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視えない西瓜Gtvo./『人の視えない気持ち』を歌う/140字におさまらない想いを描き…

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視えない西瓜Gtvo./『人の視えない気持ち』を歌う/140字におさまらない想いを描きます

最近の記事

愛を知らない

わたしの中で愛情とは日常の中で"心配してくれること"だと思っています。 これは放任主義の家庭に生まれ、育った大人の話です。 わたしの生まれた家庭は放任主義でした。 わたしのやってみたいことに対して何も口出しせず特に心配されたこともありませんでした。 小学5年生の時から浮いていることに気づき、辛かった中学生時代。 実は辛すぎて、記憶がないのです。 苦しかったことだけは、覚えているけど。 必死に周りにアピールしても"ももちゃんなら大丈夫"と話を聞いてもらえなかったから

    • 昔の記憶

      ある時から、大切だと思う人に対して 『この人はわたしの側からいなくなってしまうかもしれない』 『これは永遠には続かないかもしれない』 と思うようになったのだけど 小学生の時仲良かった子は関西に引っ越してしまい、中学生の時仲良かった子はクラスの目立つ女子との人間関係が原因で不登校になってしまい どんどんわたしの理解者がわたしの周りからいなくなってしまった だからだ、ということがわかりました それでも子どもなりに毎日を過ごしていたんだろうけど 相当寂しかったんじゃない

      • 会いたい

        コロナ禍になり、わたしは人と人との繋がりを ここまで大切にしていたのかと思い知らされる。 ラインなどの文字のやり取りが多くなってしまったことで この小さな機械そのものが人なのではないかという なんだかよく分からない思考になってきてしまっているような気がする。 「このただの文字のやり取りが続かないということは わたしはこの人に嫌われているんだ」 「冷たい人だと勘違いさせてしまっているのではないか」 「わたしの想いは1ミリも伝わっていないような気がする」 とか、 意味

        • 会わない時間

          ”会わない時間が2人の愛を育てる” よく使われる表現、言葉ですが わたしは全くそう思いません。 昔からずっと疑問に思ってたんですよねー。 (※Twitterでも女性は割と現実主義…なんて話をしましたがそれの続編みたいなものです※) わたしは、一緒にいない時間は 違う世界を見る時間だと思います。 全て遮断し2人きりでその世界の中で生きていては これ以上成長することはできないし 視野がとても狭くなってしまう。 会わない時間が愛を育てるのではなく 他の世界を見ていろいろ

        愛を知らない

          心が動く

          曲をつくるようになってから、ちょっとしたことで 心が動くようになってしまいました。 ”感受性が豊かになった”ということなので 良いことのような気がしますが 生きづらいと思うこともとても多くなりました。 わたしの音楽は、ほんの一瞬のちょっとした出来事を歌にしているので 小さなことから1曲分に広げていく必要があります。 周りから見たらどうでもいいようなことでも 心が動くように訓練してきました。 そのおかげでいろいろなものからいろいろなものを感じ たくさんの曲が生まれました

          心が動く

          弱さ

          いつも完璧な(完璧に見える)人の弱さは むしろ、魅力に見えてくる。 弱さを知ることでなぜか安心したり そうであってほしいとさえ思ったりする。 やっぱり自分の弱い部分は人に見せたくないと思う。 だからこそ「わたしに話してくれた」ってことが嬉しいし 恋に落ちる感覚と似ているというか なんか、すごくきゅんとする。 君は気づいてるかな? それが君の魅力だってことに。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ▼momoko Twitter https://twitt

          認められたいから

          ”認められたい”という気持ちでバンドはやらない方がいい。 バンドだけでなく他のことにも当てはまりますが ”自分がやりたいからやる”気持ちで常にいなければ せっかく踏み出せた一歩が無駄になってしまうと思います。 自分の力で進めたのに、他人のため、誰かのため… と思ってしまってはもったいない。 誰かのため…と思って行動した結果反応がなかった場合 「ダメだった」「もうやらない方がいい」 「自分は必要ない」 と、思ってしまうから。 そんなのもったいないですよね。 他人の反応や

          認められたいから

          ギターの話①

          わたしのギターの話をさせてください。 ギターをリペアに出しました。 実はちゃんとリペアに出すのははじめてです。 高校生のときにアルバイトでお金を貯めて買ったギター。 ものすごく値段のするものではないのですが とても大切に使ってきました。 それなりにお金もかかるので(かなりボロボロだったので…) 新しいギター買っちゃえば?とも言われたのですが ひとつのものを長く使うことはとても良いことだなあと思います。 こんな感じ。かなりひどいね フレットがボコボコ。 擦り合わせでき

