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【短編小説】「1989」第三話(全七話)

 以前描き下ろしたギター小説を加筆修正した(している)ので、全七回で連載したいとおもいます。

「1989」第三話

 七月中旬。準備不足甚だしい中、前期試験が始まった。不安しかない。
 往生際悪く、試験開始ギリギリまでノートを眺めていたが、教官の合図でカバンにしまう。教室のテーブルの上には、筆記用具と学生証のみ。もうすがるものはない。ふと、学生証に記載されている「発行日」に目が行く。
『発行日:昭和六十四年四月』
 四月の入学時にはとっくに年号が変わっていたのに、だれかの怠慢なのかミスなのか記載は昭和になったままだった。さすがに来年度、二年生になったら変わるだろう。いやまて、そもそも二年生になれるのか……? 思考がぐらぐらとしてくる。
 ……一年の前期試験の記憶はこれしか残っていなかった。

 八月になると、大学は夏季休暇に入る。なんと約二か月間。大学って自由だな、と思った。
 同郷のコマバは、栃木の実家に帰省するという。親が旅館を経営しているので、その手伝いのためらしい。わたしは東京にいることに決めていた。カラオケ・ボックスのアルバイトは楽しいし、わたしと同じように帰省せずに軽音に集まるメンバーもいる。実家に帰っても犬の散歩以外にやることがない。東京で青春を満喫するのが一番だ。

 十月初め。夢のような夏季休暇を終え、大学は後期に入った。休暇中の自由な生活にひたりまくったおかげで、前期以上に授業の内容についていけなくなっていた。そんな中、軽音サークルでは粛々と学園祭の準備が進行していた。
 部室に入るとタムラさん仕切りで打ち合わせが行われている。
「ケイノ。コマバの奴、どうしたか知らないか?」
 開口一番、タムラさんが尋ねてきた。
「夏季休暇中に栃木の実家で手伝いをしていたんですが、親父さんの体調が思わしくなくて、しばらく休校するそうです」
 それを聞いてメンバー一同が短くため息をついた。
「コマバなしだとギター足りねえな」
 部屋奥のメンバーがつぶやく。
「……おまえがやれ。ケイノ」
 タムラさんにそう言われ、わたしは硬直する。
「え、いや、だって、おれコマバみたいにジャズとか速弾きできないし、コード進行も詳しくないです……。ペンタしか知らないんですよ……」
「……マイナー・ペンタトニックをなめるなよ……Aマイナー弾いてみろ」
 タムラさんが、わたしにギターを手渡しつつ、自身もギターを構える。受け取ったわたしは言われたとおりにコードを鳴らす。彼はそれに合わせて巧みなAマイナー・ペンタトニックを奏でる。
「続けろ」
 もう一度Aマイナーをストロークする。タムラさんはポジションを変えてマイナー・ペンタトニックを引き倒す。ジャズのような不可思議な響きに驚く。あれ? これってAマイナー・ペンタじゃないよな? と思っていると、察したようにタムラさんが口を開く。
「そうだ。オレが弾いていたのはAマイナー・ペンタじゃなくてDマイナー・ペンタだ。形はペンタだけど、Aマイナーの響きに対して、いい感じのテンションが入ってるんだ。だからジャジーなサウンドになる」
「……すごいです」
「だろ? 使い方しだいで無限に広がるんだぜ。ペンタ最高!」
 その響きに魅了されたわたしは、学祭で自身のギター・プレイを人前で初披露する運びとなった。

つづく

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