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VERBE〜動詞的な日常

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「動詞としての文化」とは何かの考察
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#日記

過去の企画と新しい企画のあいだを進む

日曜なので軽めに。

とはいえ今日は「みがくSD研」の研究大会だったので、朝からPCに貼り付いていた。

いろいろなところで目にするSDGs関係の催しは「環境問題」に限定されている感がある。

フリー画像でSDGsを検索すると、グリーンやら自然やらがまばゆい。まあ、エコロジーの言い換えなのだろう。

しかし持続可能性とは他者と自分を取り巻くネットワークが順調に機能することによって達成できるように思

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サッカーに熱くなりながら

明日は日曜なのに仕事だが、今日は珍しくやることもない。子供がいると研究はできないので、潔く子供と公園で遊び、帰宅後にDAZNでセレッソ大阪のホーム開幕戦を観戦する。

現在の職場で勤務二年目からスポーツ推薦の学生用の授業を担当している。僕はスポーツに無縁でありながら、彼らとの交流の中で身体に働きかける文化へと関心を移すようになった。そこからランニングを始め、パンデミック前は大学併設のジムに通ったり

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あいだに何を介在させるか

祝日は軽めに。

大きな公園が近所にあるので、子供を連れてよく遊びに行く。だいたいサッカーボールを持っていくが、今日は子供の希望でペタンクを持っていった。

ペタンクは日本では馴染みがないが、フランスの国民的なスポーツであり、パリ五輪で正式種目となるらしい。

鉄球を真ん中の小さな球に向けて投げ、近い方が勝ちとなる。たったこれだけのルールだ。

そういえばカーリングもボッチャもペタンクと同じルール

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ケバブが交錯させる過去と現在

近大の学食が続いたところで、移動販売のケバブの屋台が目についた。誰もいなかったため、店員さんと少し話し込む。

ケバブはフランスでもかなりメジャーであり、フランスの思い出はケバブへと結びつく。だがフランスのような味のケバブはなかなか巡り会えない。サラダやポテトを挟み、サムライソースというよくわからないソースをかけたケバブは日本では見つからない。

若い頃、フランスで飲んだ帰りにケバブを食べた。思え

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教育と育児が研究の中でクロスするとき

教育と育児が研究の中でクロスするとき

明日香村と橿原市の古代文化をまとめて「飛鳥」と呼ぶと、なんとなく橿原が抜けているような感覚がある。それゆえ「飛鳥・橿原」という呼び方にしているが、よく考えると「飛鳥」でいいのかもしれない。

飛鳥は自分の研究に関係している。

そもそも僕はマルセル・プルーストの研究からキャリアをスタートしており、今なおプルースト研究者だと自覚している。それは言い換えると「フランス文学研究」となるかもしれないが、別

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少数派としての自分

明日(もう今日か)は地域連携プラットフォーム主催の研究会で発表する。内容は何度か紹介した幼児・児童教育プロジェクト、香具山スクールについてである。

発表用に自己紹介パートを作ってみたが、自分の専門とこのプロジェクトが重ならないことを改めて実感している。大学でフランス語を教え、フランス文学研究の学会に所属している人間が、子供たちを連れて飛鳥・橿原で体験学習イベントを行おうと考えている。もはやフラン

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いろいろなものが始まる

昨日は研究仲間と今年の科研費の応募について打ち合わせをした。毎年この季節に研究計画をまとめ、文科省からの研究費の獲得を目指すのが研究者の風物詩なのだ。「科研」はそのうち季語になる。新しい研究計画を考え、友人たちに声をかけてZOOMで僕が今考えていることを共有した。

夜はママ友たちと「卒園文集会議」をした。気を抜くと、あっという間に三月になり、息子が卒園してしまう。一応、卒園文集のまとめ役なので、

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円グラフのパックマン

「円グラフで言えばパックマンくらいの感じで」という表現を目にした。とてつもなくユーモラスで、視覚的にイメージしやすい。限りなく100パーセントに近い90パーセントだろう。そもそも口を閉じたパックマンだと100パーセントだ。

「円グラフで言えばパックマンくらいの感じで」僕はメンタルにさざ波が立つ。どうも昔から気が弱い。フィードバックが心に刺さり、一日中さざ波に見舞われる。

もちろんこんな性格だと

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トークセッション準備中

「フランス日和〜マルシェ2020」が近づいてきている。弘前大学の学生が中心となり、弘前の土手町(蓬莱広場)で毎年マルシェイベントが行われている。弘前大学出身のフランス語教師という縁もあり、二年ほどマルシェに関わっているのだが、今年はウツケネェCOVID-19のおかげで弘前に行くことができない(ウツケネェわかるかな?)。そこでオンラインのトークセッションを企画させていただき、昨日はそのメンバーである

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オフラインの始まり

昨日から近畿大学の対面授業が始まった。僕ら語学教員はオンライン授業を指定されているので、喧噪に加わることもなく、前期と同じ生活を送っている。ただし学生の生活は変わったようで、Twitterで状況確認をすると雰囲気が大分変わっている。

オンラインによって「大学の必要性」が議論された。その議論の妥当性はみんなで精査してくれるとよいが、個人的には「言葉は言葉以外のものの支えを受けている」と考えている。

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習慣を築き、打ち破り、また習慣を築く

二十四節気の「白露」と言えば、仲秋の入り口だ。残暑に季節を見失いそうになるが、一年は終わりに近づいている。季語は「美しい季節を切り取ったもの」と言われるが、暮らしやすいとは言えない日本の気候に覆われていると、「過酷な生を紛らすための知恵」だったのではないかという気がしてくる。そういえばそんな記事をどこかで読んだかもしれない。

一日の「季節」のかけらが転がり、日々は進んでいく。どうなることかと思っ

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「遠く」と「近く」のあいだに存在するもの

「遠く」と「近く」のあいだに存在するもの

とりたてて理由もなく、陳舜臣の『中国の歴史』をめくっている。この本に限らないが、中国文化を扱う作品に関心が向く。思春期には定番ではあるが吉川英治の『三国志』を夢中で読んだ。情景描写、漢詩の引用、書き下し文などに心が奪われる。

そもそもフランス文学を研究対象としている。ヨーロッパという「遠い」世界は、若い頃の自分にとって完全なる未知の世界であり、ファンタジー小説のような風景には強い憧れを持った。そ

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宇宙を想像し、心中に思い描く

宇宙を想像し、心中に思い描く

次男のミルクタイムにNetflixを見ることが習慣だが、ノーランの『インターステラー』を久しぶりに鑑賞した。『2001年宇宙の旅』へのオマージュのような部分もあり、ぶっ飛んだSFという感はあるが、「重力」「時間」をテーマにした物語は非常に興味深い。

ロケットや宇宙というものになぜあそこまで心が奪われるのか、整理がつかない。

知人が宮城のJAXAに勤めていたため、一般公開のときに宇宙センターの見

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対話の中で見えてくるもの

対話の中で見えてくるもの

オンライン授業の取り組みの中に「フィードバック動画」というものがある。受講者との双方向性を実現させるために、提出された課題にコメントなどをつけるのが一般的だが、僕は解説動画を作成してアップしている。

近畿大学に着任してから、毎年どこかで発表や講演をしているが、質疑応答がもっとも楽しい。想定質問を用意したことはなく、毎回頭を空っぽにして質疑応答に向かう。日本国際文化学会などは専門領域が大きく異なる

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