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「ASDの感謝」に対するご意見まとめと対策

「ASDはなぜ人に感謝しないのか」という私の個人的な疑問に端を発した下記のTweetに対し、たくさんの方からさまざまなご意見をいただきました。少し前のTweetですが、ようやくいただいたご意見をまとめることができましたので公開します。

※この記事は5,134文字です。

これに関する私の考察は、以前の記事(ASDの「ありがとう」の温度)にて少し記述していますので、興味のある方はこちらも併せてご覧ください。

では以降が本編です。上記TweetにたくさんのリプとRTをいただきました。まずはそれら一つひとつをピックアップし、さらにそこから要点を抽出、当該問題の主原因を何点かに絞った上で発達&定型それぞれの目線での対策を考察してみようと思います。

まずは最初のステップです。以下はいただいたリプをピックアップしたものです。

まずはいただいたリプ&RTをピックアップ

■私の疑問「ASDはなぜ人に感謝しない?」

■それに対する回答
・社交辞令や建前がわからないため。
・言葉をそのまま言葉通りにしか受け取ることができないため。
・恩を返したくても「自分の力量では返し切れない」と思ったり、返そうとしても空回りして相手の迷惑になったりすることがある。
・義理や恩の本質は好意の返報性で、特性に関わらず感謝できない人はいる。
・返報性の原理にあてはまらない人たちがこれに類する可能性がある。
・「発達障害者は時間の概念が薄い」という説が関係している気がする。
・ちょうどいい程度でお返しができないため、返って相手の負担になってしまう。結果的に何もできなくなってしまう。
・「家族なんだから」「親戚なんだから」という言葉を鵜呑みにし、距離が近ければ近いほど「してもらって当たり前」になってしまう。
・恩や義理などそもそも目に見えないもの縛られるのがストレス。
・そもそも何かしてもらったことに気付いていない。
・相手が好きでやったあるいはやりたくてやったと捉えているため。
・相手との距離感がわからなかったり、恩返しの方法がわからなかったりするため。
・感謝はしているが、失敗体験による不安や恐怖心などからそれを言葉にするのが難しい。
・恩を返したいけど、相手が何で喜び何を望んでいるのかがわからない。
・目の前のこと(現時点)に精いっぱいで、過去や未来を連想した行動ができない。
・そもそも「ありがとう」の意味がよくわからない。
・そもそも感謝がなぜ必要か、どういうときに感謝するのかなど感謝の概念を理解していない。
・原因不明の失敗体験から自信喪失したため。
・んなもんねぇよ。
・自分が逆の立場だったとしても気にしないため、返報を求める人の気持ちがわからない。
・自分が「放っておかれること」を強く望んでいるため、人に対してもそれをしているだけ。つまり自分がされて嬉しいことをしている。
・何かしてもらったことに気付いていない。
・感謝はあるけど相手に合わせられないため拒絶するしかない。
・発達と定型の感謝を感じる場面にズレがあるため。
・強いストレスがあるため感謝する余裕がない。
・どのタイミングで、言葉だけでいいのか物を贈った方がいいのか、感謝していても表現方法がわからず結局できない。
・パニックになってその場でお礼を言えない。
・返し方がわからないため何かをしてもらうことすら嫌になる。
・ちゃんと返せる自信がなく、してもらうこと自体が負担。
・あげるときはあげっぱなし、もらうときはもらいっぱなし。
・恩を返して当たり前だと思っているわけでもなく、ただ何も考えていないだけ。
・自分が人に何かをするときは恩返しを求めていないため。
・何を義理や恩と感じるかが定型と違うため。
・自他境界の曖昧さで伝達不足になるため。
・時間の概念が薄いため。
・義理や恩を感じるポイントが定型とズレているため。
・忘れているor何も感じていないため。
・自分にしか目が向かず他人の気持ちを汲み取ることができないため。
・人がやりたいからやっている、好きでやっている、むしろやらせてあげているから感謝の必要はないと思っている。
・義理や恩という概念がわからない。
・恩や義理はあるけど「気にしなくていいよ」などといわれるとその通りにする。
・言っていないことが伝わっていないため。

