トークセッション準備中

「フランス日和〜マルシェ2020」が近づいてきている。弘前大学の学生が中心となり、弘前の土手町(蓬莱広場)で毎年マルシェイベントが行われている。弘前大学出身のフランス語教師という縁もあり、二年ほどマルシェに関わっているのだが、今年はウツケネェCOVID-19のおかげで弘前に行くことができない(ウツケネェわかるかな?)。そこでオンラインのトークセッションを企画させていただき、昨日はそのメンバーである松井真之介さん(宮崎大学)&藤田賀久さん(多摩大学)と遅くまで打ち合わせをしていた。

僕らは「文化」という言葉を「パッケージに入ったおみやげ」のように使う。日本文化は「和食」「着物」であり、大阪文化は「お好み焼き」であり、弘前文化は「ねぷた」と「りんご」だ。観光物産館に行くと「津軽塗」や「こぎん刺し」が手に入る。いずれも喜ばれる「おみやげ」である。

その一方で、およそ「おみやげ」にもならないようなものが足下に眠っている。そのような「文化」を僕らは日常に口にしたり、目にしたりしていながらも、まるで特別さに気づかない。生きるため、生活のために「動詞」と結びついた「文化」が存在している。

この二人と話すと、いつも「おみやげ」にほど遠い文化に気づかされる。ヨーロッパやアジアを足で歩き、五感で生活に溶け込むフィールドワーカーならではの「気づき」だろう。おみやげの棚に並べられた、目立つ文化の下に、目に見えない文化が潜んでおり、往々にしてそちらの方が生活に密着しているのだ。たとえば冷蔵庫の中に、あるいは近所のスーパーの棚に、家の裏路地や公園に、他の文化圏とは違うものが当たり前のように存在している。

僕の専門はプルーストであり、フィールドはフランス文学研究である。かつては授業で絵画・音楽・建築などを「おみやげ文化」として紹介し、きらびやかなイメージで学生を煙に巻いてきた。だが「おみやげ文化」のように見える芸術作品は、個人の生活の様々な「動詞」を含んでいる。フィールドワーカーが五感で文化を感じるように、僕は芸術の中に五感を探り出すことを試みる。

マルシェのトークイベントでは、松井さんと藤田さんから足下の「文化」の話が飛び出る。僕は司会としてその文化の重要性を解説するが、ひょっとしたらコメントが邪魔かもしれないので、そのときはただニヤニヤしておこうと思う。後日、開始時間を告知します。

ところで弘前のおみやげなら豊盃か田酒がほしい。

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