パパになって昔みたいに自由に動けない友達のために買っておいたグッズを渡す。 「東京限定のTシャツ、売り切れて……ませんでしたー!」 などとはしゃぎながら、少年モード突入。 ふたりしてお揃いのTシャツ(日本で2日間のみ販売されたTシャツなんて、あとからものすごいレア物になるのでは?)に着替え、ロッカーに荷物を預けて身軽になる。 ここからが問題だ。 開場開演まではそこそこ時間があるから、ビールでも飲みながらほろ酔い気分で待っていたいけれども、飲みすぎて結局ライブ後に記憶
2023年の来日時、「今観て『なんかレッチリも年取ったなあ』とか考えたくない」と思っていて、あれこれ迷った末に行かず、そして後悔した。 後からTシャツだけでも入手しようとメルカリを見漁り、転売価格にキレた。そのうち、日本国内で販売されたものと、アメリカの公式サイトからオンラインで販売された同デザインだがツアーデイトが古く日本の記載がないもの、似て非なるTシャツがあることがわかった。前者のほうが強気価格で出品される傾向があった。 フェイバリットなバンドを見逃した禊として
風呂に入ると癒される、と思いながらも、疲れすぎて風呂に入るのが面倒くさい、とも思う。矛盾している。どう考えても。 いったん浴槽に浸かってしまえば「はあ極楽極楽」なわけだから、面倒くさいのは服を脱ぐ過程なのだろうか? いや、そんなわけがない。どうせ風呂に入らないにしても、外から帰ってきたら部屋着に着替える。絶対に服は脱ぐのだ。 おかしい。つじつまが合わない。 「……ということを考えた」と、誰かに話をする。 「あー、わかるわかる」と共感を交えながら同じ謎を謎だと思うこ
中学生の頃に通っていた塾で、特に仲のいい友達がふたりいた。仮に、向井と森とする。 彼らふたりは小学校からの同級生で、塾に通い始める以前から仲が良かったという。そのことにときどき、非常に嫉妬した。ぼくだけ違う小学校で、塾で出会う以前の彼らを知らなかったからだ。 当時のぼくはいかなる時でも会話の中心に自分がいないと気が済まなかった。読んでいなかった『ドラゴンボール』や『スラムダンク』の話になると「やめろやめろやめろ!ドラえもんの話をしろ!」と冗談半分の体でその実本気でしかな
ダークナイト・トリロジーを観た。 ダークナイト・トリロジーとは、クリストファー・ノーラン監督が作った、バットマン3部作である。 意識しないで観ていたのだが、3作とも2時間半くらいある。フィナーレを飾るダークナイト ライジングに至っては3時間くらいある。なかなかの長尺だ。 映画の内容はさておき。 自分は集中力のない方だと思っていたので、観たい映画を探すときはいつも、1時間40分くらいの映画がいいなあと思っていた。飽きて途中で話がわけがわからなくなる可能性があるから、コ
電車で1番よくあるタイプの7人がけ椅子、左右の端を覗いた5席。それを均等に区切ったものを、各着席者のスペースとする。 そこに座ったぼくは、お腹の前に抱えたリュックの中から、文庫本を取り出そうとする。もちろん極力人のスペースを侵さないように心掛けてはいる。しかしそのとき、どうしても肘が自分のスペースから飛び出している。どうもすみません、お邪魔します、と心の中で謝る。 「ラインを割ったか?割ったか?線審の手が上がった!ファール!ファール!痛恨のファール!」 乗客マンシップに
衝撃の十代、あるいは驚異の新星……なんでもいいけれど、若くして才能のある人が現れたときに、そのような文句が使われたりする。 思春期にテレビやスクリーン、CDプレイヤーを通して憧れていた人々の当時の年齢を、ぼくはぼちぼち追い越している。 10代の頃に椎名林檎の歌詞を読み「言ってることはよくわからないけど、なんか文学的で趣があることはわかるぞ」とか、ジミ・ヘンドリックスのギターを聴き「歌いながらインプロでこんなグネグネしたフレーズ弾くなんて、やべえな」とか思っていた。ア
「すいません。手相見せてもらえませんか?」 噂には聞いたことがあるが、道端で声をかけてくる占い師見習いは実在するのだろうか。占い師見習いではなく、本当は何かしらの悪徳な商売のイントロで、手相を見せていたはずの手には訳のわからない壺を持たされていたりするのだろうか。 年末に、キリスト教か何かの勧誘の人に声をかけられた。 ぼくは「あの、ちょっと、すみません」と声をかけられたら、「今急いでるんで」的な切り返しは、本当に急いでいる場合以外しない。というか、できない。「はい
