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この現実というもんは


私たちは瞬間ごとに一喜一憂してしまうことが当たり前になってしまった。
目に映るもの、耳で聞こえること、肌で感じること。
目の前にあるそれらを、どのように捉えてしまっているのだろう。
今この瞬間の自分を注意深く観察してみるとどうだろう。
あなたは今どんな感情をこの瞬間に体験しているのでしょうか。

こうして考えてみると、私たちには
「感じる」という特性を与えられているね。

・五感で感じることができる。
もしくは
・何も感じない。
これだって「何も感じない」ということ感じていることでしょうよ。

結局は何かを感じて、瞬間ごとを過ごしているんよね。

問題なのは、
その出来事に伴う感情が「当然」のことのように受け取っていることでしょう。

何が起きても、起きなくとも
幸せを感じ、心の平穏を保ち、喜びを見出している、そんな瞬間の連続である人もいるのです。

または
それがネガティブなのかポジティブなのか、
そんなことが重要なわけでもなく
目の前の出来事に一喜一憂してしまう心がそこにあるだけ
なんだと気づくこともできます。



この地球での感じることっていうのは
”ネガティブを体験している” ”ポジティブな体験をしている”
だけであって

本来、出来事にはネガティブもポジティブもなく
「ただ起きているだけ」

ただそれだけです。

では多くの人が無意識に体験していること
何が起きているかといえば
あなたのその体験に”ネガティブ””もしくは”ポジティブ”な意味づけをする癖がついてしまっているんだ。

その瞬間、この瞬間ごとに
何かが起きては 
”・・・最悪だ” ”感じ良くないな” とか

何かを見ては
 ”あれは良くないことだべ”  ” これは許されないことでしょうよー!”
ってね。

これが当然のことのように過ごしているんです。
無意識に行っている行動は
目の前の出来事に
「ジャッジをしている」
「批判している」
という行為。


何度も言いますが
出来事は
「ただ起きているだけ」です。

自分自身がどのように生きるか
どのような心でありたいのか
そこに直結しない出来事に目を向けることが
どれくらい重要なことなんでしょうか。

今どうしようもなく
とても大変で辛い状況にいる方が
もしいるならば
その出来事にを離れたところから観察して
「だからって、それがなんなんだろう」
とでも、言ってやってください笑

そこから動かなければ
あなたは自分が嫌だと思う思考や感情に
どんどん巻き込まれてしまうでしょう。

そんな肩を落として過ごす状況が気に入らないのであれば
自分好みのチャンネルに切り替えて、
そこでの体験を満喫すれば良いのです。

私たちは思い癖を誰もが持っています。
起きた出来事にあーでもないこーでもないと
自分を居心地の良くない場所に留まらせようと無意識に選択しようとします。

ですから
何度も言いますが
出来事は「ただ起きただけ」です。

気に入らない出来事であれば、
好き勝手に
自分の気にいる出来事に、
自分の笑顔になれる意味を勝手につけてしまう!!!
笑える意味でもつけてしまう!笑笑

そして
目の前の出来事に
「ジャッジをしている」
「批判している」
そんな自分を見つけることができたら、

手放すだけです。


全てはこの「今」という瞬間に全てがあります。
今この瞬間に全てがあるのです。
(同じことを2回言ってるだけね)

今のあなたはどのような体験をしているのでしょうか。
それが力を奪われるような無気力なものであるのか、
心地よい感情を伴うものなのか。

気分が良くない時は
より良く感じたいと思うでしょう。
今この瞬間を受け入れ
自分自身を愛することへの
機会が今ここにあるのです。

自分自身への思いやりをもつチャンスです。

自分から選択したい体験へと
フォーカスしようとしなければ
病んだ現実から活力に満ちた現実への移行はできません。
これは大切なことです。


今この地球ではさまざまなことが繰り広げられているように”見える”けれども、自分自身がどこに目を向けて、心をよせるのかは、私たち一人ひとりの自由意志で選択できるのですから。

私は自分自身の真実を体験したい。
それは愛である自分自身を、この身をもって実証していきたいのです。
ほんとうのわたしに還っていくこの旅は
壮大でパワフルで、どんな感動的な映画よりも
魅力的で希望に溢れた旅であることに
日々感じているところです。





「体験はその人の心から生まれます」
すでにそうである自分自身にアクセスし踏み出せば
その瞬間、そこで変わることがわかるはずです。


愛を込めて






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