見出し画像

強迫症発症のメカニズム(お祈りから強迫症へ) 闘病記【3】

中学校時代

前回の投稿で小学校時代のことを書きました。今回から強迫症になった中学校時代のことを書いてみたいと思います。やっと強迫症の話です。中学校に入ると学級委員はやらないようになりました。前回も書いたように小学校を卒業するあたりから周りの目を気にするようになってきたのでした。

また自分が優等生だということに対しても否定的に捉えるようになってきました。その当時はヤンキーの方がモテていたので、自分もちょっと悪く見られたかったのです。自分がこうしたいということよりも、人からどう思われるかということに関心が向いていったのだと思います。

小学校時代から野球少年でしたので、もちろん中学校では野球部に入りました。ところがその野球部というのが大きな問題を抱えていたのです。一言で言うと不良の巣窟だったのです。暴力事件や万引きなど、いつも野球部の先輩は問題を起こしていました。そして部内で激しいいじめがありました。殴る蹴るはもちろんのこと、裸にされたり靴をなめさせられたりしていました。

そしていじめられている人はお金を巻き上げられる、いわゆる「カツアゲ」にあっていました。私はいつ自分がいじめの対象になるかが心配になりました。体が小さかったこともありいじめやその暴力にひどく怯えるようになったのです。小学校時代に振るわれた暴力を思い出していたのかもしれません。
しかしその一方で楽観視している自分もいました。それは不良のボスが小学校の時から私をかわいがってくれていたからです。私はボスに目をかけられているので、他の先輩からもいじめられることはないだろうと高をくくっていたのです。

お祈り

さて小学校時代に始めた神様へのお祈りは継続していました。神様だけではなく祖母が買ってきた水晶にもお祈りするようになりました。その時は特定の友達とうまく付き合っていけるようにと祈っていました。相変わらず友達付き合いが苦手で、友達との関係は自分の思い通りにならない理不尽なものに感じていました。
そして運が悪いことには、水晶にお祈りをすると友達とうまくやれたのでした。私はうれしくなりました。水晶にお願いすれば友達とうまくやれると単純に思いました。そして「お祈りをすればうまくいく」という思考の構図が出来上がったのです。

ここまで読んで、「そんなことは子供じみた縁起担ぎで病気とは関係ない。」と思われるかもしれません。確かにこれにとどまっていれば縁起担ぎで済むと思います。しかし、私にとっては自分の思い通りにならない理不尽なことをお祈りで解消しようとするというシステムは、強迫症が生まれてくるベースになったと考えています。
そして縁起担ぎはとどまることなく展開し出すのです。例えば靴下をはく順番や教科書を入れる順番、ものの位置を一定に保つことに腐心するようになってきたのです。なんとなく自分にぴったりくる手順や置き方があり、いつもの通りでないと不安になって来るのでした。こだわりが異常に強くなり、その通りでないと不安になるのでした。この頃から自分は少しおかしいのではないかと思い始めました。

事件勃発

さてそんな中学一年のある日、事件は起きたのでした。私が帰宅しようと学校の玄関に向かっているときでした。野球部の先輩がいたので挨拶をしました。すると先輩の一人が「ジャンプしろ」と言ったのでした。そして言う通りにジャンプしました。お金を持っていなかったので音はしませんでした。それを確かめて先輩は何も言わずに去って行きました。なんともない場面に思われるかもしれません。でも私にはその後震えがきました。明らかに動揺したのです。「ジャンプしろ」というのはお金を持っていないかをチェックする意図でした。その時初めていわゆる「カツアゲ」にあったのです。

それは偶発的な出来事でした。今お金は持ってないからなんともないというだけで終わる話でした。しかし私は動揺し狼狽しました。それは自分が「カツアゲ」の対象になるということが判明したからです。先に触れましたように、不良のボス的な先輩と仲がいいからそういったことの対象にはならないと思っていたのです。そしてその狼狽はそれだけにとどまりません。そこから思考が展開していきます。自分が「カツアゲ」に遭うということは、いじめの対象にもなると考えたのです。最も私が恐れる、理不尽の極みであるいじめ、それに伴う暴力が目の前に現れたのです。そして「いじめられるのではいか?」という不安が現実感を伴って迫ってきたのです。

