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小学校時代(強迫症、双極症、前夜)闘病記【2】

生意気な小学校時代

前回の投稿から私の生い立ちを振り返っています。今回は小学校時代について振り返ろうと思います。幼い頃から私は体が小さい方でした。身長は低く、整列するときはクラスで一番前でした。体重も軽く、一度市役所の人が虐待を疑って家に見に来たということがありました。母親はそれに対してひどく憤慨していたことを今でも覚えています。
そんな外見に似合わず活発で生意気な子供でした。姉がいるので姉の連れの男の子と遊んでいました。姉はその当時の私が生意気すぎて、連れの男の子にやられるのではないかと思っていたそうです。しかし、姉は連れの男の子からモテていたので、弟である私は大切にされました。後でいじめについて述べますが、私が小学校でいじめられなかった大きな要因として姉の存在があったと思います。

小学校の時の事件

小学校に入るとすすんで学級委員をやりました。体は小さいながら、運動もでき、勉強もできたので自分で言うのもなんですが、いわゆる優等生でした。
さて学校でも生意気だったために同級生とけんかをして頭を打つということがありました。私が生意気なことを言って相手を怒らせました。それに対して体の大きな相手は、私をつかみ投げ飛ばして私は頭を打ちました。幸い打ち所がよかったようでたいしたことはなかったのですが、そのときに初めて暴力というものに触れました。
私は暴力を振るわれたことがなかったのです。自分が非力であり簡単に投げられてしまうということを知りました。それから現在に至るまで暴力を振るわれたことはほとんどありません。しかし、この体験で暴力は恐ろしいものだということが脳裏に刻まれました。これが後々の強迫症へとつながっていくとはその時は夢にも思いませんでした。

お祭り男は双極症か?

また小学校の頃からお祭りが大好きでした。特に獅子舞が好きでした。町内の家々を獅子舞が巡るのですが、一日中ついて回りました。祭りの前日は眠れないほど興奮しました。自分の住んでいる町だけではなく親戚が住んでいる町の祭りでも同様について回りました。
私はお祭り男だったのです。太鼓の音を聞くとテンションが上がってしまうのです。ここで双極症の人はピンとくるかもしれませんが、私の双極症Ⅱ型は子供の頃からなのか?ということです。確かにお祭りやイベントごととなると異常にテンションが上がったのは間違いありません。しかし、双極症Ⅱ型の診断基準では4日間躁状態が継続することを診断基準にしています。またお祭りでテンションが上がるのは病気なのでしょうか?私の小さい頃は周りにもお祭り男というのは一定数いたような気がします。

さらに言うと私の親戚で双極症Ⅰ型の方がいたのですが、祭りになるとそれはすさまじい躁になるので、私のお祭り男とは全く次元の異なるものでした。そういったことを考え合わせると私のお祭り男ぶりは双極症Ⅱ型というよりも生まれつきの性質だと言えるのではないでしょうか。双極症Ⅱ型と診断されたときに自分に躁のエピソードがあるのかということで悩みましたが、子供の頃のエピソードはカウントしないことにしました。

少年野球

さて小学校の高学年になると少年野球チームに入りました。小さいときから野球が大好きだったのです。何度も言いますが体は小さかったのですが大人からは「センスがある」と言われていました。そして6年生になるとピッチャーをしました。そのチームはとても弱く全然勝てなかったのですがとても楽しかったことを覚えています。高学年になっても学校では相変わらず学級委員をやりました。外見的には勉強もできてスポーツもできる優等生ということは小学校時代を通じて変わりませんでした。
少年野球は自分の通っている小学校ではない、別の小学校で練習していたのですが、ファンクラブができるほど人気者でした。こう書きますと順風満帆の小学校生活に見えます。

心配性とHSP気質と

しかし外見上はなんの問題もない小学生だったかもしれませんが、私は幼児期からの心配性があり、手放しで楽しんでいたわけではなかったのです。また小学校時代の私にも何個か難点がありました。
まず友達付き合いが苦手だったということです。あまり遊びに誘われることがありませんでした。また特にいじめられたりした経験はないのですが友達ができないのです。今でも病気のこともあって友達は少ないですが、それは私の人生を通してのことです。人と打ち解けるということが苦手でした。3人以上で集まると、いわゆる「空気を読む」のでしゃべれなくなってしまいます。

また友達の家に行くときにとても緊張してしまうのです。ベルを鳴らすところで何度もためらって考え込んでしまうのです。友達に何て言おうかな?断られたらどうしよう?友達にどう思われるかな?友達の家族が出てきたらどうしよう?などと考え込んで、なかなかベルが押せないのです。これは幼少期からの心配性と、HSPの特徴である考え過ぎるという面だと思います。

またある時いたずらをされました。帰ろうと思ったら下駄箱に靴がないのです。おそらく誰かに靴を隠されたのです。子供らしいいたずらであり、いじめとは言えない程度のことでしたが、その時まで自分がいたずらやいじめの対象になるとは思っていなっかたのですごくショックを受けました。それからは靴を隠されていないかということが心配で何度も靴があるかを確かめにいっていました。その頃から自分は他人にどう思われているのかということが気になり始めたような気がします。

また幼少期に見られたHSPの特徴は継続してもっていました。相変わらず何事に対しても心配性でしたし、イベントの前には緊張しました。人混みが苦手でテーマパークに行くと体調が悪くなり救護室にいました。また音や匂いには敏感でした。

忘れられない思い出

小学校の頃で忘れられない出来事があります。とても恥ずかしい出来事であり、書くことがためらわれますが思い切って記したいと思います。私は小学校の頃いつも下痢をしていました。たぶん過敏性腸症候群だったのでしょう。
そしてあるときパンツの中でしてしまったのです。いわゆるお漏らしをしてしまいました。すごく恥ずかしいという気持ちと、母親に怒られるという恐怖から隠そうと思いました。その時思いついたのがパンツをトイレに流すということでした。我ながら最悪の発想でした。ところが一旦はうまく流れたのです。パンツは見えなくなりました。

これで終わりのはずですが、ここからが地獄の始まりでした。パンツがうまく流れたのか詰まったのかがだんだんと心配になったのです。詰まっていてパンツが見つかるのではないか?という不安が頭を占めるようになったのです。詰まって母親が見つけたのか?そのことによって母親からひどく怒られるのではないか?頭はそのことでいっぱいです。
さっさと見つかって怒られた方がましでした。私はどうなったのか心配でいてもたってもいられなくなりました。そこで始めたのが神様への祈りでした。どうかうまく流れて、母親に見つかりませんようにと祈ることにしたのです。ここで私の中に願いをかなえてくれる神様が存在し始めたのです。強迫症の原型がここに現れたのです。

強迫症前夜

さて、小学校時代は活発な優等生という面が、将来精神疾患を患うことになる心配性な気質やHSPであるという面を見えにくくしていたと思います。しかし中学校に入る頃から心配性、HSPな面が大きくなってきて私は変わり始めます。もうそこには強迫症が足音を立てて近づいていたのです。

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