ツジムラナオカズ

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最近の記事

ぎゅっ

「もっかい、よんで」 絵本を読み終えると、2歳の息子は待ち構えていた。もう6回目。僕は再び表紙をめくる。熊の子どもがスパゲティを食べる話。慣れないフォークに苦労する場面で、ふとよみがえってきた。30年前、10歳の誕生日の記憶が——。 「フランス料理を食べてみたい」 当時の僕の家では、誕生日には何でも好きなものを食べられた。回転すしや宅配ピザが定番だったけれど、テレビで知った一品ずつ味わうフランス料理を体験したくなったのだ。でも母さんは、ちょっぴり困った顔をした。 誕生日の

    • 完璧よりいい

      ドンッ! 急ブレーキでつんのめる。「またか・・・」と前を見る。割り込んできた車に、運転手がプーッとクラクションを鳴らした。 妻の希望でベトナム・ハノイへ旅行。移動に利用したのは配車サービスだ。スマホから目的地を指定すれば、近くにいる車が迎えに来る。決まった乗車賃をWEBで決済すれば、言葉の通じない運転手と会話する必要がない。安心で便利そうだと、妻に薦められた。 しかし、道路には車やバイクが溢れる。少しでも隙間があれば割込み、対向車線だって平気で走る。歩行者も信号や歩道に関係

      • 心に灯る

        「スリー、ツー、ワン!」 掛け声とともに次々に夜空に放たれる。オレンジ色の明かりの群れが、風に乗り高く遠く。もう見渡す限りに漂う明かりの川を見守りながら、人々は願いを込める。 タイのチェンマイには、陰暦12月の満月の夜に、豊作を祝ったりブッダへの感謝を届けたりする仏教のお祭りがある。”コムローイ“と呼ばれるオレンジ色の明かりを灯したランタンを何万個も空に飛ばすのだ。 その美しさに観光客の人気が高まり、規模は小さいが年越しにも飛ばせるらしい。「行ってみよう」と妻に誘われるが、

        • 不気味なエネルギー

          連結された綱が切断されると、巨艦はゆっくりと動き始めた。傾斜した台の上を加速しながら滑り、海面に突っ込んで凄まじい水しぶきを上げる。 「バンザイ、バンザイ」 千名の作業員が両手を挙げて唱和する。叫ぶような声はやがて激しい嗚咽に変わった。 昭和一三年、日本海軍は戦艦『武蔵』を起工した。長さ二六三メートル、排水量七一,一〇〇トン。常識破りの大きさに造船所長の顔は青ざめた。「ともかく、やるしかない」。裏手の山を切り崩し、海底をさらい施設を拡張。艦体が滑走する台には、鋼鉄を打ち込ん

          好きだとまた会える

            わたし あなたの さいごの恋人だったの   ただ あんまりにも短い恋だったから   わたし もういちど あなたに あいにきたの 人魂のような丸いシルエットのいけちゃんは、他人からは見えないふしぎな存在。いつも「ぼく」に寄り添い、慰めたり、叱ったり、夜のトイレについてきたりしてくれる。母親みたいだけれど、「好き」と言われて喜んだり、女の子の友達に嫉妬したり、恋人のような一面もある。 いけちゃんと仲良しだった「ぼく」は、やがて一人でいろんなことが大丈夫になる。いじめら

          好きだとまた会える

          空っぽになるまで

          土壁は剥がれ、床板はきしむ。戦前からありそうな一戸建ての父さんの実家。小学生の頃は、その座敷でちゃぶ台を囲みトランプをするのがお決まりだった。 父さんも母さんもおじいちゃんも叔母さんも、笑い声を上げてカードを取り合った。ところがおばあちゃんは、自分の番にも気づかないし勝っても少しも喜ばない。くすんだ色のカーディガンにぼさぼさの白髪を一つに束ね、いつもどこか宙を眺めていた。 「これー、おいしーわー」 みんなで食事をしていると、おばあちゃんが口を開いた。間延びして抑揚のない

