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またとんでもない会社に就職してしまったー強迫、双極症ー 闘病記【32】

帰国後

前回は二度目の就職をしたところまで述べました。今回は職場での出来事を中心に述べていきたいと思います。

韓国出張から帰って来た私たちには、また通常通りの日々がやってきました。

変わったことといえば一緒に韓国出張に行った社長のお姉さんとすっかり仲良くなり、緊密に連絡を取り合うようになったことです。

社長のお姉さんは東京でリモートワークをしていたのですが、しょっちゅう電話やメールをするようになりました。私はアマゾンの店を担当していたのですが、社長のお姉さんは楽天の店をしていました。

私は楽天の店のことにも参加するようになっていたので連絡を密に取り合っていたのです。

順調

私の運営するアマゾンの店は順調でした。売り上げは右肩上がり、お客さんとのトラブルもほとんどありませんでした。

その頃は会社も順調に成長していたようで、それまでのアパート暮らしから大きな倉庫に転居することになりました。

そして元銀行員の人が入社してきました。

会社が大きくなるとはこういうことなのだと、何の考えもなく感心していました。

変調の足音

ところが移転をすると会社は突然変わり始めました。
まず朝礼が実施されるようになりました。
大きな声を出して企業理念などを唱和するのです。

このくらいの変化であれば私も対応できました。
ちょっと面倒くさいことが始まったなあと感じるだけでした。

ところがそれだけにとどまらず、会社はこれからどんどん変わっていくのです。

明らかな変調

会社に実践倫理宏正会のパンフレットが置かれ、みんなでその教えに従うように要求してきたのです。

前にも述べたように、私は新興宗教が嫌いなので、とても複雑な気持ちになりました。
毎月お寺に通う仏教徒としては、その教えには首肯できませんでした。

しかし会社が決めたことなので外見だけでも従うしかありませんでした。
さらにこの頃から会社の雰囲気もがらりと変わってきました。

明らかにおしゃべりする時間が減りました。また私は体調優先なので残業しなかったのですが、他の社員は当たり前のようにサービス残業するようになりました。

また、私は病気のことを理解してもらっていると思っていたので医者に行く時間を大切にしていました。

しかし、誰も直接は言わないのですが、病院に行くことに対して非難の目で見られるようになりました。なんとなくやりにくくなって来たなと感じました。

部下を抱える

そうこうしていると、新しく社員を迎えることになりました。私の下に二人の女性が勤務することになったのです。私は非常に戸惑いました。

自分一人で店をやっていたものですから、そこに二人の社員が入るというのは大事件です。

私は自分の担当する店で3人分の給料を稼がなければいけないと思いました。そのためには店を拡大するしかありません。
私はプレッシャーを感じました。

部下を抱えたということはとてもストレスでした。人に指示するなんておこがましくて出来たものじゃありません。

つい最近まで家で寝ていることしか出来なかった人間が、二人の大人を動かすなんて荷が重すぎたのです。

前から述べているように、そもそも人とのコミュニケーションに難がある私は本当に困ってしまいました。

できる限り部下となった二人に仕事を振り分けていたのですが、うまくいきません。

私は半年以上一人で店の仕事をやっていたので、自分でやった方が早く終わりますし、ミスもありません。

それを二人の新人に振り分けることは私にとってはとても難しかったのです。今までバイトでも人を使うという経験がありませんでした。
本当に困ってしまいました。

ワンマンプレー

ちょうどその時、私は売り上げ拡大を目指す自社の広告戦略として、モデル起用のオファーを某事務所に行っていました。

それがたまたまうまくいって信じられないほどの安い額で引き受けてもらえました。

私は喜びいさんで社長に報告したのですが、社長は喜んではくれませんでした。

勝手に話を進めて大きな契約をしようとしていたことに対してワンマンプレーだと思ったようでした。

そして部下の統率がとれていないということで逆に非難されました。私は不満でした。

大々的な広告を打つことによりブランディングを進め、売り上げの増加を見込んでいたのです。

そうして店を拡大することによって部下二人に仕事を与えようと思っていたのです。私は任された店を大きくすることだけ考えていました。

性に合わない

社長は私が運営していた店のことは新しく入って来た二人に任せ、別の店も含んだ会社の物販トータルの仕事を任せようとしていたのです。

