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日本で生まれ育ったのに日本に留学しているように感じる

こんにちは。
この記事では、日本の伝統や文化に関して感じていることを書きまとめます!

日本文化がよく分からず、恥ずかしかった

2000年から日本で生まれ育った人間です。普通に地元の小学校、中学校、高校、そして大学生活を送った者です。が、私は日本文化を全く身近に感じません。

大学に進学して、自分の国に誇りを持つことの大切さや、日本文化に関することを学びましたが、なんとなく理解するだけで、日本の伝統に関する知識があまりに教書に載っている文面レベルでしか理解ができず、常にもどかしい思いをしていました。

海外の人に、日本ってどんな国?と聞かれることが一番怖いことだと思っていました。説明しろと言われても、20年ちょっと日本で生きたのによく分からない、知識が無い、武士や舞妓さんに会ったこともない。畳の部屋では寝ないし、陶器や漆器ではなく春のパン祭りでもらったお皿や、ペットボトルを買ってもらったコップを使っている。さらに怖いのが、お抹茶と和菓子が一緒に出てくるお店だ。味は好き、見た目も大好き、だけどお抹茶ってどうやって飲む、、?たしか器をじっくり見たり回したり、、作法が必要とされ、ちょっとでもしくじれば周りから冷たい目で見られそうな雰囲気が流れることをテレビで見たことはある。こんな知識しかなくて、日本的なことは好きだけど、日本の文化にずっとなじめない私は、生まれも育ちも日本なのに日本文化から疎外感を感じていました。まさに自己嫌悪です。

比べて海外の人たちは自分たちの国についてよく知っています。聞いたら大抵の文化や歴史、成り立ちについて分かりやす~く言葉でサラサラッと説明してくれます。私だって日本文化についてもっと知ってほしい、といういつの間にか醸成されている愛着はあります。知識も無いしよく知らないけど、教科書や学校は日本の文化や伝統を素晴らしいと言いますし、なんなら海外の人たちは私よりも日本について詳しく、日本に興味を持ってくれています。


京都へ2週間ひとり旅へ「日本文化とは?」

つらつらと私の不安と自己嫌悪を書き連ねてしまいましたが、このように感じた私は、大学3年生の時に京都へ2週間ひとり旅に出ました!京都で2週間、日本文化とは何だとモヤモヤ疑問を持ちながら日々を体感することで、自己嫌悪から少し解放される結論に至りました。大まかに3つ。


①暮らしの変化と伝統の在り方
②「伝統」の勘違い
③日本の文化の理解に必要な事


これら3つの結論に至った流れを、つづいて書いてみます。


①暮らしの変化と伝統の在り方

『日本の伝統』と聞いて思い浮かべるものは何ですか?
私がいつも思い浮かべていたのは、こんなイメージです。

Google検索「日本の伝統」

イメージはそのまま、Google検索で「日本の伝統」と検索したら出てくるようなものです。あ~使ったことない。家に無い、馴染みない。日本人だったらこういうの持たないとダメなのかな、、けど欲しくないしな。なんか気遣うな。使い勝手どうなのかな、、欲しいと思える物欲が湧かないな。。。というか今の暮らしの中にあったら浮く!という風に感じるんです。共感してもらえる人はいますか?
私は自分の感情に嘘はつきたくないので、引っかかるところには突っ込みたいし、無理をして買いたくありません。でも、中々言えないのです。なんせ世間的に日本の伝統は素晴らしいと世界から言われているから。。

ですが、京都を旅する中で私はそれまでの伝統のイメージが変わりました。今まで見てきた「ザ・伝統」は、もう昔のものとして捉えてよい。伝統とは、時代に合わせ人々の生活に呼応して変化し続けるものであるべきだと知ったのです。

京都にて伝統工芸品・伝統的工芸品を多く扱う博物館に行った時のことです。コロナ禍ということもあり、お客は私含めて2人ほど。おかげで、100を超える伝統工芸品とそのキャプション、説明動画、すべてじっくり見て回ることができました。多くの説明を読む中で感じたことは、日本の手仕事のすばらしさです。きめ細やかな部分まで手作業でものづくりが行われ、繊細な作業の連続で伝統工芸品が作られていることを学びました。知らなかったことがいっぱい。出来上がった伝統工芸品は、どれも美しすぎて、製作過程を知らない私は本当に手作りであるのか、常に疑問を持っていました。生まれたときから工業製品にあふれている、生活物に困らない時代に生きてきた私です。訳が分からない程美しい見た目に、機械製と手作りの違いは簡単に分からず、また同時に、どちらがよりよい物かもわからなかったのです。ですが、ここに来てみても私は思ってしまったのです。

例えば、そこにAとB、2つの商品が並んであるとします。
Aは、どこかの機械で作られたもの。工業製品で大量生産できるため、安価で売ることができます。一方Bは、どこかの職人が伝統的な技法を駆使して作ったもの。一つ一つ丁寧に作られているので、時間もかかり、Aより安く売ることはできません。見た目としては、AとB、どちらもあなたの好みだったとしましょう。

このような状況で私ならどちらを手にするかというと、8:2の割合でAを選びます。8:2の割合について、詳しく説明させてください。

8割の方に傾きやすい理由は、価格です。高いものよりも、安くて満足できるものを手軽に手に入れたい。工業製品である場合、壊れたり、汚れたりしたら、また新しいものを買い替えれば良いやという考えが容易に働くからです。安いものだから、万が一のことがあっても安心して普段使いできるのです。逆に、高価なものであればあるほど、万が一を考えて使いにくくなることはよくあります。