          空っぽになるまで

          ずっしり

          父は買い物魔だ。60代の夫婦2人暮らしなのに毎日のようにスーパーへ行き、板チョコ20枚、メープルシロップ5本、手巻き寿司の海苔10パック・・・と大量の食料品を買い込む。それらはキッチンを埋め尽くし、父の部屋にも収まり切らない。5リットル入りの焼酎が10本、廊下に並んでいたこともある。 とりわけ業務用スーパーが気に入りで、往復10キロを自転車で通う。若い頃マラソンを得意としていたから足腰は強い。とはいえ。大学時代から連れ添う母はぼやく。「あんなに買ってどうするねんな」。 父

          ずっと大切

          「いつ結婚するん?」 30歳を過ぎた頃、母からよくそう訊かれた。将来のことなんてまだ考える気になれず、まぁそのうち、と曖昧な返事を繰り返していたら、あるとき母が寂しそうにつぶやいた。「私ももう60歳、元気なうちに孫の記憶に残りたいなぁ」。 親戚の法事に、いとこが1歳になる子を連れてきていた。抱かせて、と母はいとこにねだると、その子を腕の中であやし始めた。かわいいでちゅね〜。元気でちゅか? 独身や子なしも生き方の一つだ。でも、母の嬉しそうな表情を見ていると、少し後ろめたく感じ

          もっと好きになる

          30歳になる頃、人生で初めて高級革靴を買った。英国を代表するブランド”クロケット&ジョーンズ”。黒革の鈍く光る様子や、しなやかな履き心地に魅了された。 さすがは高級品。10年履き続けても色艶はまったく衰えない。しかしついに、甲の履きジワがひび割れてしまった。これで最後かもしれない。覚悟を決めて修理品を受け取りにいく。 お店に着くと、50歳ほどの男性職人が、伏し目がちにボソボソ言いながら渡してくれた。すぐに確認・・・やっぱり割れたまま。 「もう寿命ですよね?」。諦めをつける

          もっと好きになる

          無邪気な心

          年末年始は沖縄で過ごすことにした。那覇空港近くで車を借り、恩納村へ向かう。数分後、長くて急な坂道の途中で信号に捕まった。 左手に見える駐車場で、中学生くらいの少年が自転車を漕いでいる。グルグルと円を描きながら何周も何周も。 何かの遊びかな? やがて信号が青になると、勢いよく歩道へ飛び出した。グングンと、あっという間に30メート先へ。なるほど。坂道を少しでも楽に登る工夫だったのか。その無邪気さに微笑ましくなる。 たが車を発進させると、少年との距離はすぐに縮まった。せっかくスター

          エネルギッシュにいこう

          年末のその日は雪予報だった。用事を済ませるため、ダウンに身を包み家を出る。ビュッと冷たい風が頬を打つ。私は足を早めた。 途中、格安ステーキ店の前で開店を待つ客がいた。まだ30分もあるのに、よほど肉好きなのだろう。 下を向いて歩き過ぎる。いきなり、肌色のものが目に飛び込んできた。えっ? 思わず振り返る。草履ばきのほぼ裸足。この寒いのになんと元気なことか。 それは、短く刈った白髪混じりの中年男性だった。真っ赤なナイロンジャケット姿で、テレビ電話だろうか、スマートフォンの画面に大声

          エネルギッシュにいこう

          次は、いつ行こうか

          アメリカ発祥の、超・大容量で安いスーパー。コストコのことをそう知人から教わったとき、ブクブクに太った欧米人家族がショッピングカートを満杯にしているシーンが思い浮かんだ。きっと、食いしん坊でケチな人たちに人気なのだろう。必要なときに必要なだけ買う我が家には縁がなさそうだ。 ところが今年、妻からお願いされた。「生後4カ月になる息子のオムツを買いたいから、コストコに行きたい」と。たしかに、大量に使うものだし、お金を気にせず交換してあげたい。そこで、車を借りて大阪市内から1時間半かけ

          次は、いつ行こうか