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HSPを克服した話

私は「元HSP」というふうに自己評価しています。

HSPという言葉を初めて知ったのは、カサンドラ症候群になってから始めたTwitterを通してでした。フォロワーさんから「兄はHSPかも」というご指摘をいただき、HSPについて調べたのが始まりです。

カサンドラの経緯についてはこちらからご覧ください。

当初はHSP自己診断テストなどをやってもいまいちピンとこなく、「自分はHSPと違う」と判断していたのですが、その後いろいろな経緯から「自分はHSPの弱点を克服したHSPだ」という結論に至りました。

今回は「どうやってHSPを克服したか」という話です。

※この記事は6,267字です。

そもそもHSPとは

HSPとは「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」の頭文字をとった略称で「感受性が強く敏感な人」といったような意味です。五感が人より敏感だったり、人に対して必要以上に感情移入してしまうため、気苦労が多かったり精神的な疲労など負担が大きかったりするのが特徴です。

私には「五感の敏感さ」と「強い共感」がありました。それぞれいくつかの項目に振り分けることができますが、このうち克服できたのは主に「強い共感」によって生じる不具合や負担などの方です。残念ながら五感の敏感さについては、一部を除いて克服することができませんでした。しかしこちらはライフハックで補えるケースがほとんどかと思います。

私が自分のHSP的特性の克服を試み始めたのは、中学1年生ころのことでした。もちろん当時はHSPという言葉などなかったと思います。

HSPを概念として理解していなかったとはいえ、私は自分のHSP的傾向に不便さを覚えていました。その特性が受け入れがたかったため、克服しようと意識的に練習を始めたのです。結果、成人するころにはほとんど克服できていました。つまり7年ほどでかなり改善されたという一例かと思います。

私の主な症状は以下の通りです。それぞれの項目についての私の症状や改善方法などをお話しします。

五感の敏感さ
・視覚が敏感(晴天だとまともに目を開けていられないなど)
・嗅覚が敏感(不快臭だけでなく料理や香水などに対しても敏感)
・聴覚が敏感(大きな音で不安を覚える。ちょっとした音に驚くなど)

共感の弊害
・共感が強いため周囲の人間の感情に左右される
・気持ちの切り替えができない
・ささいなことに気がつくため人一倍負担が大きい

視覚過敏

視覚過敏は克服できませんでした。私は昔から目がよく、成人するころも視力が両方2.0ずつ程度ありました。視覚過敏はこの「視力のよさ」に起因するものだとずっと思っていたのですが、実際には感覚過敏によるものだとわかりました。

まず晴天だと目を開けていられないので、そういう日は常に目を細めて眉間にシワを寄せた顔になってしまいます。昔からよく「怒ってるの?」と人に訊かれました。これはサングラスで対応できますが、私はサングラスの着用があまり好きでないため今も目を細めています。

スキー場など雪原での乱反射はとても裸眼で過ごせませんので、そういう場所には基本的に行きません。

そういえば小学5年生のころ、父から「兄はなんでいつも眉間にシワを寄せてるの?かっこつけてんのか?かっこよくねぇよそれ(嘲笑」と笑われました。思ってもない誤解を受けて傷ついた一方、「みんなまぶしくないの?」という疑問を抱いた最初の出来事でした。

私の父については「ASD×ADHD夫婦がうまくいく場合」をご覧ください。

嗅覚過敏

私は息子のうんちおむつの交換ができませんでした。挑戦したことはあります。嗚咽し涙目になりながらの作業でした。こんな有様なので、うんちおむつの交換は妻が担当してくれていました。

生ごみや吐瀉物なども同じですが、悪臭ばかりが苦手なわけではありません。香水や体臭をはじめ、料理についても香りに敏感です。具体的にはスーパーなどで売られている荒節(鰹を煮て燻製し乾燥させたもの。枯節よりも生臭い)から作った鰹節の削り節が生臭くて苦手。商品によっては顆粒も厳しいです。なので鰹節を使う際、私は本枯節(荒節に繰り返しカビをつけたもの。生臭くなくすっきりした香り)を削っています。

