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人の人生など参考にならぬ

縁あって篠田桃紅の著書を読んだ。
結論を先に言うと、残念ながら私の中には何も残らなかった。
良くも悪くもない。引っかかるところもない。「ああ、そうですか」と、ただそれだけだった。
もし彼女が私のこの感想を読んだら、多分「それで良いのよ」と言うだろう。

もっと壮絶な人生を想像していたのだ。
しかし、本の中の彼女は100歳を超えた穏やかな老人だった。恵まれ、成功した人でもあった。境遇があまりに違いすぎて、彼女の言葉が上滑りしていった。
もちろん彼女にだって、私が知り得ない大変な苦労があったに違いない、苦しみや葛藤があったに違いないと想像はできる。全身を使って書を描き、渡米し、何にも頼らず自由に暮らせる状況は、私の手には入らない。心の中は自由でありたいと思っても、現実的に自由にはならない。彼女を羨ましいとは思わないが、”所詮別世界の人”のように感じてしまった。
一方で、一本筋が入ったように見える彼女の思想には、いくつかの矛盾点が見いだせる。もし編集者がそのことに気づき、そちらにフォーカスしていたら、私はもっと興味深く読んだに違いない。


にしても、美術家はあまり饒舌ではない方が良いかもしれない。今後私が彼女の作品を間近で鑑賞する機会があったとして、きっと私は穏やかな表面とは異なる、冷たい水の底に沈んだ負のものを掬いとることができないだろう。それは、著書の中に出てくる、”作品にタイトルをつけない。鑑賞にあたり先入観をもたらすからだ”というある美術家のエピソードにも似ている。

総じて、彼女の著書から得られたものは「人の人生など参考にならぬ」ということだ。
おそらく私がこの本を読むタイミングになかったのだろう。
実はこの本はお借りしたまま1年が経過してしまい、いよいよもって返却せねばと開いた本である。通読したものの、今の私が、100歳を超え、人生を達観した人の言葉を欲していなかったのだ。
ひとりひとり異なる境遇、人生、思想哲学の中から、都合よく自分が欲しい言葉などなかなか見つからない。人の人生を参考にするなどおこがましいとさえ思える。故に人の人生など参考にはならない。

その1点において、彼女と私の意見は一致するはずである。


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