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賑やかな未来

 衝撃の十代、あるいは驚異の新星……なんでもいいけれど、若くして才能のある人が現れたときに、そのような文句が使われたりする。
 
 思春期にテレビやスクリーン、CDプレイヤーを通して憧れていた人々の当時の年齢を、ぼくはぼちぼち追い越している。
 10代の頃に椎名林檎の歌詞を読み「言ってることはよくわからないけど、なんか文学的で趣があることはわかるぞ」とか、ジミ・ヘンドリックスのギターを聴き「歌いながらインプロでこんなグネグネしたフレーズ弾くなんて、やべえな」とか思っていた。アホなガキなりに、彼らがどうしようもなく才能に満ちていることはわかった。
 椎名林檎が『無罪モラトリアム』をリリースしたのは20歳。ジミヘンは歌って、ギターを鳴らして、燃やして、27歳で死んだ。

 アホなガキとは言ってられない年齢になった今でも、当時の自分と大して変わらない感覚で、彼らの才能は遠くに感じる。いまだに31歳のぼくは、20歳の女の子が作ったアルバムを聴いて、「言ってることはよくわからないけど、なんか文学的で趣があることはわかるぞ」と圧倒されるのみなのである。
 椎名林檎も、ジミヘンも、若くして才能があったと言うよりも、才能に年齢なんて関係がないのだろうと最近わかった。人生に費やした時間が短いからすごいわけじゃない。逆にどれだけ時間をもらおうと、ぼくに彼らの真似はできないだろう。
 年齢で才能を判断するなんてナンセンスだ。子供だろうと年寄りだろうと、すごいもんはすごい。

 ちなみに椎名林檎とジミヘンという人選はキャッチーであるという理由だけで、そこまで深い意味はない。

 才能、つまり生まれながらの向き不向きというのは確かに存在しているけれど、それで片付けるのは卑怯だろうとも思っている。ここまで書いておいてあれだけど。
「うわー!歌うまい!才能あるんだね!」
 歌はサッカーでも陶芸でも好きなものに置き換えてくれて構わない。
 まるでそいつが才能だけでことを為したみたいに言うのは、いかがなものか。イチローが才能だけであそこまでいったわけないだろう。めちゃくちゃはちゃめちゃ努力したからなんだよ。

 ぼくはたぶん死ぬまでアイスホッケーをやらない。でも、人生でやらないだろうことに才能が与えられている可能性がある。
 そう考えると、まだ触れていない何かに対峙するとき、いつもドキドキするのだ。挑戦し、力を尽くす。年齢なんてどうでもいいんだから。

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