情熱は約束を守る
風呂に入ると癒される、と思いながらも、疲れすぎて風呂に入るのが面倒くさい、とも思う。矛盾している。どう考えても。
いったん浴槽に浸かってしまえば「はあ極楽極楽」なわけだから、面倒くさいのは服を脱ぐ過程なのだろうか? いや、そんなわけがない。どうせ風呂に入らないにしても、外から帰ってきたら部屋着に着替える。絶対に服は脱ぐのだ。
おかしい。つじつまが合わない。
「……ということを考えた」と、誰かに話をする。
「あー、わかるわかる」と共感を交えながら同じ謎を謎だと思うこと。これがぼくが描いていた画である。
ところが時々、「それは、つまりね」と答えを知っている人がいたり、「ググってみよう」と調べてくれる人がいたりする。
そうじゃないのである。善意の彼らになんの罪もなく、知っているのに知らないふりをしてもらう必要なんてまるでないのだけれど。
ぼくがやりたかったのは、ネットがない頃にうんうん唸りながらクリアできないゲームの攻略法を必死で探していたような、誰も来ない空き地に秘密基地を作っていたような、自分たちのささやかなオリジナルを編み出す行為だ。
2021年においてこんなことを考えているのは前時代的かもしれない。答えがすぐそこにあるならば見たらいい、というのもわかる。
しかしそれでも、なぞなぞの解答なんて、なくてもいいのかもしれないな、とぼくは思う。明かされないままわからないことは、いつまでも楽しませてくれる。
知ることよりも、考えることのほうがきっと好きなのだろう。どちらが有益かなんてそんな話ではない。
20人の兵隊が、黒い帽子を被っていました。
そこに村人がやってきて、「もうこの国は平和だよ」と言いました。
兵隊たちは帽子を脱ぐと、雨も降っていないのに傘をさし、めいめい家に帰りました。村人は「もしかしたら、まだ平和ではないのかもしれない」と思いました。
何故でしょう。
風呂に入るのが面倒くさくなってきた。
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