          ギターの話①

          余裕

          「忙しくて寝る暇がない…」 「このまま朝まで作業だ…」 昔はこんな自分がかっこいい!なんて思っていました。 そういう生き方に憧れがあったというか。 どれだけ寝てないか自慢みたいなね(笑) だけれど、これは 自分を追い込むばかりで余裕がなくなるだけだと気がつきました。 それを”やること”に充実感を覚えてしまう。 ゆったりする時間は自分を豊かにするし 自分を魅力的にする。 自分の幅が広がるよ。 余裕のある人はとてもかっこいい。 ゆったりサイズの服が自然に着られるようにな

          アイコンタクトの違和感

          わたしはすごいことに気づいてしまいました。 現在、スタジオでバンド練習を行う際はマスクを着用しています。 そんな中で感じた”違和感”。 音を合わせるとき”アイコンタクト”がとても大事だと思っていて 練習の時は特に意識しているのですが マスクをした状態でアイコンタクトをとっても 気持ちが通じ合わないのです。 いや、もうこのメンバーで数年活動しているので すでに通じ合ってるのかもしれないけど 通じ合ってる感覚がない、と言うのかな… みんなの口元が見えない… 楽器のフレーズ

          アイコンタクトの違和感

          気にしなくていいよ

          誰かの心ない言葉や行動に傷ついたり、へこんだり。 昔のわたしはそんな人に 「そんなやつの言ってること、気にする必要ないよ!」とか そういう言葉をかけていたのだけど、 ”気にしないこと”なんてできないよね。 だって傷ついたんだもん。 人生の中ではかすり傷のような、小さな小さな傷かもしれないけど 傷ついたことに変わりない。 だから自分のことを傷つけた人間を 憎んだり、怒ったり、嫌いになったり してしまうものなんです。 時間が経てば忘れてしまうようなことでも 1度受け止め

          気にしなくていいよ

          会食恐怖症②

          前回の続きです。 会食恐怖症①を見ていない方はこちらから。 【大丈夫だったこと】 そんな中でも大丈夫だったのは、 家での家族との食事。  →家族との外食は無理でした。 自分で持ってくる式の食べ放題・ビュッフェ  →いつもみたいには食べられないけど、食べた量がわかりにくいし   食べられるものを食べられる量とれば良いので   残す心配がほとんどなく、とても助かりました。 【してあげられること】会食恐怖症の人にしてあげられることとしては、 料理をとりわけない。  →”辛

          会食恐怖症②

          会食恐怖症①

          意外と知られていないが意外と多い”会食恐怖症” これはわたしの実体験です。 【会食恐怖症とは】まず、会食恐怖症とは何?ということについてですが 簡単に言うと「人前で食事ができなくなってしまうもの」です。 ※〇〇症の1種…とかあるのかもしれませんが そのあたりはネットで専門の方が解説してくださっているので ここでは省きます。 わたしが会食恐怖症だったのは14歳から16歳くらいの時。 症状としては、  行くまでは「大丈夫かも!」と思うが、いざ料理を目の前にすると  気持ち

          会食恐怖症①

          ポジティブが正義?

          ポジティブ(前向き)が正義だと思われているのはなぜなのか わたしにはとても理解できません。 それをメディアが推奨しているように感じるし その方向にもっていこうとしている感じがとても苦手です。 前向き、後ろ向き、人によって心地の良い方向は違うし 今の自分に合っている方でいいと思う。 というか、 どっちでもよくないですか?笑普通に。笑 人の気持ちを型にはめすぎ。 1人1人感じ方は違うのにさ。 生き方だって違うのに。 そのせいで前向きになれない自分を責め、 余計に辛くな

          ポジティブが正義?

          がんばってる

          「がんばりを必ず誰かが見てくれている」 そういう言葉をよく聞くけれど 見てくれていても 知ってくれていても それを認めてくれるとは限らない。 がんばったね、と 声をかけてくれるとは限らない。 期待すると余計辛くなるよね。 結果が出なければ周りの人にそのがんばりを わかってもらうことはとても難しい。 結局そのがんばりは自分にしかわからない。 言い方を変えると 自分にしかわかってあげられない。 だからこそ 自分で自分のがんばりを評価してほしい。 認めてあげてほしい。

          がんばってる

          離れるとき

          最近、人は出逢うべくして出逢い 離れるべくして離れる、と思うようになりました。 今までは、  友達だと思っていたのに...  あんなに支えあったのに...  あんなに好きだと言っていたのに...  と とても悲しく思っていました。 ”傷ついた”と思ったことも多かったですね。 だけれど、それが必ずしも マイナスに働くのでしょうか? その人と離れていいことが起きるようになった!とかね。 離れていった相手が悪いわけではなく 今の自分に必要であったかそうでないか ということな

          離れるとき