オフラインの始まり

昨日から近畿大学の対面授業が始まった。僕ら語学教員はオンライン授業を指定されているので、喧噪に加わることもなく、前期と同じ生活を送っている。ただし学生の生活は変わったようで、Twitterで状況確認をすると雰囲気が大分変わっている。

オンラインによって「大学の必要性」が議論された。その議論の妥当性はみんなで精査してくれるとよいが、個人的には「言葉は言葉以外のものの支えを受けている」と考えている。

言葉を効率よく伝えるためには、オンラインで十分だ。だがオンラインでのやりとりに「体温」が乗らないことはみんなが経験したはずだ。「体温」は「言葉以外のもの」であり、そんなやりとりに安心感を覚えてしまうため、非効率と言われてもしばしば誰かに電話をかける。ZOOMで顔を見て話すと安心するが、それ以上の安心感を求めて、実際に会おうとする。

そんなときに「言葉」と「言葉以外のもの」の関係に思いを馳せる。どうやら僕らは非効率で無駄が多い世界を生きている。

僕は前期同様にオンデマンド授業をするが、意味のない場所で顔を出すことにした。表情も「言葉以外のもの」だ。そういえば子供に言葉だけかけても納得しない。言葉以外の親の「存在」が、子供に安心を与えていく。そんなことを考えながら、少しだけ効率化を求める世の中に刃向かってみる。

そういえばずいぶん犬に触れていない。

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