あなたは、タイムカプセルを開けたことがあるだろうか。ぼくはない。 開ける開けないの前に、埋めたことがあるかどうかがまず怪しいのだけれど、小学校の頃に1度くらいはやっていてもおかしくはない。やったはずだ。やったに違いない。 じゃあ、どこかで開ける機会を逃したのだろうか。10年かけて行われるイベントだとして、開ける日に都合が悪いことは充分考えられる。予備日くらいはあってもいいのではないか。でも、きっと、埋める際には割と開けるときのことはないがしろにしているものなのだ。なんな
あけましておめでとうございます。本年も何卒よしなに。 ファッションや音楽をメインにしたブログを書いている。そこで去年の夏くらいから「クラシックなものはいいけれど、新しいものに目を向けることも怠ってはならない」みたいなことを、色んな言い回しで書いてきた(つもり)。 クラシックなものが何故いいかといえば、いいものだけが残って、ぼくたちは結果だけを見ているからだ。 ファッションに関して言えば、たとえばリーバイスの501だったり、ブルックスブラザーズのBDシャツだったり、
いきなりだが、ロックが好きだ。 2020年を締め括るようなnoteを書きたいと思っていたが、どんな内容ならば相応しいのか、わからないまま大晦日イブである。 ロックが好きだ、その気持ちだけで書き始めてみようと思う。どんな内容になるかは勢いに任せるが、年内最後なのは間違いない。 年末にやるべきこともだいたい済ませて(あるいは済ませたつもりになって)、だらだらと過ごしていた。つい先程まで観ていたのは、野性爆弾くっきー!のYouTubeである。 内容はルイスレザー(名
「好きな食べ物何?」 こんなベタ・オブ・ベタな質問に、いつからか即答できなくなっていた。これならいくらでも食べられるぞ、最後の晩餐は絶対これにしてくれ、そう思える食べ物が特に思いつかない。 以前だったらラーメンだとかタン塩だとか言っていたと思うのだが、今になって「別に1番好きって言い切るほどじゃないだろ」と過去の自分を諌める。 かといって食に興味がないかと言われるとまるでそんなことはなく、むしろお腹が空いていなくてもお菓子に手を伸ばすタイプである。あれ。じゃあ、お菓子
『アナと雪の女王』。このタイトルはもちろん日本限定のもので、原題は『Frozen』である。 そのままカタカナで『フローズン』を邦題にするより、随分センスがいいと思う。 それとは逆に、古い洋楽の邦題には、「なんでそうなった」と言いたくなるようなものが少なくない。ビートルズの『A Hard Day's Night』は『ビートルズがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!』だったり、エアロスミスの『Walk This Way』は『お説教』だったり。 野球のポジションで納得のいかない
10段階で8、9、10レベルの怒りが最近あっただろうか。全然思いつかない。 逆に、若い頃は8、9、10だけでやりくりしていた、なんて話もある。 怒りはかなりのエネルギー源だ。金鉱だ。油田だ。 社会への怒りがなければパンクロックは生まれなかったし、不条理な日本への怒りがなければ厚切りジェイソンは生まれなかった。後者はともかく、前者が生まれなかったら、かなりの損失だ。 歳はとりたくないわねえ、などと言ったところで20歳の感性のままずっと生きていくなんて不可能。いや、
最近、紙たばこの吸えるカフェや喫茶店が相当少なくなってしまった。 ぼくの生活圏内で把握してるところは四つ。 探せばまだあるのかもしれないが、探すためのシステムが完成していない。 喫煙可能な店を探すマップはJTが提供している。だが居酒屋等もまとめて表示されるため、使いにくい。それに、おそらく店の方が自主的に登録しないと反映されないのだろう、ぼくの知っている店はそこに載っていない。今でも紙たばこの喫煙可(電子たばこの喫煙スペースを置いた店は割とある)を貫いているカフェや
ハルというキャラクターを作ってからそれなりの時間が経った。こう書くと他人ごと、あるいは多重人格みたいだけれど。 ハルという名はただのハンドルネームであり、自分の名前とは全く関係がなく、関係がなければないほどよかった。 当時、実生活で言いたくても言えないようなことを言う場として、ぼくの前にはインターネットがあった。リアルとネットは交わるものではなく、交わらせたいものでもなかった。だからSNSで直接の知り合いなどは一切フォローせず、アカウントの存在も教えず、ただただネット