2割の方に傾く可能性として、感情に訴えかけられた場合があります。
もちろんのこと、Bにはストーリー性があると思います。場合によっては、商品を買った後に説明書きが付いていて、こんな制作過程を経て作られました、と書かれているかもしれません。このストーリー性に興味が湧き、共感できた場合、Aを手に取るかもしれません。

ですが基本の割合は8:2。この割合には次の理由が大きく関連しています。
いかに日常の暮らしの中に使えるかどうかです。私たちはむやみやたらに物を買うわけではありません。日々の暮らしの中に欲しい、必要だと思うものを買うはずです。
この点、多くの工業製品は、時代の変化に合わせて生活を便利にする商品が大量生産されています。例えば食器であれば、食洗器に対応していたり、統一された形で収納がしやすい。衣服であれば、洗濯機で簡単に洗うことができ、手洗いやクリーニング、収納管理に困らない。

日常生活に手間が増えたり時間を取るようなものは、生活に取り入れると困ってしまうことが多いのです。それが理由で8:2の購買割合なのです。


②「伝統」の勘違い

見た目もプロセスも美しい工芸品を前に、そんなことを考えていた失礼な私ですが、次第に「伝統」について他の方がどんな考え方を持っておられるのか気になり、本や文献で調査をしました。多くの職人さんや老舗の会社さんが伝統と革新について議論される中、心に刺さったのは「伝統は革新の連続」という端的な言葉です。

生活様式が急速に進んでいる現代ではありますが、かつてより時代とともに暮らしは常に変化していたはず。その中でも変化に呼応し続け、取り入れるべきものを取り入れ、核となる本質の部分は変えない。そうして日本で暮らす人々の生活に寄り添い続けてきたものが、伝統ではないかと思うのです。そうでなければ、今の今までどうしてその技が伝えられ続けてきたのか。

日本の伝統の多くは、日本の豊かな自然環境を活かして生み出されてきたものばかりです。自然とともに暮らしを考える、この考え方は日本の文化を生み出し、伝統として歴史の中で人々の中で暮らしを支えてきたのだと思います。

つらつら文章を並べてしまいましたが、私は今まで昔からあるものを形そのまま、いかに変えずに伝承していくか、というものが伝統だと思っていました。しかし、いかに時代と人の暮らしに応じて文化を形成し続けるか、それが伝統であると思ったのです。

私は今考えて言葉にすることしかできていませんが、誇るべきデザイナーの方々が日本の伝統的工芸品や暮らしの再提案、ものづくりに関するプロジェクトを実践されています。私の拙い文章に織り交ぜることが申し訳ない気持ちですが、大好きなので。

◆LEXUS NEW TAKUMI PROJECT:https://lexus.jp/brand/new-takumi/2018/

◆D&DEPARTMENT:https://www.d-department.com/

◆BEAMS JAPAN:https://www.beams.co.jp/special/beams_japan/05/

◆中川政七商店:https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/default.aspx

こうしたデザイナーによる日本の暮らし、伝統的工芸との暮らしの関わり方を再提案し、多くのプロジェクトを現実に動かされています。私の知る範囲外はさらに多くのプロジェクトがあると思います。


③日本の文化の理解に必要な事

日本の暮らしや伝統を見つめ直し、日本の文化について理解しようと京都を旅しながら日本文化は奥深すぎる、、とますます感じていました。

そんな中頭を悩ませながら、まさしく救いを求めるように行ったのが鈴虫寺でした。ここはお坊さんが分かりやすーく、説法を説いてくださるのですが、これがまあ、おもしろい!私は今までお坊さんに説法を説いてもらうような経験はありませんでした。それよりお寺という場所に対して、礼儀作法を遵守しなければ、、!という焦りばかり感じる身だったのですが、ここでは形式ばらずお話を聞ける空間がひらかれていました。

お坊さんのお話はもちろん素晴らしかったのですが、何より私が感動したのは、このお寺の姿勢でした。一般的に分かりづらい、理解しにくいと感じられるものを人に説明することは誰もが難しいと感じると思います。加えて形式の多いと感じられるものに関して、形よりも内容を重視して伝える活動をするには、ある程度の覚悟も必要ではないでしょうか。

内容が難しいからと言って黙ってしまえば、誰にも伝わることが無くなりますし、面白さも伝わりません。ですが難しいとしても、伝える活動を辞めなければ、誰かの興味をひくことはできるのではと思います。必ず誰かが「わかる」に到達しなくても良いと思いますし、「分からない」ままでもよいから、興味を持ってもらうことが重要だと思っています。

鈴虫寺に駆け込んだ私は、結果的に、日本文化について完全に理解することをいそがない決めました。日本の文化は奥深すぎる。一つ一つの個が掘り下げると無限に掘れる洞窟のようです。それに、言葉や文章での説明だけでは理解しきれない部分が日本文化だということは認識しています。おそらく日本文化の革新が内面にあることも。これに関してはまた詳しく記事に書きます。きっと難しい。。

京都旅、締めくくりのひとこと

日本文化に絡めて京都旅をした締めくくりとして、大量生産・消費社会に生まれた若僧なりの感覚で、日々の暮らしを考えて、日本の伝統や文化について発信しても良いよね、、!と思って、今日もつらつらと書き連ね。




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