体を伸ばすことだけは毎日続けていました」

「そうか。それでなきゃあんなに足を高く上げることは無理だろうな。あの動きはどこから考えついたんだい?」

「四つ辻で見た曲毎々の動きと、昔見た志那の芸人がやっていた動きです。両方とも足を高く掲げて、つま先が頭の後ろまで行くぐらいうんと高く上げている人達がいました。それをこの舞に組み込めないかと思って入れてみました」

「なるほど。それじゃ、今小雪が演じた龍は神なのかい、それとも雄の龍なのかい?」それを言われて、小雪はぱっと下を向いた。

「まだ自分でも分かっていません。雄の龍だとみる人に伝わらなければ、舞の筋書きが壊れる。次に出て来るのが弁財天で、この龍は弁財天を見て恋に落ちなければならない。だから神という事はあまり考えていませんでした」

「そこだけなんだよ、気になったのは。途中までは龍神が下界の人間に怒るのか、それとも自分の孤独を嘆くのか。その怒りでだんだん雄の龍になっていく、という流れでも悪くはないかと思うのだけれどね。弁財天も神だろう?単なる雄の龍ではなく、弁財天と同等の神々しい存在で、神々の世界を少しでも見せれば、見る者を納得させられるのではないかな。今のままだと雄の動物と人間の娘の恋になりかねない」

それを聞いて、あたしは思案した。姐さんの圧倒的な舞の力に魅了されてはいたものの、普段見慣れた姐さんがいつもと違う舞を作ったと言うことだけで、誰もかれもが客観的に見ることを忘れてしまっていたようだ。

久蔵さんの隣で舞を見ていた福吉は、毎度のことながら呆けた様な顔をしていた。この人は五頭龍の舞を見るといつもあっけに取られてしまう。あたしも福吉もこの舞を稽古していて、いつ誰が舞っても良いようにしていたが、なかなか姐さんの様な舞が出来ずにいた。

吉丸兄さんが久蔵さんに尋ねた。

「久蔵さん、この二人の舞も見てやってくれませんかね。二人とも稽古はしているんですが、なかなか腑に落ちるものが出来ないようで」

「おお、良いとも。今日は沢山の舞手がみられるとは幸運だな」

「じゃあ、まずは・・・花、福吉、いつもの稽古着に着替えておいで」

あたしと福吉は促されて、庭の奥の座員の寝所に行って着替えた。

「二人とも舞の型は入っているんですがね。それ以上なかなか進まないと言うか・・・」

「まあ、まずは見せてもらおうじゃないか。これで弁財天の舞も見られたらいう事はないがな」そう言って久蔵さんは楽しそうにカッカと笑った。

色が白く抜け始めた古い稽古着の袴と小袖を付けて外に出る。まずはあたしの番だ。

姐さんと同じく庭の下手に陣取り、幸兄さんの笛をきっかけに動き始めた。あたしの悪い癖が出ている。どのような役を舞っても、どのような場面であっても、いつも張り付けたような満面の笑顔をして舞を舞ってしまうことだ。小雪姐さんに見られていると思うと緊張する。昔雇い主の前に居た時の様に顔がどうしてもひきつって笑顔になってしまう。

寂しさに耐えられなくなった龍の面影はないだろうな。無理もないだろう。目の前にいるのは、型通りに動きを決めていく、ひきつったような笑顔を浮かべたあたしそのものなのだから。

身体が柔らかいので、姐さんと同じくらいに足を高く上げられるが、そこに足を上げる意味が見いだせなかった。小雪姐さんが舞うと、龍が苦しみから逃れようとのたうち回る姿が見えるが、あたしはいつも「ここで足を上げることになっているから上げる」という考えが透けて見えてしまう。これはいつも注意されているけど、どこをどうしたらいいのかが分からない。

あたしが舞い終えると、次は福吉の番だ。

福吉は福吉で怒りの表現はできている物の、怒りだけで最初から最後まで突っ走ってしまう。雄の龍が舞うと言うよりも、怒り狂う男が踊っているとしか見えない。このままでは弁財天が出てこられるのか心配になるほどに単調な怒りの動きが延々と繰り返される。福吉も軽業を得意としているので、足を高く上げるなどは造作もない。しかし、それもただ上げているだけだ。足を上げる意味が付いて来ていなかった。

あたしたち二人の舞を見ていた久蔵さんは、優しく二人を迎えると、口を開いた。

「お前さん達はこの舞をもうどのくらい稽古してるのかね?」

「ひと月です」

「小雪姐さんが五頭龍の舞を作ったのが先月で、そこから俺達にも舞の振り写しをしてくれました」

「そうか。確かに型はしっかり入っているね。お前さん達に必要なのは、龍神とはどんなものなのかを知ることかもしれないな。舞っている間、どんな龍を思い浮かべている?」

「どんなって・・・清姐さんが作った衣装にある、頭に被る五頭龍です。これを見せればお客には伝わるのではないかと」あたしは言った。

「俺はまだ五頭龍がどんな生き物なのか分かりません。多分、見たことが無いからかもしれませんが」

「そうか、そうか・・・確かにこの京丹波にような山奥では、龍を見ることは難しいかもしれんな。おい、吉丸よ。この近くに水場はないかね?」

いきなりの質問に俺は面食らった。

「川なら由良川がありますよ。小さい所では、神社の境内や林の入り口に湧き水があります」「それだけあれば充分かな。おい吉丸よ、明日この花と福吉をつれて龍を探しに行こうと思うんだが、いける面々は一緒に出掛けないかね」

「龍探しって・・・そんなことが出来るんで?」「龍神は水の神様よ。まずは水の動きを理解して、そこから神様や弁天に移っていけばいい」

何か途方もない事が始まる。明日は一旦全体何が起きるんだろうか。

稗と粟の粥、それに茄子と茗荷の漬物。それに味噌汁の夕餉が済むと、俺たちは明日を楽しみに寝床に入った。しばらくぶりに大勢で出かける。あたしは久蔵さんが何をするのか、好奇心を隠せず、その晩はなかなか寝付けなかった。

(続く)

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