再び精神科入院ー強迫、双極症ー 闘病記【28】
新しい医者との出会い
前回は発達障害が誤診だったところまで述べました。今回は違う病院にかかるところから述べたいと思います。
神田橋先生に処方された薬で症状が悪化した私は、違う医者を探すことにしました。
どの医者にかかってもよくならないのではないかと思って途方に暮れていました。
しかし、親がいろんな人に聞いてまわって医者を探してくれました。そして近所に出来た評判がいいという医者を受診することにしました。
個人でやっているクリニックでショッピングモールの中に入っていました。医者は優しそうな人でした。
やはり双極性障害Ⅱ型
これまでの経過を詳細に話しました。そして医者はDSMを基に診断をしました。医者は双極性障害Ⅱ型の可能性が高いと言いました。
これから双極性障害Ⅱ型のうつに効く薬を全部試してみましょうと言いました。そして一つずつ薬を試すことになりました。
ここでも強迫症についてはよく分からないということでした。これまで10人以上の医者に診てもらいましたが、強迫症をまともに治そうとしてくれた医者は皆無です。
強迫症の治療をしてもらえない
前にも述べたように、強迫症があると訴えても双極症やうつ病の副次的な扱いを受けるのです。
どうしても医者は強迫症がうつ病や双極性障害Ⅱ型を起こしているとは考えないのです。結果論になりますが、強迫症こそ治すべき病気だったのです。
セロクエル
まずセロクエルを試すことになりました。セロクエルはどんどん量を増やしていきました。最高で600ぐらいまで上げたと思います。
量が増えて行くにつれて、眠気が襲ってきました。起きていても頭がボーッとする感じがありました。
また異常に食欲が湧きました。いつも同じショッピングモールに入っている店で食パンを買って食べていました。そのパンはフワフワでした。
そして2ヶ月もしない内に体重が4キロぐらい増えました。
セロクエルの量を増やした結果、少し調子が良くなりました。ぼーっとしていたので激しくつらいということが少なくなりました。寝込む日数も減ってきました。
塾でのバイト
そこで友達が経営している塾でアルバイトをすることにしました。大学時代にも、わずかな期間でしたが塾講師をしたことがあったので、何とかなるのではないかと思ったのです。
接客業でしたが、相手が子供ですからあまり緊張するということはありませんでした。しばらく勤務していると何故か中学2年の女の子たちから人気が出ました。
ふざけてヤクザと呼ばれるようになりました。おそらく、スーツ姿が怖く見えたのでしょう。また、まともな生き方をせず、精神年齢が若くて気が合ったのだと思います。
いつも授業が終わってから1時間ぐらい話をしていました。何を話していたのかは全く覚えていません。
私にとって子供は恋愛対象にならなかったので、大した問題にはなりませんでした。遅くまでしゃべりすぎだと言われたくらいです。
やはり体調に波があり、勤務することはつらかったですが、なんとか続けていました。
女性問題で調子を崩す
ところが、ある日バイトの面接に女子大生が来ました。とてもかわいい人でした。何故か少し話すことになって、連絡先を交換しました。そしてご飯でも行きましょうということになりました。
それから少し会うようになったのですが、私は長い間女性から離れた生活をしていたのでうまくいきませんでした。この付き合いがいろいろと問題になりました。そして気まずくなってバイトをやめることになりました。
女性関係で調子を崩すというのは大学の時から変わっていませんでした。
サインバルタ
それからしばらくバイトもせずにいたのですが、ひどいうつ状態になりました。また寝込むことになりました。
セロクエルは600でキープしていたのですが、状況が芳しくないということでサインバルタを試すことにしました。躁転に注意すると言うことで少量から始めました。
しかし何も変わりません。量を増やしても全く変化がありませんでした。医者もおかしいなーと困っていました。
総合病院にて
その頃私はうつ状態が強すぎて生活出来なくなっていきました。もう家にいられないくらいつらくなったので、入院治療について医者に相談しました。
前に述べたように大学院の時に入院治療で良くなった経験があるからです。
するとちょっと離れた総合病院を紹介してくれました。そこに入院することにしました。
まず診察をしました。ここでも双極性障害Ⅱ型と診断されました。そして強迫症については分からないということでした。
総合病院の医者は経過を聞いて、リチウムをもう一度試すことにしました。また不安が強いということでリボトリールを処方しました。
ひげが印象的な医者でした。
入院する
二度目の入院でした。部屋は相部屋でした。
総合病院ということもあったのでしょうか、前回の入院と比べて、症状が軽い人が多く入院していました。
統合失調症の人は少なく、みんな何の病気か分からない感じの人が多かったです。
同部屋の人は眠れないのだと言っていました。カーテンを引く時は静かにしてくれと言われました。私はそれに従うことにしました。でもその人は朝ご飯が終わると寝ているのです。
よく分からないなあと思いましたが、人に気を遣う私は言いつけを守って静かにしていました。
強迫症
解放病棟だったので敷地内は自由に動けました。私はひたすら敷地内の散歩コースを歩くことにしました。
大学院の時に先輩が、精神病から回復するには歩くことが良いと言っていたことを思い出したのです。
毎日たくさん歩きました。雨の日でも傘をさして歩きました。強迫症の私は、だんだん歩かなければいけないという強迫観念に支配されてくるようになりました。
とにかく毎日同じ時間、量を歩くことにしました。体調が良くても悪くても関係ありません。自分で決めたノルマの量を歩いていないと落ち着かないのです。
ここでも「~でなければならない」「~であるべきだ」という思考に陥っていたのでした。しかしその強迫的思考のことを医者に言っても「どうにもできない」と言われました。
入院患者としゃべることもありました。ここでもグループが出来ていてやりづらかったのを覚えています。私は群れることなく一匹狼という感じでした。
女性と仲良くなる
きっかけは忘れましたが、年が近いということで、ある女性と夜に話をするようになりました。その人も双極性障害Ⅱ型ということでした。夜になると毎日体育部屋で話をしました。
何をしゃべっていたのかは忘れてしまいましたが、仲良くなっていきました。
話の中で覚えているのは、その女性の彼氏が自殺してしまったということでした。その女性は自分も死んだ方がいいのかと聞いて来ました。私は生きるべきだと答えました。
そうすると、付き合って欲しいと言われました。私は困りましたが断りました。ちょっとその女性が怖かったのです。
それから全然しゃべってくれなくなりました。
退院
さて入院している間はうつ状態にはなりませんでした。少し元気も出てきました。入院生活はつらいものでしたがうつ状態が良くなりました。
ところで退院する少し前に患者の一人が、「入院はくせになるから気をつけた方がいい」と言ってきました。その人のことが苦手だったこともあり、すごく嫌な感じを受けました。」
二度と入院するものかと思いました。その人は何回も入院経験があるようでした。私はその人みたいにならないようにと思いました。しかしそうすんなりと病気は改善しないのです。
この後、家に戻ると私にとって運命的な出会いが待っているのでした。
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