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師との出会いー強迫、双極症ー 闘病記【29】

同朋新聞との出会い

前回は総合病院を退院したところまで述べました。今回は師との出会いを中心に述べていきたいと思います。

ある日、家に同朋新聞という新聞が入っていました。同朋新聞は浄土真宗東本願寺派から発行されているものでした。

私の家は代々浄土真宗東本願寺派の門徒です。何気なく読んでみると、とても興味深い内容でした。

直感的に非常に大事なことが書いてあると思いました。内容はほとんど忘れてしまいましたが、命の尊さについて書かれてあったと思います。

こんな素晴らしい文章を書くお坊さんがいるのかと驚きました。どこの誰だろうと思って探してみると、近所の寺に在住しているということが分かりました。

私は「これは運命だ」と思いました。会って話をしてみたい。私の病気について聞いてみたいと思いました。

その時は、精神病は心の問題でもあり、医者が治せなくとも、宗教的な力で何とか出来るのではないかと思っていました。具体的には信仰を持てば病気の苦しみから抜け出せると思っていたのです。

それにしても私は当時浄土真宗がどういう宗教なのかということを全くと言っていいほど知りませんでした。そんなことは気にせずに数日後、実際にその寺に行ってみることにしました。

師との出会い

寺というのは住職さんがいつも在住しているものだと思っていたので、電話をせずに飛び込みで行きました。

そこは大きなお寺でした。参道が非常に長く、車で入っていきました。
すると親子で遊んでいる家族がいました。

私は「すいません。同朋新聞を読んで来た者ですが、Sさんですか?」と聞きました。

するとSさんがそうだと答えました。それを聞いて私は「精神の病気で困っているのですが話を聞いてくれませんか?」と言いました。

Sさんは分かったということで寺の中に案内してくれました。
後から知った話ですが、Sさんはいつも出張していてなかなか在宅していることが少なく、会えたのは運が良かったということです。

お寺とSさん

さて寺に入るとひんやりとしていました。寺独特の雰囲気でした。そしてお茶をもらって話し始めました。

Sさんは同朋新聞に掲載されている表情と違い、厳しい顔をしていました。怖い人なのかなあと思いました。

話をする

私は13歳のときから強迫症を、23歳から双極症を患っているのだということを説明しました。
そして発達障害と間違われてひどい目にあったことも話しました。Sさんは私が話している間、口を挟むことなくただ黙って聞いていました。

私が話し終わると、「それは大変ですねえ」と言いました。私はそれから何か的確なアドバイスがもらえると思って期待しました。

しかしSさんは「うーん」と考え込んでいました。そして「真宗の教えで病気を治すことは出来ませんよ」と言いました。

私はがっかりしました。先ほども述べたように、宗教的な力で病気は治るのではないかと思っていたのです。

そしてSさんは「これを読んでみてください」と言って、私にピンク色の冊子を渡しました。それと寺でやっている法話の予定を教えてくれました。

ピンク色の冊子

私は落胆していましたが、とりあえず誘われた法話に出てみようと思いました。そして帰宅するなり冊子を読み始めました。

浄土真宗の専門用語はほとんど分かりませんでした。また内容も難しかったです。しかしどんどん読み進めて、話に引き込まれました。

その中でも、人間とは迷い悩む存在なのだという仏教の人間観に驚きました。読み終えた私は頭を鈍器で殴られたようなショックを受けました。

内容は宗教の本とは思えないほど刺激的でした。また同時に読んでいると心が楽になることを感じました。

ここで内容を詳しく述べることはしませんが、仏教、浄土真宗に対するこれまでの常識とは大きく異なるものでした。

よく分からないけれど、とても人間にとって大事なことが書かれていると思いました。そしてすぐに再び最初から読み始めました。

私は普段、本を二回読むことはほとんどしないのですが、この冊子は何度でも読まなければならないと思いました。難しい用語は分からなくとも、できるだけ内容を理解したいと思いました。そして、何度でも心を楽にしたいと思ったのです。

