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心に灯る


「スリー、ツー、ワン!」
掛け声とともに次々に夜空に放たれる。オレンジ色の明かりの群れが、風に乗り高く遠く。もう見渡す限りに漂う明かりの川を見守りながら、人々は願いを込める。

タイのチェンマイには、陰暦12月の満月の夜に、豊作を祝ったりブッダへの感謝を届けたりする仏教のお祭りがある。”コムローイ“と呼ばれるオレンジ色の明かりを灯したランタンを何万個も空に飛ばすのだ。
その美しさに観光客の人気が高まり、規模は小さいが年越しにも飛ばせるらしい。「行ってみよう」と妻に誘われるが、気が乗らない。「年越しイベントなんてミーハーだし、人混みに疲れる。それに、知らない人と過ごして楽しい?」。でも結局、2人でチェンマイへ向かった。タイは好きだし、ぼくは妻思いなのだ。

レンガ造りの城壁や城門がライトアップされた、幅100メートル奥行き50メートルほどの広場。そこには何百もの外国人たちが酒を飲んだり写真を撮ったり。地面には2020の形にキャンドルが並べられているらしいが、よく見えない。
コムローイを20個近く片方の肩に積み上げたりした売り子があちこちにいる。一つ約300円。竹ひごの輪についている紙袋を広げると、上半身がすっぽり入るくらいの筒になった。輪の中心に針金で留められた燃料に火をつけると、熱気球のしくみで飛ぶらしい。
「熱いから気をつけて」
いきなり、隣にいた外国人の女性からキャンドルを渡される。飛ばし終えて、友人たちとはしゃいでいる様子だ。
キャンドルホルダーは丸い陶器製で、たしかに火傷しそうなくらい熱い。早く着火したい。けれど、焦って紙筒を燃やしたくない。そーっと竹ひごを胸の位置まで上げ、下からのぞき込む。燃料が見えた。キャンドルを近づける。と、コムローイがクンっと傾く。何度も失敗する。
だが、妻はカメラを構えて手伝おうとしない。「撮影はいいから!」と言いかけた瞬間、なぜかピタッと安定した。ヨーロッパ系の青年が竹ひごを反対側で持ってくれていたのだ。しかも持参のライターで着火まで。
紙筒内の空気が温まり、上昇しようとする力を感じる。飛んでくれ。ゆっくり手を放す。ふわっと右や左に傾きながらも空高く上っていく。「フーッ!」と、もてはやす甲高い声。周りが手を叩いてくれる。少し照れくさい。青年の恋人らしき女性は、妻のカメラで僕たちを撮影してくれた。
会場の隅では60代くらいの日本人夫婦がコムローイを飛ばす。でも紙筒内の空気が温まりきっていないのか、ふらふらと。あっ、落ちる…そのとき、いっせいに手が伸び押し上げようとする。想いが通じたのか、うまく上昇していった。「イェーイ!」。向こうでも4、5人が円になって抱き合っている。知らない人のことなのに、こんなに喜ばしい気持ちになれるなんて。ここに居るみんなが幸せになれるといいな。ぼくの心も温かく灯っていた。

ホテルに帰ったのは深夜2時前。くたくたの身体をベットに横たえる。部屋は静かで心地よいけれど、さっきまでの喧騒がもう恋しくなってきた。隣で眠る妻につぶやく。「他のイベントにも行ってみようか」。

#行った国行ってみたい国

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