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『問題』を問題視しないこと①


エゴ(自我)は、不幸依存症です。

エゴに乗っ取られて、そのことに無自覚なままでいる状態の私たちは、

次から次に問題・悩みを創って→解決→問題・悩みを創って→解決する…ということを延々と繰り返しています。

でも、ふと立ち止まって、「このことを問題や悩みとしているのは、誰だろう?」と自問自答してみると、他でもない自分だった…ということに気がつくことができます。

すると、問題や悩みについても【自分を苦しめるモノ】という見方ではなくて、

【愛に戻るための学び】だったり【過去の自分を癒す機会】として、この出来事を受け取っているんだなぁ…という見方に、自然と変わっていきます。

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私は長いこと、自分自身についての何もかもを【問題視】していました。

親がいつもケンカばかりしている家庭で育ったこと、勉強が苦手で学校の成績が良くないこと、

なんとか大学まで出たのに心から就きたいと思える仕事に出会えなかったこと、体力も根性もないこと、繊細で精神的にタフではないこと…


ここに書いたことは、ほんの一部で、挙げればキリがないくらい沢山の【問題】を私は抱えていました。

そして、その【問題】のせいで、私は他の人と同じように幸せになれない。

だから人一倍、頑張ったり、我慢したり、努力しなければならないと、【問題】を問題でなくするための努力をしていました。

回し車を回すハムスターのように。

そうやって、人並みになれるように努力して掴んだ幸せ…によって、私の心が満たされることもありましたが、何かがまだ足りない気がして、問題を探しては、解決するための"旅"に出かけていました。

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悩みや問題の渦中にいるときは、とても苦しいし、自分がソレを創り出しているということに気づくことも、受け入れることも難しいかもしれません。


でも、「この苦しい現実、頭を抱えるような悩み、いつになっても終わらないような問題を創り出しているのは自分自身なんだ」と、ほんのちょっとでもいいので、思ってみる。

自分を俯瞰する視点を、思い出してみる。

それを繰り返していくうちに、「あぁ、そうだ。この出来事を問題視して、問題を創り出したのは、この出来事によって苦しむことを選んだのは、自分だった」と気づくタイミングが訪れます。


到底、そんなふうになんて思えない。

この問題を自分が創り出したなんて、冗談じゃない。

そう思いたいときは、それでいいんです。

(私も、ずっとそう思っていました。いまでも、思いそうになるときがありますが、それはエゴの働きなので、そのたびに気づくようにしています)

そういうときは、そんな自分を労わったり、悩み苦しんでいることへの不満や、悲しさ、悔しさ、怒り…

ネガティブな感情を思いっきり、紙に書き出す/(人の迷惑にならない場所で)大声で喚く、泣き叫ぶ、怒鳴り散らす…などしてネガティブなエネルギーを、出し切ることが大事です。

そうやって、心に溜まったモノを全部キレイにして、気持ちがスッキリしてから落ち着いてみると「あぁ、問題を創っていたのは自分だった!」ということが、スッと受け入れやすくなるかもしれません。


あるいは、自分以外の目に見えない存在(ハイヤーセルフ、大いなる存在、神さまや天使など…)に、サポートをお願いする=祈りを捧げてみることもオススメです。

神さま。どうかこの問題や悩みの奥にある、本当の意味を教えてください。

私がまだ気づいてないことがあるなら、私に分かるように教えてください。

祈りを捧げていると、ある日、何かの形で答えがちゃんと返ってきます。
(すごく優しいメッセージが返ってくると思います)

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