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高齢女子より「他人との比較で苦しい」人へ

お邪魔します。凜です。

「心穏やかにすごせる方法を知りたいです」
「前向きな考え方の秘訣をお聞きしたいです」

以前Twitterで”70代高齢女子に聞いてみたいこと”を募集しましたら、こんなご質問をいただきました。

今日は、つい他人と比較してしまって苦しい思いをしている方にお届けしたいnoteです。

他人を羨み「自分ばかり」と思っていた少女時代

今でこそみなさまには『自分軸を持つこと』が大切だとお伝えしているおばあさんですが、過去には他人と比較して悲しい気持ちになったこともありました。

子どもの頃は心臓病で入院生活の日々。無影灯の下で意識を取り戻し、裸で泣いたこともあります。体が弱く、運動もできず孤独が当たり前。

「なんで学校に行けないのだろう」
「体育ができないのだろう」
「遊園地にも本屋にも行けないのだろう」
「病院で暮らしているんだろう」

小さなベッドの上がわたしの世界。なんで自分ばかり、と思うときもありました。そして、昔は我慢するのが当たり前だと思っていたのです。”我慢しないと生きていけない”とさえ思っていました。

それが、結婚を機に変わっていきました。

初めて人間らしく生きられた、結婚後の生活

自分が「人間らしい生活をしている」と初めて思ったのは、じじ様との結婚生活です。わたしの母はなかなかに厳しい親で「こうしなければいけない」といつも縛られていたのですね。

じじ様には、世界は大きくて、優しくて、いろんなものがあるのだと教えてもらいました。「お料理が好きだから、お料理学校に行ってみたらどう?」と提案してくれたこともあったのです。じじ様と一緒にいると「ああ、自由はいいな」「色々、試してもいいのだわ」と度々思ったものです。

そうしている間に、子どもが生まれて、わたしの生活はさらに変わっていきました。

子育て中にいつもじじ様から言われていたことがあります。それは『絶対に比べないこと』。

幼児教室やお稽古事に通っていると、正直なところ、周りの子と我が子をつい見比べている時もありました。

だけど、我が子はニコニコ笑いながら一生懸命に小さな手を動かして絵を描いている。その顔を見て「絵が下手でもいいじゃない」と思いました。

そう、「比べない大切さ」を教えてくれたのは我が子だったのです。

誰かと競ったり、他人のスピードで歩いてみたりしても、自分のゴールは別のところにあります。そもそも他人のゴールと自分のゴールは違うところにある。だから比べる必要なんて本当にないんです。

昨年の自分と、未来の自分と比べるのならありかしら?と思います。いい所を伸ばしていくのが一番です。

自分軸が定まらないと焦らなくても大丈夫

でもね、わたしの中で自分軸が固まってきたのって、実は50代ぐらいのことなんですよ。「自分の人生はあと半分もないんだ」と自覚しました。それで「自分のことやろう」と思ったんです。

50代の方を見ていると「若くて羨ましい!まだ50年もあるのね!」と思います。まだまだ、あなたは可能性にあふれているんですよ。

つい比較してしまうことはありますよね。収入やお休みが多い少ないとか、自分の外見がきれいとかきれいじゃないとか。結婚してるしてない、とか。もし今、そうやって自分と誰かを比べてしまうと悩んでいる方がいるなら、こうお伝えしたい。

『なりたい自分を頭に描いて、いらないものを捨てていって欲しい』と。

なりたい自分が頭の中にあれば、たとえば「優しい人になりたい」なら嫌なことはしないでしょうし、「人の役に立てるようになりたい」と思ったら困った人に手を差し出せるはず。

人生って、試されてるんではないかと思うんです。

いいことを積む

何かね、出来事に遭遇したときってもしかしたら試されているのではと思います。

たとえば電車で誰かに席を譲ったのなら、自分が困ったときにきっと助けてくれる人がいるはず。それは”見えない貯金”なんだと思います。

「親切にできました」「丁寧にできました」花丸!
「惜しい!あと一歩です!」ガラガラガラ。

こうやって徳は積んでいくものだと思います。

さて、少しお話しが横道に外れましたが、とにかくね、自分がしたいことをしていきましょう。

お料理したいと思えばお料理のことを考えて暮らせばいいし、本を読みたいなら買って読めばいい。自分の価値観と違うものがあればそれはちょっと踏みとどまってもいいかもしれないし、面白半分で見に行くでもいい。

どこで自分の栄養になるかなんてわからないから、少しでも何か吸収できたならそれだけで丸儲け。

人は人。自分は自分。人生の終着地点まで「自分軸」を大切に生きましょう。

今日もお尋ねいただきありがとうございました。

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