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【超短編小説】バイレーの踊り

神々は、さっきから芸術の神アルテと俗世の神ムンダノの言い争いを見ていた。
酒の神ビーノは、いつものように顔を真っ赤にしながら杯を片手に2人をけしかけ、風の神ビエントは、時折2人に微風を吹きかけてやった。なにせ2時間もこうしているのだから、2人とも額から汗を滲ませている。

お前は芸術芸術と言うが、人間は俗世の踊りを選んだんじゃ。それが人間というものだ。

あなたは何もわかっていないのです。俗世の欲にまみれた人間には、汚れのない愛や美、つまり芸術というものを教えねばなりません。踊りの名手バイレーには芸術の踊りをせよと命じたのです。あの者にはそれだけの技量があります。酒場での出し物ではないのですよ。

収穫祭とて、所詮は人間の祭りじゃ。人間が喜んでいるならそれで良いではないか。

ビエントは少し強い風を2人にあててやった。

おお、わしにも風を送ってはもらえんか。

ビーノが真っ赤な顔で言う。杯の中のワインはすぐにビーノの腹に入った。
太陽の神ソルと月の女神ルナは、この言い争いとビーノの酒臭さに呆れ果て、ハラランボス山の向こうに消えようとしていた。
辺り一面が、闇の神ノチェに支配された。
火の神のインセンディトが、2人の周りを囲むようにあかりを灯す。
ビーノの酔っぱらった赤い顔が、あかりに照らされていっそう赤く見える。
アルテとムンダノは、どちらも譲ろうとしない。

だいたい、大衆の踊りは下衆なのです。欲にまみれ、下品で薄汚い。あれは美ではありません。精神でも愛でもありません。欲なのです。

アルテよ、それもまた人間ではないか。人間の強欲を認めてこそ、我々神があるのだ。

そこへ騒ぎを聞きつけた全能の神ポシビルが、妻で星の女神のエストーレと共にやってきた。

知性と品性に支配された2人の神たちよ、先ほどから何をそんなにもめているのだ。

踊りの名手バイレーが収穫祭で大衆の踊りを我々神に捧げたのです。儀式に大衆の踊りだなんて、神への冒涜ですわ。

あれは素晴らしい踊りだった。生き生きと命の謳歌を感じる最高の踊りだ。踊りとはそういうものではないのか。全能の神ポシビルよ、そう思わぬか。

ふうむ。2人の言い分はわかった。ではそもそも、芸術の踊りと大衆の踊りに何の違いがあるというのだ。

人間には2つの面があります。愛と欲望です。このわたくしムンダノは俗世、いわゆる欲望というものを司っておりますが、欲とは生きる力なのです。あの者、踊りの名手バイレーは、大衆の踊りで人間の生命力を実に巧みに表現した。あの者こそが「踊り」というものでしょう。

何を言ってるのかしらムンダノ、あの踊りは人間の汚らしさしかありませんわ。欲望の塊である人間には、このアルテが芸術を、つまり芸術を通して美しい精神に宿る汚れなき愛を教えなければなりません。

何を言っているのかわからんのはあんたの方だ。芸術だって欲望を語るじゃないか。肉欲も強欲も語ってきたではないか。

あくまで、芸術の手段ですわ。欲望をそばにおいて愛や美がいかに尊いかを語るのです。それに芸術や愛や美は、奪い、乾き、嘆くものではありません。常に与え、潤み、歓びに満たされるものなのです。

エストレーラはポシビルの隣でつまらなそうに聞いていた。ポシビルはエストレーラの機嫌を損ねないよう、時折彼女の手をなでながら言った。

ますますわからぬ。では、愛欲の神アモーレスよ、教えてはもらえぬか、愛と欲望の違いを。

はい。これまで人間を観察してみて、彼らはなんと愚かしい生き物だと何度思ったことでしょう。私は一度人間の愛欲というものを愛と欲に分離し、人間から欲を奪おうと試みたことがあります。

ふむ。興味深い。

人間の愛欲を、愛の雲と欲の雲に分離した途端、その雲は2つとも蒸発してしまいました。つまり、愛と欲は分離できないのです。

一つよろしいでしょうか。

水の神アグアが手を挙げた。

愛欲とはあちらを流れている川のようなものです。上流が精神的な愛、下流が肉体的な欲、川はどこまでいっても上流と下流であり、切り離すことはできません。生命もこれと同じです。生と死は切り離すことができません。愛欲とは生命そのもの、命そのものなのです。

とどのつまり?

芸術の踊りも大衆の踊りも、愛も欲も、芸術も俗世も表裏一体、分けることができないのです。

なるほど。他の皆はどう思うのだ?

神々は口をつぐんだ。ビーノは眠りこけている。

アルテとムンダノよ、2人の争いはどうやら不毛のようだ。愛と欲、芸術と俗世は切り離せないと言うておる。お前たちも同様に表裏一体の存在なのだ。認めてみてはどうだ。所詮、ちっぽけな人間のやっていることだ。

いいえ、人間には愛と美を教えるべきで、それはまた神に捧げられるものです。

いい加減、認めんかね。それが人間というものなのだよ、アルテ。

2人の言い争いはいっこうに終わらない。
ポシビルはとうとう怒り出して、その時下界で鹿追いをしていたバイレーを鹿ごと谷へ突き落としてしまった。

2人の神、アルテとムンダノはその瞬間に言い争いを止め、大変嘆き悲しんだ。アルテはバイレーをユリの姿に、鹿をスズランの姿に変え、それぞれの居場所に帰って行く頃、ハラランボス山の裾野から太陽の神ソルが顔を出し、月の女神ルナはしばしの眠りについた。
バイレーと鹿が落ちた谷にも、ソルの明るく温かい光が差し込んだ。乾いていた谷の土からは森が生まれ、木と葉と鹿の香嚢(こうのう)と、ユリとスズランの香りが合わさり、その谷は良い香りで満たされた。
ビエントが吹き付ける風に乗って、谷の匂いは全能の神ポシビルにまで届いた。この匂いに感銘を受けたポシビルは、バイレーと鹿を谷へ落としてしまったことをたいそう悲しんだ。ニンフたちに、谷に漂う香りを水に溶かして沸かすよう言いつけ、そこから立ち上る良い香りの蒸気から、1人の神を創造した。
その名をパルファンという。

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