取り急ぎここまで、リプやRTでいただいたご意見をほぼすべてピックアップしました。発達&定型双方のご意見が混同していますが、大きな齟齬はないので問題ないかと思います。

続いて、これらから要点をピックアップしていくつかの項目に絞ります。

次に要点をピックアップ

前項でピックアップしたもののうち共通項目や類似項目を統一したのが以下です。

・言葉をそのまま言葉通りにしか受け取ることができないため。
・返報性の原理にあてはまらない人たちがこれに類する可能性がある。
・そもそも何かしてもらったことに気付いていない。
・相手が好きでやったあるいはやりたくてやったと捉えているため。
・相手との距離感がわからなかったり、恩返しの方法がわからなかったりするため。
・目の前のこと(現時点)に精いっぱいで、過去や未来を連想した行動ができない。
・義理や恩を感じるポイントが定型とズレているため。
・義理や恩という概念がわからない。

さらにこの中から、特にご意見が多かったものを選別すると以下のようになります。

①相手が好きでやったあるいはやりたくてやったと捉えている。
②相手との距離感&恩返しの方法がわからない。
③義理や恩を感じるポイントが定型とズレている。
④言葉をそのまま言葉通りにしか受け取ることができないため。
⑤目の前のこと(現時点)に精いっぱいで、過去や未来を連想した行動ができない。

おおむねこの5つに絞られました。もちろん他のケースもあると思いますが、この5つのうちどれかが「ASDはなぜ感謝しないの?」という定型の疑問への回答と見て問題なさそうです。

では、それぞれのケースに応じて発達&定型はどのように対策するべきかを、次項から考察してみます。

①相手が好きでやったあるいはやりたくてやったと捉えている──への対策

発達目線で対策できることはないように思います。この場合は定型が対策するのが合理的でしょう。「言葉を濁す定型は理解に苦しむ」という発達目線のご意見もたまに拝見します。確かに定型の「言語外の含蓄」は厄介で、定型同士でもすれ違いが起こる場合があります。

私も弟に対してできるだけこちらの意図や目的を言葉で伝えるよう努めましたが、まだ足りなかったという自覚もあります。あまり気の進む行為ではありませんが、背に腹は変えられません。しっかりと交渉し、条件を提示し、リターンをもらう──という姿勢で向き合うのがいいと思います。

②相手との距離感&恩返しの方法がわからない──への対策

発達にできる対策は、トライアンドエラーを繰り返して学習することでしょう。その過程で失敗を経験し、委縮してしまうというケースも少なくないようです。ここで問われるのは特性でなく、人間力ではないでしょうか。

たとえば定型にも、失敗により自信を喪失し、新たな挑戦ができなくなってしまう人が少なくありません。私もその気持ちはよくわかります。ですが最終的に自分が抱える問題を克服する人間は、自ら一歩を踏み出して挑戦した人なのです。

挑戦が必ずしも正解ではありませんし今すぐにそれを実行しなければならないわけでもありませんが、もし定型との適切な距離感が課題だと感じるのなら、それは長期的な目線で達成すべき目標と捉えるのが健全でしょう。

一方これに対して定型にできることはほとんどなく、せいぜい「発達が頓珍漢なお返しをしてきても寛容に受諾する」ことくらいです。

私の印象ですが、発達が頓珍漢な行為をしたときに、それを嘲笑したり陰口を叩いたりする定型は多いです。中には「定型はそういうことをするものだ」と認識している当事者もいるかもしれません。ですが実際にそうした人たちは、定型の中でもとりわけ「精神性が未熟な人たち」です。

もし周りに「定型に対して影響力のある人間」がいれば、発達にはそういう人を選んで頼ってもらいたいと思います。発達弟にとって、それは私でした。ほかの個性的な友人たちも同じです。私が彼らに気に入られがちなのは、差別意識がないからだと思います。人の個性をバカにせず、それを尊重するから。人を嘲笑して優越に浸る歪んだ定型とは距離を置きましょう。