ところが前にも述べたように、私は一人でコツコツと店をすることが自分の性に合っていました。

私には人を使う器量がなかったのです。そんなことはつゆ知らず、社長は部下の動かし方に文句を言ってきました。

そして私は部下の使い方についてだんだん指導されるようになっていきました。

トラブル

それに従って私はストレスをため込むようになりました。その時に頼りにしたのが社長のお姉さんでした。

東京に住んでいたので現場から離れているということもあり、不満を吐き出すようになりました。

社長のお姉さんは私に同情してくれました。
また私の広告戦略についても褒めてくれました。

私は会社では社長のお姉さんだけが味方だと思うようになりました。

そしてだんだんとエスカレートし業務の愚痴だけにとどまらないようになってきました。また女性で失敗するいつもの私の悪いクセが出たのです。

あまりに親密になりすぎてトラブルを起こしてしまったのです。社長のお姉さんには旦那さんがおり、私たちのトラブルを見逃してくれませんでした。

強制解雇

そうして不適切な関係の責任を取らされて左遷されました。

私は会社には迷惑をかけていないのでおかしいと思いました。社長の血縁者とのトラブルだということが左遷の大きな要因でした。

会社という組織の中に私的な関係による制裁をするのはどうかと思いました。

私は左遷には納得がいかないと社長に言ったら、退職するように言われました。

つまりクビです。強制解雇されました。

労働基準監督署

私は困ってしまって労働基準監督署に相談に行きました。それからいろいろあって労働基準監督署は私の解雇は不当解雇に当たるので、会社に給与の6ヶ月分を支払うことを命じました。

結局会社は私の解雇が不当だったことを認め、和解金である給与の6ヶ月分を私に支払いました。

それでも労働基準監督署を初めとする各種協議などに奔走することになり私は疲れ果てました。精神的なダメージも大きく受けました。

自責の念

会社に非があったことは間違いないのですが、私は自分にも責任があると思いました。

トラブルを起こしてしまったことは事実ですし、それに対しては謝罪しました。

だからといって謝罪すれば済むという話でもないと思います。

やはり私は人と一緒にやっていくには問題があるのだと思いました。

また私は会社が大きくなり急に組織化されたことに対応する能力を持っていなかったのです。

さらに、会社が宗教色を出してきたことに対して私は戸惑いました。
この時も休日などにお寺の門法を続けていました。
そんな関係もあって複雑な思いを抱いていました。

こういったことも社会の常識からすると私がおかしいのかもしれません。

またコミュニケーションに難がある私には部下を使うことなど無理だったのです。これも私に責任があると思っています。

そして会社は病気に対して理解があり、寛容な態度を取っていたはずですが、徐々に厳しくなってきました。前のように病気を理由に休むことが難しくなりました。

確かに広告のことに関してはワンマンプレーだと捉えられる面もありましたが、全ては会社のためを思って取った行動でした。それを否定されたのはつらかったです。

そうして徐々に会社が変わっていく中で私が適切に対応できなかったことが遠因となりトラブルを起こしてしまいました。

先にも述べたように、社長のお姉さんとのトラブルについては私にも責任がありました。それに関しては謝るしかないと思います。

しかし、私の言い分を全く聞いてくれなかったのは会社の対応としてはおかしいと思っています。

再び無職に

こうして二度目の就職も1年ほどでだめになってしまいました。私はまたひどく落ち込みました。

落ち込んでいるので、会社に非があったのにも関わらず、全面的に自分が悪かったのだと思い込んで自分を責めていました。


私としては長い年月、病気の治療を続けてきてやっとうまくいきかけていたのです。ようやく「普通」と言われるような生活を送ることができたのです。

それを自分の非で継続できなかったことは非常に残念でした。病気に関しても会社に行っている時は少しよくなっていたのですが、辞めてからはまた前のように寝込むようになりました。

一週間に二日は調子が悪くなるようになりました。

仕事はやめた。病気は治らない。パートナーもいない。それでも一生懸命やってきたつもりでした。

私はこれから先どうやって暮らしていけばいいのか分からず途方に暮れました。

仕事を辞めて時間が出来たので、とりあえずまたお寺に行くことにしました。

お寺は何度でも私を迎え入れてくれました。


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