神谷よしえさん(前編)ブランディングとは軸のぶれない「伝承」 【Creative Journey】
戦略クリエイティブファーム「GREAT WORKS TOKYO」の山下紘雅による対談連載企画。さまざまな分野のプロフェッショナルの方との、クリエイティブな思考の「旅」を楽しむようなトークを通して、予測不能かつ正解もない現代=「あいまいな世界」を進むためのヒントを探っていきます。
第2回のゲストは、生活工房とうがらし主宰・神谷よしえさん。同工房を拠点に「生活の伝承」に取り組みながら、自ら握ったおにぎりを手渡して元気を届ける「にぎりびと」として活動する神谷さんには、さまざまな業界にファンがおり、山下もその一人。銀座にある大分県のフラッグシップショップ「坐来大分」を会場とした対談の前編では、神谷さんの活動を形づくった過去の経験を中心にお話を伺いました。
食や生活の在りようを伝え継ぐことについての考えを聞きながら、まず山下が見出したのは、自身の仕事であるブランディングと「伝承」との共通点でした。食とクリエイティブという異なる分野を生業とする二人が生み出す対話を、ぜひお楽しみください。
プロフィール
おにぎりを通じてつながった二人
山下 今日はお忙しいのにお着物まで着ていただいて、なんだか恐縮です。
神谷 全然気にしないでください。おにぎりを握るんですから、やっぱりこの服装じゃないと。
山下 「にぎりびと」の正装ですね。今回の対談をご依頼した時に、「おにぎりを握りますね」と言っていただいて。対談はもちろんですけど、よしえさんのおにぎりをいただくのも、すごく楽しみにしていたんです。
神谷 せっかくの機会ですからね。まずはおにぎりを食べていただいてからお話がしたかったんです。
山下 ありがとうございます。おにぎりを握る前の日は、お酒を飲んだり香りの強いものを食べたりしないとお聞きしましたが、今回もそうして身を清められたんですか?
神谷 それはもちろん。おにぎりに手から余計な香りが付いてはいけませんからね。身も心も整えてお米と向き合うんです。さあ、どうぞ。
山下 ……うんっ! ふわふわ、熱々。
神谷 私のおにぎりは、「湯気がご馳走」ですからね。お米で閉じ込めた湯気と一緒に、「ハフハフッ」と言いながら食べるのは、炊き立てごはんのおにぎりならではです。
山下 こうしておにぎりを手渡しでいただくと、よしえさんに初めて会った時のことを思い出しますね。
神谷 昨年末ですよね。(株式会社スマイルズ代表の)遠山正道さんが主宰するコミュニティ「新種のimmigrations」の忘年会でお会いしたのが最初。
山下 会場のカウンターで、おにぎりを握っている人がいて。それがよしえさんだった。
神谷 おにぎりを食べた山下さんが、「もうひとつください」って言ってきたんだけど、「次のごはんが炊けるまで待ってて!」って(笑)。
山下 それで、2個目をいただく時に、「これ、何をされているんですか?」と尋ねたんですよね。おいしいとか、そういうこととはまったく別の何かを感じ取ったからだと思うんですけど。
神谷 そうでしたね。私とご縁が続く人って、最初にそういう質問をするんですよ。実はおにぎりの味に関心が向く方とは、その場以上の関係になることはあまり多くないんです。だって、おいしい料理をつくる人なら、ほかにもたくさんいるわけですから。あくまで私は「ごはんはエール」をテーマに、おにぎりを通して元気を届ける「にぎりびと」。
山下 よしえさんに対してもそうでしたけれど、私は仕事関係で出会う人とも、「この人は一体、どんな人なんだろう?」という視点から入ってしまうんです。それで「もっと知りたい」と感じるような人とは、不思議と相性がいい。よしえさんと出会ってまだ数か月なのですが、僭越ながら私としては共感し合える部分が多いと思っていて。
神谷 それは嬉しいですね。私も山下さんとは、似ているところがあると思っていますよ。私も「陰」のような魅力がある人に興味を引かれがちで、山下さんにも最初に会った時にも、それを感じましたね(笑)。
山下 なるほど、陰ですか(笑)。今日は対談の機会を借りて、私のそんな陰の部分が現れてくるかもしれません。というのも、よしえさんは「にぎりびと」であり、日本の食文化をローカルから発信する「ライスツーリズム」の提唱者であり、そしてゆずごしょうを広める「マダムゆず」と、さまざまなお顔をお持ちですが、私としては「悩みを聴くプロ」だと思っているんです。
神谷 確かに、「にぎりびと」として企業やイベントなどでおにぎりを握り、佐賀県嬉野市の旅館・和多屋別荘では「おにぎり神谷」の暖簾を下げて、特産の嬉野茶とともにお客さまをもてなして。そういうなかでたくさんの方とつながり、悩みをお聴きする機会も多くなりましたね。
山下 今日は、よしえさんが日々人の悩みに耳を傾けるなかで、何を感じていらっしゃるのかもお伺いできればなと。その流れで、自然と私の悩み相談になっていく気がしているんです。
神谷 分かりました。私だけしゃべりすぎないように気をつけないとね(笑)。
「映え」「コスパ」に揺らがないテイストを
山下 お食事が運ばれてきましたね。大分産の魚に地鶏、お野菜にお米……どれも新鮮でおいしそう!