③義理や恩を感じるポイントが定型とズレている──への対策

これは個人的にとても興味深いポイントで、もしかすると私と弟のすれ違いもここだったのかもしれないなぁ──と思っています。

たとえば彼は私の必死の献身に対して感謝の素振りを見せなかったものの、小さなころに彼が喘息の吸入を同級生にバカにされたとき、私がバカにした子を諭してやめさせたことや、いじめから助けたことなどは覚えていました。私はまったく記憶にありませんが。

感謝を明言こそしなかったものの、それに近い言葉を何か発していたような気がします。私が思う恩に着てもらいたいところとそうでないところと彼の諸々の差異を表しているような気がします。

これは、お互いにエピソードを挙げながら話し合い、価値観をすり合わせるのがいいのかなと思います。お互いに義理や恩を感じるポイントをしっかり理解できていれば、行動基準をそれに適正化できそうな気がするのです。そのためには、お互いに敬意を払って意見を交換できる健全な関係性が求められるでしょう。

④言葉をそのまま言葉通りにしか受け取ることができないため──への対策

発達にできる対策としては「言外に思いを馳せる」ですが、そもそもそれができていれば問題ないわけですから、こちらは定型が対策するのがよさそうです。

定型はとにかく「建前」や「社交辞令」という“嘘”をつかないことですね。

私も建前や社交辞令があまり好きではありません。ただこれらは、物事をそつなくこなすのに便利なものであるのも事実です。

個人的にこれらは、本音を通用できない弱者の隠れ蓑という印象ですので、もう少し個が尊重される社会になれば不要になるのではないかと思います。「本音だけじゃやっていけないよ」なんて世間では言われますが、誰がそんな嘘を言いふらしているのでしょう?本音で渡れない弱い定型ではないでしょうかね……?個々が強くなるのも一つの解決策ですが、それよりも「建前」や「社交辞令」を規制緩和して、合理的かつ円滑な疎通が評価される社会が実現された方がよさそうです。

大体、別れ際の挨拶が「今度飲みに行きましょう(その気はない)!」しかないなんて、語彙が貧弱すぎるにも程があるでしょう。こんな定型文に頼っているから発達から「これだから定型は」なんて言われるのではないでしょうか。できる人から改善していきましょう。


⑤目の前のこと(現時点)に精いっぱいで、過去や未来を連想した行動ができない──への対策

「時間軸が薄い」というご意見がいくつかあったように、どうやら発達の中には過去─現在─未来という点を線でつなげて考えることができないケースが少なくないようです。これは時間だけに限らず、あらゆる物事にいえることかもしれません。たとえば人間関係や物事の因果、物質、金融商品など。

リプいただいた相互フォローさんのお言葉を引用します。

この特性が強いと「昨日のことは昨日のこと」で完結してしまうので恩を"返す"という発想にならないのだと思われます。昨日の恩は今日はゼロにリセットされてスタート、みたいな感じでしょうか。

定型側にできるのは①での対策と同様、こちらの条件や希望をしっかりと明示することでしょう。そしてケツを叩いてやることかなと思います。

一方発達側でこれをどう対策できるのか、私にはちょっと想像がつきません。昨日のことが昨日のことで完結している人に対して「完結させるな」の一声で改善できるとは到底思えないからです。

この⑤の発達側の対策については、取り急ぎ保留として宿題とさせていただきます。

さいごに

まずはご意見をくださりましたすべての方に、この場で改めてお礼申し上げます。中には厳しいご意見もありました。主語の大きさにご気分を害された方がおられましたら申し訳ございません。しかし主語が大きくなければ反響もいただけなかったかと思います。お陰様で本項で記述したように、問題点がよりはっきりと見えてきました。カサンドラ兄としては、これで発達弟に対する理解をもう一つ進められたように思います。

そしてこの小さな前進の積み重ねを、やがて弟だけでなくもう少し多くのカサンドラや発達障害当事者方々のお役に立てられればと思います。


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