流しの地方公務員M

地方公務員兼アマチュアミュージシャン。弾ける楽器はローテナーパン、ダブルセコンドパン、…

流しの地方公務員M

地方公務員兼アマチュアミュージシャン。弾ける楽器はローテナーパン、ダブルセコンドパン、ジャズギター、鍵盤ハーモニカ、ベース。大分県在住。 所有する資格は保育士、社会教育主事、食品衛生責任者。

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はじめましてと自己紹介

大分県に住むシガナイ地方公務員です。以前からnoteの存在は知っていましたが、ある日人生初の入院を余儀なくされ、あまりにもそのドラマチックな展開に「これは手記を残すしかない!」と、この世界に飛び込みました。 入院はキッカケですが、このnoteでいろんな方の考え方に触れることにもなり、むしろ入院体験に感謝しているくらいです。 私の自己紹介のプロフィール記事です。よろしければご一読ください。 【ステータス】 名前:パンくんみやかわ 性別:男 職業:地方公務員 年齢:51歳 星

    • 大分市竹町通商店街竹町ドーム広場・カラー舗装路の使用許可申請手順

      1.大分市竹町通商店街振興組合に「竹町ドーム広場・竹町カラー舗装路上利用申込書」に加え、「竹町ドーム見取り図」に占用状況を記載し提出する(原則占用の3カ月前まで) 2.同組合の理事会にて申込書を審議 3.同意書が発行されたら取得(ここまで無料) 4.大分市公式ウェブサイトで「道路占用許可申請」のページを検索し、「道路占用許可申請書」と「誓約書」をダウンロードし必要事項に記載する。 https://www.city.oita.oita.jp/o162/machizukuri/

      • 見た目年齢と実年齢のギャップ

        20歳のとき、とある夜の社交場の女性従業員から「32歳くらいですか?」と言われたことがある。 52歳になったいまも脳裏に残っている。 だからといって恨んではいない。 学生時代からフケ顔寄りだったことは認知している。  目の下にはクマが常時あるし、ヒゲも濃い。 ここのところ、テレビ番組に出てくるベテラン歌手を見かけては、ついネットで実年齢を調べてしまう。 「いつまでも若いよね」だの、「ウチの親父と同い年とは思えん」だの画面に向かってつぶやいている。 人の見た目年齢

        • 『社会教育主事』資格を取得したよ(1996年)

          社会教育法(昭和24年法律第207号)第9条の2では「都道府県及び市町村の教育委員会の事務局に、社会教育主事を置く。」と規定されている。 平成5年4月から社会教育係に赴任していた私は、平成8年にその資格を取得すべく、その年の7月から8月の約1か月間、福岡県に滞在した。 社会教育主事講習の主催者は九州大学で、かつては大学近くのマンスリーアパートを借り、そこから大学へ通うスタイルだったそうだが、私の時は篠栗町にある福岡県立社会教育総合センターに滞在し、そこに講師が通う形式だっ

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        • 私の音楽歴回顧
          2本
        • 入院手記2020
          2本

        記事

          かつて一世を風靡したメカ「CDチェンジャー」

          クルマに金をかけるのは若者ならではのステイタス。 ホンダインテグラに乗っていた(1989-1995)僕は、純正のカーステレオ(ラジオ・カセットのみ)にFMトランスミッター経由で取り付けができることを知り、アルパイン製のCDチェンジャー購入、トランクルームに設置した。 おかげで長距離ドライブがさらに快適になったし、どのCDを選定するかも楽しみのひとつになった。 運転席のカーステレオ横に液晶表示のコントローラーを貼り付けた(マジックテープ)、やや不格好なしつらいだったが、嬉

          かつて一世を風靡したメカ「CDチェンジャー」

          思い出の学校給食:牛乳編

          給食で出された牛乳にまつわる逸話は数知れず。 ちなみに、自身が小学生だったころは、飲み口に紙製の蓋、その上から薄い紫色のセロファンをかぶせた瓶入りのものだった。 本題に入る前に、そのセロファンの使い道。 中心に画鋲の針を貫通させて、針と反対側にセロファンを絞り込み、輪ゴムで縛ると、即席ダーツの完成。 教室の壁に投げてよく遊んだ。そして、まもなく禁止令出されるの巻。 さて、牛乳だが、何と言っても「ミルメークコーヒー」の出現に心躍った。 これは、ひと月に1度か2度ほど

          思い出の学校給食:牛乳編

          小学校のときの学習教材って、なんであんなにワクワクできたんだろうか。

          自身にとってのお気に入り代表格は「水彩画セット」だろう。 手提げバッグの中に絵具、筆、パレット、折りたたみできるビニル製のバケツが揃っているので、校外での写生などにはもってこいだ。 あと、書道セット。これは書道塾でも重宝した。 小学校入学時には「算数セット」なるものもあった。もっぱら算式を可視化するためのもので、麻雀のリーチ棒みたいなものや、花をかたどったものなどもあった。 小学校の教室には、黒板でのみ使用するようなデカい三角定規や分度器、あと、スケボー並みに大きなそ

          小学校のときの学習教材って、なんであんなにワクワクできたんだろうか。

          思い出の味回顧:豊島食堂(大分県豊後高田市)

          思い出といっても、まだ現存していますが。 昭和の町として有名な大分県豊後高田市にある「豊島食堂」は、自身が子どもの頃、たびたび両親に連れて行ってもらった食堂だ。 たいていは夜で、母が運転することをいいことに、父親は焼き鳥にビールをあおっていた(ような気がする)。 自分と弟は決まって「豊島ランチ」。 エビフライやスパゲッティ、チキンライスなど、いわば子どもの好きな王道メニューというところか。 この食堂の一角にブラウン管テレビが置いてあり、あるとき通された場所がテレビの