浄土真宗への期待

結局Sさんの法話へ行くまでにその冊子を七回読みました。七回読んでもまだ全容は明らかになっていない気がしました。

それでも読む度に心が楽になりました。心が楽になる体験を重ねていき、浄土真宗の教えをマスターすれば、病気は治るのではないかと思いました。この時は病気は心のあり方で治る可能性があると思っていたのです。

さて法話に行きました。最初に正信偈をあげていました。その後話し始めたのですが、予備知識がない私にとっては難しいものでした。

半分も理解出来なかったと思います。少し分かったのは、私たちは己にとらわれていて、自分で自分を苦しめているというような内容でした。

大変に感動しました。頭のモヤモヤが晴れ渡るようでした。そして何より話を聞くと心が楽になりました。

歎異抄との出会い

そしてある日、浄土真宗に興味を持った私は図書館で歎異抄について書かれた本を借りて読みました。

内容が理解できたかは分かりませんがとにかく感動しました。細かいことは忘れてしまいましたが、気持ちが高揚しました。

そして自分はこれでいいのだと思えました。
興奮冷めやらぬまま散歩に行ったのですが、なんと強迫行為が出ません。

不安が湧いてこないのです。自分でも驚きました。どうにかなってしまったのかと思うほどでした。

しかし1時間ぐらいすると元に戻ってしまいました。それからまた強迫行為から逃れるために歎異抄を何度も読みましたが、そううまくはいきませんでした。

それにしても強迫行為から完全に逃れられたのは13歳から40歳までの間で、この時と、前に述べた注射を打ってもらったときだけなので、よっぽど感動したのだと思います。

バイトを始める

少し元気になった私はバイトを始めました。
近くのファーストフード店で働き始めました。そのファーストフード店は大学の時に勤めたことがあったので私にも出来ると思ったのです。

それとお寺の掃除などにも参加するようになりました。お寺では一人住み込みの方がいらっしゃって、その人に従って掃除などをしました。
少しSさんが話をしてくれることもありました。

それからお寺で法話があるときは参加するようになりました。そうして心が楽になる体験を積んでいきました。

病院

さてその頃は入院治療を受けた総合病院に通院していました。リチウムとリボトリールを中心とした処方でした。心が楽になる経験を何度しても病気そのものはよくなりませんでした。

週に一回はつらくなって寝込んでいました。それでも一時期よりはだいぶましになりました。

仕事探し

病気の状態が以前に比べると良くなったのでハローワークへ行きました。バイトではなくて、初めてフルタイムの仕事を探すことにしたのです。

そして近隣にある宗教団体施設で職員を募集しているのを見つけました。施設管理だったのでそんなに大変な仕事ではないと思いました。

通っているお寺とは同じ仏教ですが宗派が違いました。そこでSさんに相談するとSさんはやめておいた方がいいというニュアンスのことを言いました。

筆記試験

応募するのをやめておこうかと思いましたが、筆記試験を受けるぐらい、いいだろうと思って試験を受けました。後日、面接もありました。

面接の時に筆記試験の結果を教えてくれたのですが、とても成績がよかったようで、「すごい逸材だ。今までこんなに出来る人に会ったことがない」と言われました。

私はうれしくなりました。Sさんの話を聞いて仏教に関する知識を身につけていたからです。

京都への誘い

褒められた後に、私に京都にある本部で、仕事をしながら研修を受けないかという提案をしてきました。

うれしい提案だったのですが一つ懸念していることがありました。
もちろん病気のことです。

私は病気のことを言わずに雇ってもらうのは悪い気がして、正直に病気のことを言いました。

するとゆっくりやってくれればいいという返答でした。また医者にかかるために二週間に一回休みをくれるということでした。

私は病気を理解してくれることにとても感謝しました。また病気があっても必要とされていることがうれしかったです。

一気に気持ちが舞い上がってしまいました。自分が正社員で働ける。フルタイムの仕事が出来る。うれしくてたまりませんでした。

そして京都に向かうことにしました。

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