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あの頃の大人たちはどうしていたのだろう

起床したときには台風は既に上陸しており、情報番組では朝からずっと台風中継をしていた。
これを書いている今、台風はこれから本州を縦断するところであり、公共交通機関もスーパーやコンビニも、もちろん娯楽施設も、当該地域は休業していると放送していた。物流もストップするだろう。
危険だから外には出るなと言っても、出先の機関・施設が営業していれば人は外出するのだから、こんなときは休業で良いと思う。

私は6歳から8歳の夏まで、私は親元から離れて治療やリハビリをしながら学校に通う施設で暮らしていた。中には、家族と暮らせない子や、通学が難しいが故にその施設で暮らしている子もいて、とにかくそこでは大勢の子供と、看護師を中心とした「親代わり」の大人たちがいた。

ある夜、台風がやってくるという。
今ほど情報がない時代、おそらく半日前くらいに台風がくることを知ったと記憶しているが、その晩夜勤の看護師はいつもより念入りに戸締りをした。
子供の頃の台風はなぜあんなにワクワクするものなのだろう。
本物の嵐というものをよく知らない子供の私には、絵本で見たような雨風凄まじい風景や音を想像し、消灯して暗くなった室内の天窓から何か凄いものが見えないものかと期待していた。

何も起きなかった。

何か起きていたのかもしれないが、きっとそれは大人たちだけが知っていることだったのかもしれない。

当時の大人たちは、どんなふうに台風が来る前を過ごしていたのだろう。
今のように台風の発生から進路予想、勢力など知る由もないから、数時間くらい前から突然台風が現れたような感覚だったのだろうか。


コンビニなどないし、郊外型の大型商業施設もない。公共交通機関だって今ほどの本数はなかったのではと想像する。突然停電になることもあったし、テレビなんかしょっちゅう故障(物理的故障ではない。放送自体がストップするのだ)していた。
だから、情報が途絶えることや停電すること、物流が止まること、そのような日常生活の便利さが一時停止するかもしれないことに対する不安は、今とは違うのかもしれない。

亡き父からこんな話を聞いたことがある。
独身時代に、社員旅行で伊勢に行き、一夜明けた朝、窓を開けたら昨日まであった風景が何もなくなっていた。
伊勢湾台風だったそうだ。
その話を聞いたのはたった1度なので、未だに真偽はわからない。
本当に何もなくなっていたのか、予兆などはなかったのか、その後どうしたのか、何もわからない。

あの頃の大人たちはどうしていたのだろう。

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