神谷 すみません、今日は私のわがままで会場を決めてしまって。でも、対談をするならぜひ、この「坐来大分」でと思ったんです。
山下 わがままだなんて、とんでもない。素敵なお店をご紹介いただき、嬉しい限りです。大分県のフラッグシップショップとのことですが、お食事処としてのこだわりにあふれていますよね。
神谷 大分県の郷土料理を銀座のスタイルでお出しして、都心にいながらにして大分を感じてもらうのが、この場所のコンセプトなんですよ。
山下 大分県というと、よしえさんの出身地ですが、このお店にはどのように関わっていらっしゃるんですか?
神谷 うーん……お店によく顔を出して、あれこれ言う「おせっかいおばちゃん」ですかね(笑)。もともとは、2005年に大分県がこのお店の開設準備室を立ち上げた時に、私の母が食の監修に入ったんですよ。
山下 伝承料理研究家の金丸佐佑子さんですね。郷土の食文化を伝える「生活工房とうがらし」を立ち上げた方。
神谷 そうですね。生活工房は母が2020年に亡くなる前に私が引き継いでいて、それまでも手伝いはしていたのですが、お店の立ち上げに関しての私の立場は、大分県のファンの一人でした。せっせとパブリックコメントを書いて、県の方に「担当者の皆さんで回覧してください!」なんて言ったり。
山下 そういうところから、「おせっかいおばちゃん」の立場になられたと。
神谷 はい。立ち上げ当初からの思い入れがあるので、今もお店のテイストがきちんと引き継がれているかどうか、気になるんですよね。「映え」とか「コスパ」とか、世の中の流れのなかで、食って簡単に軸がぶれてしまうものです。だから定期的に顔を出しながら感想を伝えて、軸がぶれないようにおせっかいしている。お店のスタッフ研修を、生活工房で受け入れたりもしていますね。あと、当時のパブリックコメントを「ぜひ読んでください」と、いまだに県の方には言うんです(笑)。県の担当者は定期的に異動がありますから、人が代わってもコンセプトを受け継いでいただきたくて。
山下 そうして軸をぶらさないことが、地域の魅力を伝えるフラッグシップショップの役割を果たすことになるわけですね。今のお店づくりのお話には、私もすごく共感できて。というのも、私が企業などのブランディングをお手伝いする時の考えと重なるんです。「ブランディング」は「ing」という現在進行形で表現されているように、ブランドを確立するためには「同じものは同じに」という基本をとにかく徹底的にやり抜き、そこにどう変化を加えていくかという発想でなければいけない。それも、「パッと見は同じだからいいだろう」ではなくて、よしえさんがおっしゃるように、軸の部分をきちんと理解しながら維持・発展させる必要があると思っているんです。
神谷 分かります。そうした取り組みの継続があってこそ、独自性が生まれるんですよね。
祖母から学んだ「生きる力」が食のプロを惹きつける
山下 お母さまのお話が出たところで、よしえさんが拠点にされている生活工房の成り立ちについて、あらためてお伺いできますか?
神谷 母はもともと家庭科の教員だったんですが、全国一律で同じ料理を教えていていいのだろうかという疑問を長らく抱いていて、地域に伝わる料理を伝承するための施設を1997年に開いたんです。それが「生活工房とうがらし」。日常の食を見直すための非日常の空間として、台所だけが設けられた建物です。
山下 「生活工房」というネーミングには、こだわりを感じますね。
神谷 母は料理を中心に活動していましたけれど、衣食住を含めた「生活の伝承」を意図していたんです。私自身は料理の道を歩んできたわけではありませんが、食を中心に生活の伝承をしていこう、という考えは受け継いでいます。
山下 子どもの頃から、「生活の伝承」について、お母さまから教わってきたんですか?
神谷 いえ、母はとにかく熱心な教員で、忙しく働いていましたから、家庭で何かを教わる機会は少なかったんです。暮らしのあれこれは、母方の祖母に仕込まれました。お米の炊き方に浴衣の縫い直し、編み物と、本当にいろいろ。小学校低学年の頃から、「今日は味噌をつくる日だから、学校が終わったら早く帰っておいで」なんて言われたりして。
山下 そういう毎日を、子ども時代のよしえさんは嫌だと思わなかった?
