少数派としての自分

明日(もう今日か)は地域連携プラットフォーム主催の研究会で発表する。内容は何度か紹介した幼児・児童教育プロジェクト、香具山スクールについてである。

発表用に自己紹介パートを作ってみたが、自分の専門とこのプロジェクトが重ならないことを改めて実感している。大学でフランス語を教え、フランス文学研究の学会に所属している人間が、子供たちを連れて飛鳥・橿原で体験学習イベントを行おうと考えている。もはやフランス語はまったく関係ない。

子供たちと飛鳥・橿原に行こうとした背景には、息子の通う公立保育所の問題があった。存続のための署名を集めたこの保育園も、ついにゼロ歳児の募集停止が決まった。これでこの地区の保護者は子育てがやりにくくなる。そんな中に自分の家庭が放り込まれた。人生の大部分は「保育」など関係なく育っていたが、ここにきて自分も「保育所不足」の問題に関係することになった(長男は卒園だが、まだ次男が控えている)。人間、いつ「少数派」に回るかわからない。そして「少数派」になって景色の違いに気づく。

これから「少数派」の問題はずっとつきまとうだろう。息子の小学校や中学校で何かがあるかもしれないし、僕自身の仕事に何かが起きるかもしれない。そのときに今僕が持っている子育ての条件は大きく変わってしまうだろう。となれば重要なのは「仮に少数派になってもどうにかできること」である。そんな子育てがどうやったら可能となるのか考え、そして飛鳥・橿原にたどり着いた。その理由は明日の発表で説明する。

保育所を統廃合する自治体を恨むことはないが、過度に期待することもない。寄りかからずに生きていくため、少数派としての視点から、必要なことを探り出していく。僕のプロジェクトはその延長線上にあるわけだ。

プルーストを読破した人間も少数派かな。

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