ぐり@ありのままの自分で幸せに生きるお手伝い

アダルトチルドレン│スピリチュアルジプシー…拗れていた私の人生観を変えた【鏡の法則】を…

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アダルトチルドレン│スピリチュアルジプシー…拗れていた私の人生観を変えた【鏡の法則】を中心にマイペースに投稿🐈 ▶︎生きづらさ│人間関係│うつ病│恋愛│お金などに悩む方の【気づき】のサポートになれば嬉しいです🌼文中に神さまという表現を使いますが、特定の宗教には属していません。

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繊細で傷つきやすい/何を叶えても苦しみが消えない…生きづらかった私を変えた魔法=鏡の法則

ここのところ連続して、【鏡の法則】とは関係なさそうな記事や、つぶやきを投稿してきました。 でも、これまで私がお伝えしてきたこと、そして、今後もお伝えしていくことに、一貫して共通しているのは、 「自分を愛する、自分を赦す」 それが幸せに生きる、唯一の方法だということです。 そして「自分を愛する、自分を赦す」ことが、どうやっても、できなかった私を変えてくれたのが【鏡の法則】という魔法でした。 *** 繊細で傷つきやすい人は、自分に対して、ものすごく厳しい、完璧主義者で

    • 相手に要求ばかりしてしまうとき

      *このお話は、幸せな恋愛や結婚、お金など、叶えたいことを叶えるためにも、人生全般を良くするためにも、すごーく大事な土台のお話。 過去の私は、親や彼氏、会社では上司や先輩、結婚していたときは夫=主に、自分よりも【目上】だと感じていた相手に対して、 ・どうして○○してくれないの? ・なんで、もっと○○じゃないの!? ・もっと○○してよ…! ・普通なら、○○であるべきでしょ?! と、とにかく、相手への要求に次ぐ要求、要求のオンパレードを繰り広げていました。 で、それっ

      • 与えることと、受け取ること

        昔の私は、【受け取ること】が苦手でした。 受け取ること=相手に迷惑をかけることだと思ってたり、受け取ったからには、必ずお返しをしないといけない…!などなど、いろいろな思考で自分をがんじがらめにしていたからです。 それから、受け取る側はダメな人/悪い人/劣っている人で、与える方がスゴい人/尊敬できる(尊敬される)人…といった謎の優劣思考?も持っていました。 だから、私は色んな人に与えまくっていました。与えなくて良い人に与えたり、相手に与えなくてもいいモノを与えたり。 自

        • 悩み苦しみがあるときほど、神さまに助けを求めるけど、人生がうまくいき始めても、神さまにいつも助けられてることを忘れない。 何もかも、うまくいってるときは【自分が凄い、偉い】んじゃなくて、神さまとの関係がうまくいってるだけ。ぜんぶ、神さまが惜しみなく与えてくれてるだけ。

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        • ネガティブ思考に効く読むお薬
          17本
        • 鏡の法則
          23本
        • 内観&自己受容
          14本
        • 奇跡を受け取る
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        • アロマセラピー&ハーブ
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          いまの仕事を辞めたいorパートナーと別れたいとき

          いまの仕事を辞めたい、いまのパートナーと別れたい。 でも、どうしたらいいんだろう? 転職する?別れる? …どうしたらいいんだろう?という迷いの言葉が思い浮かぶときは、自分一人の力(自我=エゴの力)でどうにかしようとしているとき。 そして、エゴの力でなんとかしたり、何かを決めるより、まず先に 「神さま、私はどうしたら良いでしょうか?私が、まだ気がついてないことがあるなら、どうか教えてください」と、神さまへ祈りを捧げます。 エゴの力でなんとかする=自分で努力、解決するこ

          いまの仕事を辞めたいorパートナーと別れたいとき

          あなたがパートナーと出会えないのも、パートナーに愛されないのも、お金に困ってるのも、誰かに虐められてるのも、『あなたが悪い』からではない。 あなたがエゴの囁きを信じ、自分を否定して責めているから。 エゴの言うことは出鱈目だ、この世界に劣ってる存在、ダメな存在なんて1人もいない。

          あなたがパートナーと出会えないのも、パートナーに愛されないのも、お金に困ってるのも、誰かに虐められてるのも、『あなたが悪い』からではない。 あなたがエゴの囁きを信じ、自分を否定して責めているから。 エゴの言うことは出鱈目だ、この世界に劣ってる存在、ダメな存在なんて1人もいない。

          それは、本当のあなたじゃない

          なんで、自分は幸せになれないんだろう? なんで、こんなに辛いんだろう? なんで、こんなに苦しいんだろう? なんで、こんなにうまくいかないの? こんな言葉ばかりが、グルグル頭の中に浮かんでいたとき。 私は、この言葉を『自分の声、心の叫び』だと信じて疑っていませんでした。 だけど、ある時から私は、これは『本当の私』の声ではなく『エゴの声』なんだ、ということが、だんだん区別できるようになっていきました。 苦しんだり悩んだり、悔しがったり、誰かに嫉妬したり、怒ったりしてる

