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育てたように、子は育つ

たまたまこうして映画の話が続いてしまうが、ひょんなことからヘルパーさん2人と洋画の話題になった。2人ともケビン・コスナーを知らないという。すぐにスマホで検索し、ケビンの写真や、代表作『アンタッチャブル』や『ボディーガード』の話をしたが、アンタッチャブルといえば芸人コンビが出てきてしまうほど今一つピンときていないし、ボディーガードにしたって「そんな映画があったような気はするけれど…」という程度だった。

聞けば洋画を観る習慣があまりないとのこと。時々ふと観てみようかなという気になっても、何を観ていいかわからず、結局観ないまま時間が過ぎてしまう。そもそも学生時代に親御さんと一緒に洋画を観る経験がなく、レンタルなどで借りてくるということもなかったようだ。
もし私なら、たとえ経験がなくともお勧めの映画を人から聞いたり、「観ておくべき10選」などの記事を参考に自分で開拓していくだろう。
つまり、そこまで関心がないのだということがわかった。
最後にお勧めの映画を尋ねられたが、その方々の好みもわからないし、答えたところで「そのうち」ということになりそうで、あえて言わなかった。

”関心がない”とはこういうことなのだろう。
では私の関心がない事柄について、自分はどうであるか振り返ってみた。
私が興味関心のないもののひとつにスポーツがある。興味関心がないというより、もはや苦手を通り越して、可能な限り目にしたくないというほどのものだ。憎んでいるわけではないが、できれば触れない方が精神状態が良い。なぜそうなのかはわからない。とにかく嫌なのだ。
ところが、否が応でもニュースや情報番組を観れば毎日のようにスポーツのネタが流れてくる。いくらなんでも大谷選手の顔ぐらい知っているし、日本の野球チームだって、日本やヨーロッパのサッカーチームだって、少しは名前を知っている。

他に興味関心のないものは何だろうと考えてみて、ひとつひとつは挙げられるものの、触れてはみたいが何をどうしたら良いかわからないというようなものが思いつかない。
その思いつかないことがおそらく私の興味関心のないものなのだ。
そしてそういうものでさえ、いったん目に入り、関心を持ったとすれば、今はすぐにネットで情報を調べることができる。

べつに、私が何でも知っていて、何でも調べられるというようにマウントを取っているわけではない。それよりも、かなりの物事を親が与えてくれたことに気づいた。
私は両親によく映画に連れて行ってもらった。邦画も洋画もいろいろ観に行った。書店もコンサートも旅行も美味しいものも、両親は出来る限り私にいろいろなものを与えてくれたし、行きたいところや買いたい・食べたいものは情報は自分で調べるように教育された。

両親の教育方法がどれくらい明確であったかはわからない。過保護な面があったことは否めないが、私が比較的物事にグイグイと進んでいけるのは、結局両親の教育の成果なのかもしれないと、ふと思った。
育てたように、子は育つのかもしれない。

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