神谷 どこの家もそれが普通だと思っていましたから、嫌だということはありませんでした。あとは、畑で何種類もの野菜のつくり方を教えてもらったりもしましたね。
山下 生活力というか、「生きる力」の英才教育を受けていたみたいですね。
神谷 祖母は、そう立派なこととは考えていなかった気がします。良妻賢母を女性の理想像と信じる人でしたし、畑での野菜づくりもきっと、戦時中に食に困った経験から、孫に教えておきたいと思ったんじゃないでしょうか。
山下 どれも特別ではなく、生活に最低限必要なこととして伝えていたと。
神谷 はい。でも思い返すと、「にぎりびと」としての原体験は、そんな祖母と交わした会話のなかにある気がします。
山下 それはどんな会話ですか?
神谷 ある時おにぎりを握ったら、祖母が「よっちゃんのおにぎりは美しいね」と言ってくれたんです。おいしいではなく「美しい」。おにぎりを「美しい」と捉える感覚は、祖母が教えてくれたなと。それに祖母からは、どんな風にお米ができるのかを、実際の田んぼでひと通り学ばせてもらいましたね。
山下 なるほど。一流店のシェフや大手企業の役員などが、よしえさんにアドバイスを求めるのは、そうしたよしえさんならではのバックグラウンドに、「自分たちにはないもの」を感じているからかもしれないです。
神谷 確かに、知識だけでは補いきれない、ある種のもどかしさを抱えた方が、私を必要とされるのかもしれません。専門的とされるような食の知識も、ある程度の時間をかけて勉強すれば身に付けられますが、私の経験は、血のつながりや家族との関係性などをひっくるめた、もっと深く、長い時間をかけて得たものだとは思います。
伝えたいのは人の想いと尊い営み
山下 先ほど、「にぎりびと」としての原体験をお話しいただきましたが、そこから現在の活動に至るまでには、どんな経緯があったんですか?
神谷 高校時代から、お弁当は自分でつくったおにぎりでした。子どもたちにお弁当を持たせ続けた18年間でも、おにぎりはよく握りましたね。ほかにも、知り合いの料理人の方などに差し入れとしておにぎりを持って行ったり。そんなことをしているうちにご縁がつながり、「ライスツーリズム」を提唱するなかで、「にぎりびと」と名づけていただいたんです。
山下 よしえさんは、「ごはんはエール」を、まずお子さんたちに対して体現されていたんですね。
神谷 そう言うと立派なようですけれど、当時の私にはお弁当をつくるくらいしか、できることがなかったんです。だからこそ、子どもたちが後になって振り返った時に、いつもお弁当を持たせてくれたということだけは、心に残っていてほしいと思っていました。子どもといえば、娘がつい最近、結納を済ませたんですよ。
山下 インスタグラムで拝見しましたが、よしえさんと娘さん、どちらもお着物姿で、「慶ばしい日」と一言が添えられた、とても素敵なお写真でした。最近は、結納をする人も少ないですよね。
神谷 昨今のジェンダー観とは決してマッチしませんからね。私自身も、結婚した時にはやらなかったんです。でも、親類への感謝を伝える機会として大事にしたいなと。それに、娘には着物を着る経験もしてほしいし、「母から受け継いだ晴れ着を着せてあげたい」という親心を知ってほしかったんです。もしも娘に子どもが生まれて結婚するという時、彼女が結納をどう考えるかは自由だと思っていますよ。
山下 ただ、そういう機会があるということだけは伝えておくべきだと。
神谷 何であれ、伝承された「型」を知っていてやらないのは「型破り」でいいのですが、知らずにいるだけでは「形無し」だと思うので。大切な文化は継承したいですよね。
山下 それもまた、「同じものは同じに」を徹底しながら変化を加えていくという、ブランディングに通じる考え方ですね。よしえさんのお話を聞いていると、ただ単に「型」を大事にするだけではなく、そこに込められた本質的な意味や想いを伝えていこうとされているように感じます。
神谷 確かにそうですね。私が「にぎりびと」としてお米を扱う根底にも、そういう考えがあります。過去の営みの上に今の暮らしがあるのに、現代の世の中はそれを忘れがちじゃないですか。私は日本人にとって「お米はアイデンティティ」と表現しているんです。お米を食べる喜びって、日本人にはDNAレベルで刻まれているはずで。おにぎりを食べた時の幸せな感覚から、今の自分の生活の尊さに気づいてほしいんですよね。
(後編に続く)
2024年4月8日、坐来大分にて。
編集・執筆:口笛書店
撮影:嶋本麻利沙
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