          かすかな、心の声

          幸せになりたい、なんで私は幸せに生きられないんだろう? いつも頭の中で思考(エゴの声)が、グルグルうずまいていた頃。 あるとき、胸の奥の方?どこか遠くから、エゴの声とは違う、かすかな、でも力強い声が聞こえてきたことがあります。 『だって、あなたが幸せになっちゃったら、あの頃とても必死だった、苦しんでいた私の立場はどうなっちゃうの?』と。 その声を聞いたとき、あぁ、そうか。 あのときの私、頑張っていたよね。苦しかったよね。 あのときの私を、なかったことにしようとした

          心の筋トレ

          体の筋トレ🏋️は、少しずつ負荷をかけて筋肉を鍛えていきますが、心の筋トレは、その逆です。 少しずつ、自分にかけていた負荷(エゴの信念による自己否定/無価値感/罪悪感など)を手放して、身軽になっていきます。 何かがうまくいかないとき、心が苦しいとき。 私たちは自分を守るため、誰かを守るため、誰かに愛してもらうため、あるいは誰かに復讐するため… いろんな理由から、いろんなモノで心をガチガチに固めてしまっています。 こんな私なんて、愛される価値、資格がない。 私なんかが

          無条件の愛を選ぶか?エゴを選ぶか?

          辛さや苦しさの中にいるとき… 何かの出来事や誰かのせい、あるいは、○○な望みが叶わない。 だから、私は、苦しいし、辛いんだ。 そう思うのが、従来の見方、考え方です。 従来の見方というのは、【外側が先で、内側が後】ということ。 そして、こういう見方、考え方をする自分はダメ、劣ってるということではなくて。 これは、ただ、【エゴの働き】とはこういうモノというだけです。 外側の出来事や問題、誰かのせい、願いが叶わないからということと、苦しくて辛いということは、 本当は

          無条件の愛を選ぶか?エゴを選ぶか?

          夏至、満月が重なって、久しぶりにネガティブな生理前⚡️ (たしか、去年の夏至も辛かった…) でも、ネガティブにもポジティブにも良い悪いはなくて【ただそういう状態である】というだけ。 ネガティブには飲み込まれず、ただ静かにそんな自分に寄り添う。

          夏至、満月が重なって、久しぶりにネガティブな生理前⚡️ (たしか、去年の夏至も辛かった…) でも、ネガティブにもポジティブにも良い悪いはなくて【ただそういう状態である】というだけ。 ネガティブには飲み込まれず、ただ静かにそんな自分に寄り添う。

          神さまに、丸投げする

          この問題、悩みを解決するには。 この願いを叶えるためには。 自分でどうにかしなきゃ。 でも、どうしたらいいんだろう? そうやって考えて、あれやこれや色んな方法を探したり、試したり。 確かに、これで悩みが解決したり、願いが叶うこともあったけれど、解決したあとに、また問題が発生したり、叶った後に何かモヤモヤしたり。 …こういうとき、私たちはエゴ(自我)の力を使っている/使おうとしています。 体も心も、とっても疲れます。 なので、解決したいことも、叶えたいことも、すべ

          いろいろ書きたいことは頭に浮かぶけれど、なかなか記事にする時間がない最近です。 お金、恋愛、パートナー、仕事…すべての原因は繋がってて、両親との関係、内なる神との関係を見つめていくことが1番シンプルで、確実だと思います。 そして、外側に原因を作らない、探そうとしないこと。

          いろいろ書きたいことは頭に浮かぶけれど、なかなか記事にする時間がない最近です。 お金、恋愛、パートナー、仕事…すべての原因は繋がってて、両親との関係、内なる神との関係を見つめていくことが1番シンプルで、確実だと思います。 そして、外側に原因を作らない、探そうとしないこと。

          『問題』を問題視しないこと②

          昨日の記事の続きを、自分への戒め?も込めて。 気を抜くと、すぐに私はエゴ(自我)の言うことに唆されて、問題を創って、悩み始めてしまうので、こうして記事に書くことで、自分を俯瞰する視点に立ち戻ることができます。 【問題を問題視する、自分で問題を創る】というのは、たとえば「私は〇〇な人間だ。だから、誰にも愛してもらえない」と決めつけて、〇〇の状態を改善しようとしたり、〇〇な自分を隠すために▲▲な人間になろうとすることです。 〇〇や▲▲に入る言葉は、人それぞれに違うので、あえ

          『問題』を問題視しないこと①

          エゴ(自我)は、不幸依存症です。 エゴに乗っ取られて、そのことに無自覚なままでいる状態の私たちは、 次から次に問題・悩みを創って→解決→問題・悩みを創って→解決する…ということを延々と繰り返しています。 でも、ふと立ち止まって、「このことを問題や悩みとしているのは、誰だろう?」と自問自答してみると、他でもない自分だった…ということに気がつくことができます。 すると、問題や悩みについても【自分を苦しめるモノ】という見方ではなくて、 【愛に戻るための学び】だったり【過去

          どんな自分も、いていいよ

          私って、こんな人間だから。 こういう自分でいなくちゃ。 いつの頃からか、私は自分で自分のことを【定義】して、無意識のうちに、ずっと自分を縛り付けていたように思います。 特に強かったのは、母から見て、祖母から見て、先生から見て、世間から見て…いつも私は『良い子』でいなくちゃいけない、というものでした。 まわりの意見や考えを取りこみ、それを元にして、『良い子とはこういうものだ』というイメージを創り上げました。 私の中に『良い子』が生まれたと同時に、『悪い子』も生まれました