          思い出の味回顧:豊島食堂(大分県豊後高田市)

          『自転車免許証』のお話

          自身が通っていた小学校には、おそらく全国的にも珍しい「自転車免許証交付制度」があった。 道路標識の知識や運転技術を学校独自に判定するもので、小学3年生以降の毎1学期に運動場で行われていた。 恐らくその事情はこうである。 小学校から5キロほど離れた場所に同校の分校があった。 かつてはその分校だけで卒業まで進級させていたらしいが、児童数が減り、いつの時点からか、小学校3年生から本校通学となった。 その際の通学の「足」として、自転車通学を許可したらしい。 しかし、全児童

          『自転車免許証』のお話

          思い出のスポット:スギノイパレス(別府市)

          別府市の観海寺温泉に温泉リゾート施設「スギノイホテル」がある。 併設しているアミューズメント施設の「スギノイパレス」といえば、幼少の頃、何度も親に連れてきてもらった思い出の場所でもある。 立ち寄る場所でまず思い出すのは「劇場」。 客席は座敷で、もっぱら温泉あがりの客向けにアルコールやおつまみを販売している。 ステージにはカラオケセットが置かれ、酔客が自慢ののどを披露するのがいつもの光景だった。 たまにプロ歌手の営業もあり、一度、松本伊代を見に行ったこともある。 過

          思い出のスポット:スギノイパレス(別府市)

          深夜に侵入!?自動車学校の思い出

          通っていた大分県立高田高等学校には普通科と商業科があった(1987年当時)。 商業科では仮卒前に就職が決まった生徒は、仮卒前でも自動車学校に通うことが許可されていた。 聞けば、仮卒後は自動車学校が混雑し、免許取得までに時間がかかるとの情報を得たので、普通科で就職を決めた自分は、担任に願い、自動車学校通学を特別に許可してもらった。 当時、高田自動車学校は、生徒が希望する先生と希望する受講時間を自由に選べる仕組みだった。 受付カウンターに全講師が縦軸に、時間割が横軸に書か

          深夜に侵入!?自動車学校の思い出

          公務員試験受けまくり(1987年)

          高校3年生になる直前のこと(1987年)。 隣町の高校に通う中学時代の同級生が「大学受験の滑り止めに公務員試験受けようと思っている」と告げられた。 「うちは貧乏なんだから、私立大学進学はダメよ」とかねてから母に言われていたし、検討してみることとした。 調べてみると、公務員試験のうち一次試験は「一般教養試験」と「適性試験」で構成されていることがわかった。 このうち、一般教養試験は、普通科課程で習う学習内容と重なる部分が多い。 3年生になり、もっぱら商業科棟で開催される

          公務員試験受けまくり(1987年)

          僕は下戸です。

          僕は基本的にお酒が飲めない。 お酒を飲んだ際の症状にはいろいろあると思うが、僕の場合は「平常心が保てない」「すぐ眠たくなる」がもっぱらだ。 「平常心が保てない」 お酒を飲むと大抵ドキドキが止まらなくなる。 ワクワクでなくて動悸に近い。 アルコールを飲んで陽気になったり、おしゃべりが止まらないということはない。 とにかく、憂鬱な気分にしかならない。 「すぐ眠くなる」 どうかすれば一次会のうちに寝てしまう。昼間の結婚式でも途中からは睡魔との闘いだ。 以前、スキー

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          驚異の日刊学級通信

          小学校時代、豊後高田市在住のYという男性教諭が4年生からの3年間、担任だった。 このY先生、学級通信を発行していたのだが、週一とか月一でなく、毎日という驚異の頻度だった。 それも、ワープロでなく、すべて手書きレタリングによるものだった。 B4用紙の片面に万年筆やフェルトペンでびっしりと埋め尽くす。社会人になった今から思えばかなりの作業だったろうことが想像できる。 記事の内容といえば学校行事のお知らせ、明日の持ち物備忘録、身体測定結果などなど。 中には学校で起きたミニ

          驚異の日刊学級通信

          我が家に伝わる数式「曜日を当てる計算式」

          母方の親戚に算式に詳しい人がいたらしく、その人が、特定の年月日が何曜日であるかを当てる数式を発明しただとか。 以下に記します。 まず、あらかじめ以下の情報を記憶しておく必要があります。 1月=「0」 2月=「3」 3月=「3」 4月=「6」 5月=「1」 6月=「4」 7月=「6」 8月=「2」 9月=「5」 10月=「0」 11月=「3」 12月=「5」 その年の1月1日が何曜か(2021年であれば金曜日) それでは、例題をもとに、曜日を割り出す手順をお示しします(

          我が家に伝わる数式「曜日を当てる計算式」

          子ども時代の遊び回顧:ヨーヨー

          1970年代後半。 全国的にヨーヨーが大流行した年があった。小学校3、4年生頃だったろうか。 コカ・コーラの販促品に採用されたいわゆる第三次ブームのことのようだ(ウィキペディア情報)。 記憶では、ファンタロゴの入った緑色のタイプと、コカ・コーラロゴの入った透明なタイプの2タイプがあった。 個人の好みにもよるのだろうが、僕はほどほどに重量感のあるコカ・コーラロゴのタイプが扱いやすかった。 犬の散歩とか、宇宙遊泳とか、様々な技もトライした。 そしてたいていの末路は、使

          子ども時代の遊び回顧:ヨーヨー