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今日のあの人は優しさ80%、的な。


人を「いい人」とか「悪い人」とか「冷たい」とか「優しい」とか聞く時に、心の中でよく思う。


「どのくらい?」と。


言い切って決めつけてしまう時に違和感を感じるのかもしれない。


そんな事にいちいち突っ込みして会話の流れを止めるのも面倒だし、その場のニュアンスで受け取ってテキトウに流すけど。



面倒くさいことを言わせてもらうと


人間て、その時々でけっこう自分本位に捉えていたりするものじゃないかなーと思う。


自分にとって都合のよい対応をしてきた人に「いい人」と感じる時とか、その逆も然り。


受け取る側の自分の心理状況と、相手の心理状況の組み合わせにもよるだろう。


自分が多忙過ぎて余裕を失っている時なんかは、余裕のある時には気にならないような些細なことでも癇に障ったりしているものだ。しかも無意識で。


そういう時って、余裕のある時には苦手度20%くらいな相手が苦手度90%くらいになっていたりする。

それで「嫌い」とか「私の感情を乱してくる悪いヤツ」の評価を下してしまったり。


案外、相手には悪気がないこともあるかもしれないのに。


元々相性があまりよくないとか、会話がかみ合わないとか、苦手に感じることにはあまり変わりなかったりするのだけど、決めつけてしまうと人間関係があまりにも窮屈なものになってしまう。


そう感じる自分の感情は悪ではないから、自分の感情も大事にしてあげたいけど。


だから「嫌だな」と感じたらその気持ちはそのままに、

相手へ「罰」を与えるような言動や、周りを巻き込んで相手の人格や性格を分かったように決めつけない方が、自分のためにも平和なんじゃないかと。



けっこう人の評価がコロコロ変わる人がいるが、多少の限度はあるにしてもそれはそこまでおかしなことでもないのかもしれない。

短期間の間に極端にブレる人でなければ。



考えてみたら、自然の天気や季節だって日々刻々変動している。


人の心、感覚もどこかお天気みたいなところがある。


好き、嫌いの感情だって、わりとその時々で変化していったりすることもあるものだ。


人の根本的キャラはそんなに簡単に変わることはないかもしれないが、それ以外の構成要素って年月と共に変化していくものだ。


「人の噂も七十五日」という諺があるけれど、それほどに人が人へ下す評価や興味って変わりゆくことが自然なのだろう。


不祥事を起こした人が叩かれまくって永遠に抹殺されてしまうのも、ちょっと哀しい。


罪は罪であり単に甘くすべき、という事ではないけれど。


「その時のその人にとってはそうなってしまった」「だけど(罪をしっかり自覚し償ったとしたら)300日後のその人はどう変化しているのだろう」みたいな緩めの視線で人間を見た方が、もう少し人にやさしい社会になりそうだ。


「罪」を一括りで語るのは雑すぎてしまうし、ここを掘り下げると色々と難しい問題になってしまうので掘り下げないけれど。



だから、時々刻々変動する天気みたいに「今日の私にとってあの人は優しさ80%に感じるわ」
という言語で表現してくれたらもっとすんなり腑に落ちるんだけどなー。


そして、いい人とか悪い人とか優しさや冷たさとかって、決めつけない方が人付き合いがもう少し気楽になるんじゃないかなー。



まぁ会話って数学じゃないから、聞いている自分がそれを100%に受け取ったり、真に受けなければいいだけの話なのかもですね。


そんな心の声でした。





終わり




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