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「憑依思念(後編)」・・・怖い人の話。男のプロポーズに返された言葉は。


『憑依思念(後編)』


人間の脳は、理解しがたい出来事に遭うと、
その全能力を駆使してそれを分析しようとする。

そのため脳は、『表情を変える』『言葉を発する』といった
日常的な指令さえも出すことが出来なくなってしまう。


「鈴音さん以外には考えられません。僕と結婚して下さい」

港に面した公園で、市川雄太は勇気を振り絞って求愛の言葉を発した。
だが、それに対する森野鈴音の返事は、想定外の混乱を彼にもたらした。

「雄太さん。ありがとう。私・・・私には、
あなたより
ふさわしい人がきっといると思うわ」

「え?」


その、ほんの数秒だけ見せる、糸の切れた凧のような男の表情が、
鈴音は大好きだった。

『これこれ、この瞬間を待っていたのよ。
だけど、まだ笑顔を見せてはいけない。ネタバレはまだ早い』

鈴音はうつむき加減に顔を逸らし、
雄太が『寒いでしょう』と掛けてくれた上着を肩から降ろした。

「ごめんなさい。幸せになって下さい」

『不幸のどん底に叩き込んだ張本人が相手の幸せを願うなんて
これほど残酷なセリフはないわよね』これは中学時代同級生から鈴音が教わった言葉だ。

残酷すぎる言葉は、大けがを負った瞬間と同じように、痛みは遅れてくる。今まさに幸福の絶頂から突き落とされたことを、
雄太はあと数秒は理解できないだろう。

その混乱の間隙を縫って上着を返す。
ほんの僅か届かないように距離を取って差し出すのが肝心だ。
何度やっても緊張する瞬間だが、鈴音は今回も難なくやってのけた。

雄太の上着は折からの風に吹かれて、その手をすり抜け傍らに飛んでいく。

おそらく、一張羅とまではいかずとも
クローゼットの中で最も高級な、もしくはお気に入りの勝負上着だろう。

雄太は、反射的に上着を追った。
女がそこに居ると思うから、98%の男は自分の持ち物を確保しようとする。当然だ。

だが、それが決定的なミスであることを、この後すぐ思い知らされるのだ。

手すりを乗り越える寸前で上着を捕まえたところで
雄太は、足早に去っていく鈴音に気が付いた。

「鈴音さん」

女はすでに、地下鉄の入り口を下りようとしているが、
ギリギリ、男の足で追いつけない距離ではない。

雄太は、二人の心の距離を縮めるつもりで走った。
地上から続く階段を降りたところで、発車のメロディが聞こえた。

通路の先、自動改札を駆け抜けたところに鈴音の姿が見える。
今からエスカレーターでホームに下りても、列車には間に合わない。
『大丈夫だ。ホームで捕まえて話を聞くことが出来る』・・・雄太が勝利を意識し始めた時、鈴音は心で秒読みをしていた。

『7、6、5・・・』

雄太の姿を確認した鈴音は、改札に背を向け、上りと下り二台並んだエスカレーターの間にある、銀色の斜面にお尻から飛び乗った。

スカートを押さえながら、やや体を寝かせて滑り降りる女性の姿に
上りエスカレーターで上って来る乗客たちは目を丸くした。

鈴音は、一気にホームまで滑り降りると、停車中の列車のドアに駆け込む。

『・・・2、1、ゼロ!』

数え終わった鈴音の後ろでドアが閉まった。

走り出した列車の窓から、ようやくホームに降りてきた雄太の呆然とする姿が見える。何かを叫んでいるようだが、走り出した列車の走行音に紛れて全く聞こえない。でも言っていることは想像がつく。

「鈴音さ~ん」

と名前を呼んだか、もしくは、

「僕のどこが悪かったんだ~。悪いところは直すから~」

と反省の弁を叫んでいるに違いない。


ブブブッ。

バッグが小さく震え、鈴音は中からスマホを取り出した。

雄太からのメールだった。

「相変わらず、慌てん坊のマザコンさんね」

メールの文面には怒りが溢れていた。

『ママ。鈴音の奴!俺様のプロポーズを断りやがった~。信じらんない。
ママの言った通りクソ女だった~。チクショー。
帰ったらママ。いい子いい子してね。チュウチュウも、ギュッギュもね』

すぐに送り先を間違えた事に気づいたらしく、時間を空けず言い訳メールが入ってきた。

「御免なさい。鈴音さん。このメールは間違いだよ。僕は決して君の事を・・・」

そこまで読んで鈴音は、メールアプリを閉じた。
続いて雄太の電話番号とメールを着信拒否に設定した。

鈴音は自分の左手を右手で握りしめた。

「雄太君。お家に帰ったら、きっとお母さんと一緒に私の採点をするんだろうね。そして今までの女性と同じように厳しい得点になるんだろうね。
でもこれに懲りたら変われるかしら。無理かしら・・・」

そこまで呟いたところで、鈴音のつぶらな瞳から、大粒の涙がこぼれ出した。

「あら。また誰か問題児が、近くにいるのね」

流れる涙をぬぐいもせず、鈴音は車内をゆっくりと歩いて行った。
そして一番端の席まで行くと、沈み込むようにシートに腰を下ろした。

肩を震わせ、声を立てず、涙は流れるに任せる。
経験上、こうしているのが、一番手っ取り早いことを鈴音は知っていた。

ほどなくして、若い男がすぐ隣に座り声を掛けてきた。

「大丈夫ですか?」

慣れている口ぶりだ。

「ありがとうございます。私、今ちょっと変ですよね。おかしいですよね・・・」

鈴音は男の膝に、そっと右手を乗せた。ここが見極めのポイントだ。

周りを気にして手をどかすか、手も動かさず何もしないか。
ハンカチくらいは出して来るかもしれない。
だが、男は自分の手で、鈴音の手を上から包むように握りしめた。

『ああ。残念だ。この人も、何と罪深いのだろう。
今あなたは、ただ不幸な女が悲しみに体を震わせていると思っているのね。
これは簡単におとせそうだとも』

鈴音は男に握られている右手に意識を集中させた。
男の手から、女たちの憑依思念が伝わってくる。
今まで男が弄んできた女たちの悲しみや苦しみが、鈴音の体を震わせるのだ。

『美也子さんは、あなたに渡すお金をつくるために、会社のお金に手を付けたのね。早苗さんはあなたを信じて夫も子供も捨てたのに、離婚した途端捨てたのね。高校時代には、新人の女教師に道を誤らせて失職させてるし。
風俗で働くことになった有子さん。何度も手首を切った美亜さん・・・
簡単には収まらないわね。この女たちの恨みは・・・』

鈴音は手を握っている男の優しそうな顔を見つめて思った。

『こんな風に同情を装って近寄って来る奴が、実は一番危険なのよね』

男は何も知らず、にっこりと優しそうに笑いかけてくる。
その顔が苦痛にゆがみ泣き叫ぶ姿が鈴音の頭に浮かんだ。

『私を恨まないでね。私が悪いんじゃない。
あなたに泣かされた女の子の怨念が、私を動かすのよ』

地下鉄が長い闇の中を走っていった。

                おわり

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ちょっと普段とは違う、ダークなファンタジー。登場人物が皆ちょっと嫌な奴。この人たちはどこに救いを求めるのだろうか。



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