グリム童話を読む配信。『三枚の羽根』❽
ドイツ語の復習のため、グリム童話を原文で読み配信する試みをしています。まずは『三枚の羽根』のお話を8回に分けて読んできました。今回はその最終回です。
王位を継ぐための三つ目の条件、それは美しい娘を見つけ出すこと。またも地下の太ったヒキガエルの全面的協力を得て、父である王様に命じられた通りの娘を連れ帰った末っ子のとんまです。前回読んだ内容については、ひとつ前の記事にて。
それでは8回目の配信で読んだ部分を引用します。その下の日本語は拙訳です。
◇ グリム兄弟の童話集|Die drei Federn(8/8)
我らが主人公、末っ子とんまは幸せをつかんだようですね。安心しました!笑
さて、この物語を訳してきて、印象に残ったこと、疑問に思ったことを書いてきましたが、その答え合わせ?として、こちらの書籍を参考にしたいと思います。
この本の最終章に『三枚の羽根』が取り上げられています。理由は「グリム童話によく生じる典型的な主題を多くもつ物語」だからとか(つまり、まとめ的な)。
それでは、物語のうすのろな主人公、三枚の羽根、地下の世界、ヒキガエルの意味とはいったい何でしょう。また三兄弟は、父親から探してくるよう言われたものが3つありました。それぞれの象徴として、次のようなことが考えられるそうです。
まずは、主人公であるうすのろな(三兄弟の)末っ子。「自己に至る道の入り口に立つ者」の現れ。河合氏曰く、「愚かな者、無為の人は自己への最短距離にいる」のだとか。
三枚の羽根。風に吹かれて、あちこちへと飛んでいくことから、「自我の及ばない作用」ととらえることができ、そこから「偶然性」。
地下の世界。心における「無意識」の領域。非日常。
(太った)ヒキガエル。「無意識的な衝動で意識化されるはっきりとした傾向を備えたもの」。無意識の領域における補償作用。「アニマ」(男性の中の女性的傾向ないし女性像)。
1つめの絨毯。遊牧民にとって大地の連続性の意味があり、そこから「母性」。
2つめの指輪。形状からくる円環性により「自己」の象徴。「統合」と「束縛」。
3つめの(未婚の)娘。「アニマ」(同上)。
上の内容を確認したうえで、続いて、これまでの記事を振り返ろうと思います。
まず、↑3回目の配信↑の記事で、ヒキガエル(die Kröte|女性名詞)とカエル(der Frosch|男性名詞)の名詞の性の違いに興味をもち、それについて書きました。上述の本によると、神話の世界では、ヒキガエルは女性的要素、カエルは男性的要素として扱われるとのこと。であるならば、それがそれぞれの名詞の性の根拠になっていて、ゆえに違っているのかもしれないと思いました。
↑4回目の配信↑の記事では、地下に居すわるヒキガエル(die Kröte|女性名詞)の意味するところはもしかして「埋蔵金」??と書きましたが、河合氏によると、ヒキガエルは「無意識の領域における補償作用」を象徴しているとのこと。内側の見えないところに蓄えられた有用な何か、という意味では、見当違いではなかったかな?と思ったりして……。
そして、↑5回目の配信↑の記事では、王である父親と王位を継ごうとする息子たちについて書きましたが、物語の骨格となる彼らの関係性は、上述の本によると、人間の成長する過程の現れと言えるようです。
自分を成長させようとするとき、人は自我(意識)を確立させようとします。けれど自我を強固にするだけでは不十分で、無意識という、つかみどころのない領域を掘り起こさなければならない、というのが、上述の本の『三枚の羽根』の章で語られていることです。つまり、意識(自我)と無意識は「生命の両面」であると。その相互作用で鍛えられたものが自己であり、壊れることのない全体である、というのです。
このようにして自己(個人)がつくられるわけですが、ただそのプロセスにあるのは、おのれを個性化(一般化できないものに)することであって、自己実現を成就することではない。ある域に到達したと感じても、それは人生におけるひとコマに過ぎないのだと、河合氏は釘を刺します。
なるほど。しかし耳が痛い。このあたりで荷を下ろして楽したいと思いがちですが、休憩はあっても解放はないということですかね。命を終えるまでは……。苦笑
◇ ◇ ◇
ということで、『三枚の羽根』はこのへんで終わりにします。次はディズニー映画『眠れる森の美女』でお馴染みの『いばら姫』を読む予定です。
*参考*
アプリ版『独和大辞典 第2版』(小学館)
池田香代子訳『完訳クラシック グリム童話』(講談社)
◆ stand.fm グリム童話を読んでみるラジオ
◆ Instagram QULICO|寓天堂 guten.doo
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