お祈りから強迫症へ

そんなことがあり、自分の力ではどうにもできない不安が大きな力を持ってくるようになりました。お祈りの頻度が多くなりました。そしてお祈りとともに決まった回数触れるようになっていきました。お祈りだけではなく儀式をするようになったのです。
以前からお祈りしていた水晶や神様に対して「いじめに遭いませんように」というお祈りと決まった回数触るという儀式を行うようになっていました。
そしてお祈りと儀式は私の意に反して変形していきます。
「願いを叶えてください」というお祈りではなく、「~すれば、いじめられない」と思考するようになったのでした。お祈りと儀式が何かを願うのではなくいじめられないようにするための必須のものへと意味を変えたのです。

例えば、水晶を2回触ってお祈りすればいじめられないというようなものでした。2回触るのは「いじめられるのではないか?」という不安を打ち消すための儀式でした。2回触るという儀式をすると、気持ちは落ち着き、これで大丈夫だと思うことができました。

しかしそれだけではすみません。祈りと儀式が不安を打ち消す行為へと転換した頃、「いじめられるのではないか?」というイメージが度々起こるようになってきました。この時点で、最初の「いじめに遭いませんように」というお祈りは、「いじめられるのではないか?」という強迫観念と、それを打ち消す儀式(強迫行為)へとすり替わっていたのです。

強迫症の展開

強迫症はそれだけでは治まりません。しばらくすると私の中に「神様」のようなものが現れたのです。「~すれば、いじめられない」という考えが「声」のように聞こえるようになってきたのです。意識せずに、半ば自動的に自分の声が聞こえるように感じたのです。
「神様」が現れたとか「声」が聞こえるというと統合失調症を疑われるかもしれませんがそうではないのです。明らかに自分のやっていることは馬鹿げたことだと分かっているのです。「声」に従って強迫行為をすることは縁起担ぎに過ぎず、現実世界へ影響を及ぼすのではないという自覚があるのです。それでも儀式(強迫行為)をやめられなくなっていたのです。自分がおかしなことをしているという自覚があるのが強迫症の特徴でもあります。

同じ強迫症で苦しんでいる人の一人は、この「神様」や「声」を「もう一人の自分の声が聞こえる」と表現します。またある人は自分の中に「神様」が存在し始めたと表現します。それだけではありません。ある時「声」(強迫観念)は変化します。「~しなければ、いじめられる」という「声」(強迫観念)に変化してしまったのです。
これは大きな展開でした。それまでは「~すれば、いじめられない」という不安を打ち消すものとして機能していた「神様」だったのですが、急転して「~しなければ、いじめられる」と私を脅すようになってきたのです。そして「いじめられるのではないか?」という「声」(強迫観念)は頻繁に起こるようになってきました。
その時には、小学校から始めたお祈りは明らかに強迫症の症状になっていたのです。これが私にとっての強迫症の始まりです。

強迫症は誰にでも起こりうることではないか?

さて強迫症の始まりには一般的にはひどいストレスがあると言われますが、私の場合もそうだと言えそうです。「いじめられるのではないか?」という不安が極度のストレスとなって働いたのです。元々心配性であった私は不安が大きくなりすぎて、強迫症になることで不安の回避をはかったのだと思います。

しかしここで指摘しておきたいことがあります。それは発症以前の私は、願望を叶えるために単に神様にお祈りをしていたということです。願掛けや験担ぎ自体は病気ではありません。誰でも日常生活でしていることだと思います。例えば正月に神社仏閣に参拝することなどは象徴的です。そんな誰でもがする願掛けや験担ぎ、儀式が強迫症へと展開していったのです。
以上から言えるのは、誰でも強迫症になる素地は持っているのではないかということです。私は心配性のあまりに願掛け縁起担ぎ、儀式を始めました。それが展開して強迫症へと変化したと思っています。変化の経緯はちょっと論理の飛躍があり、少々不思議な点はありますが、願掛け縁起担ぎ、儀式と強迫症はつながっているように感じられるのは私だけではないでしょう。

煎じ詰めて言えば、両者は程度問題ではないかと思うのです。強迫症は生まれつきの性質だなどと言われますが、自分の経過を振り返ってみると私には誰にでも起こりうるように感じられるのです。
これは以前どこかで読んだ本に書いてあったのですが、ねずみに極度のストレスをかけ続けると強迫行為と考えられる動きをするようになるというものです。つまり人間だけが強迫症になるのではないということが示唆されています。
ねずみでも起こりうるのですから、強迫症は特定の人に起きる病気ではなくて誰もが罹患する可能性がある病気と言えるのではないかと思います。私は強迫症の人だけのために書いているのではないのです。人類が抱える問題を書いているつもりです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?