「怪談」・・・泉鏡花の体験した話。
『感応』
明治から昭和にかけて活躍し、近代における幻想文学の先駆者として有名な泉鏡花。
その鏡花本人の回りにも、実際に不可思議な出来事があったという。
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私(鏡花)がまだ金沢に住んでいた時の話である。
父が仕事で東京に出かける用事があり不在にしていた。
黄昏が街を包むころ、
四つになる妹が縁側で遊んでいるのを母が見止め、ランプに火を灯しながら
「足元があやしくなってきたから上がりなさい」
と珍しく張った声で諭した。
妹は、急に不安になったのか、
母にすがりつこうと体を捻ったのであろう、その拍子に縁側から滑り落ち、
踏み石に頭をぶつけて額を少し切ってしまったのである。
母は「きゃあ」と悲鳴とも叫びともつかぬ声を上げ、
慌てて妹を抱き上げた。
私も急ぎ駆け寄ったが大事あるほどの傷とも思えなかったが、
泣き叫ぶ妹と動揺する母をなだめる言葉も見つからず、
たたウロウロと見つめるだけであった。
幸い私の見立て通り、妹の傷は浅く翌日の朝には再び元気に走り回った。
本題の不思議というものは、それから三日ほど経ったときの事である。
いや本来の不可思議は三日前、妹が転んだ当日に起こっていたのだが。
その日東京にいる父から手紙があった。
したためられていたことの概略を語ると
父は上野のとある宿坊に一間借りていたのであるが、
夕刻に宿坊の障子越しに縁側から、母の叫ぶ声を聞いたという。
それで変わりはないかと心配になったというのだが
その日時こそ、妹が転んで皆が慌てた日時であった。
おばけずき「感応」より 一部脚色。
さて、
虫の知らせというモノは、いにしえの伝承にも登場するほど
人に知られたものではあるが現代でも時折耳にする。
普段からそのような「感応」があると、いつしか慣れてしまい、本気に取り合わなくなってしまう。
普段は無く、これ!と言う時にあればこそ、その「感応」を信じるようになるのではないか、と思い至った。
それにより、多大なる異能の有無について思い悩む必要もない、と安寧の日々を過ごすのである。
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