香料や人工甘味料の一部なども苦手で、清涼飲料水やグミなど香料や人工甘味料を使った加工食品等が食べられません。たまに原材料にそれらが記載されていないのに含有されているものがあり、油断してそういう食品を口にするととても気分が悪くなります。

しかしこれは悪いことばかりでなく、高度な料理を作るのに役立っています。私にとって料理は実益を兼ねた趣味ですが、過去には香りに特化した商品を開発・製造するのにもこの能力が役立ちました。ソムリエや調香師などに向いている特性かと思います。海外の関連企業の指導にあたったこともあります。

やり方によっては武器になるということです。

聴覚過敏

これは克服できた類の感覚過敏です。

私は大きな音が苦手でした。主にカラオケやライブ、お祭りなどです。ただ気質がパリピなものですからお祭りは好きなのです。賑やかな場所に繰り返し出かけることで次第に慣れました。

聴覚過敏タイプのHSPでよくあるのが「小さな音にも驚いてしまう」という現象です。私の妻もそう。これも当事者からするとかなりしんどいです。いちいち驚くのって本当に疲れるのですよ。そこで昔の私は「ふいに何か音がしてもそっちを向かないようにする」ということを意識するようにしました。

The・自主練。

最初のうちはふいの音にびっくりして反応してしまうのですが、「ダメだダメだ、向かないって決めたじゃないか」といちいち反省していると、次第に「びっくりしても反応はしない」ということができるようになっていきます。

これを繰り返していくと不思議なことに、やがて驚きすらしなくなります。結果、今の私は大きな音がすると「危険が伴う音かどうかを瞬時に判断し、危険でなければ振り向きすらせず無視。危険だったら備える」という判断を瞬間的に行っています。これは単に「音に敏感」というだけでなく音の質や距離、方向、自分や周囲の状況など、あらゆる情報を総合的に判断するいわゆる「洞察力」が深くかかわっているように思います。

洞察力はHSPを語る上でとても大きなキーワードだと考えています。

加えてこれらは実は感覚器の話でなく脳の話──というのもポイント。

周囲の人間の感情に左右される

目の前で誰かがケンカをしていると双方の気持ちやその後の状態までイメージしてしまい強烈な不安に駆られる──

誰かが怒っていたり怒られていたりするとそれだけで不安になりその場を逃げ出したくなる──

誰かが悲しんでいると同調して悲しくなり、その悲しみを取り除けるならいっそ自分がすべて背負ってしまいたいとすら考える──

など、他人の感情にとにかく敏感です。人のささいな表情の変化からその人の気持ちを読み取れるだけでなく、他人の嘘を見抜けるのも特徴です。心を読めるタイプはこれだと思います。洞察力と想像力のなせる業かと思いますが、人の心がわかる分、余計な気づかいや配慮、気配りといった負担も大きいのです。いわゆる貧乏くじを引くタイプ。

小学校から中学校時代にかけて、私はケンカがとにかく嫌いでした。ケンカが嫌いというより、人が怒ったり悲しんだりするのを目の当たりにするのを避けていたと言った方が正確でしょう。誰かが悲しむ姿を見たくないし怒る姿も見たくない。学校でも家でも同じ。それをしている人とおそらく同程度のエネルギーを使うので疲弊するのです。あまつさえ人と争いごとでもしようものなら、自分の心が傷つくだけでなく相手に同調までするので単純にダメージは2倍。

これを私は「怒り」と友だちになることでほとんど無理やり克服しました。

争い事が嫌いだったので、争いが起こりそうなときは逃走しがちでしたが、逃げるのをやめたのです。怒りをモチベーションにするのがその方法でした。怒りをモチベーションにするしか方法がなかったとも言えます。怒りはこうした繊細さを打ち消す唯一の力です。

こういう経緯から学生時代など若いころはケンカなどで暴力沙汰がありましたし、怖い思いや痛い思いもたくさんしました。最終的に人の感情に左右されなくなった結果を見ると、結局はこれも経験による慣れで克服できるものなのだと思います。

なのでボクシングなど格闘技を習うというのは効果的かもしれません。

怒りや悲しみの末路を見届ける機会が多くなるにつれて、やがて他人に自分の感情が左右されなくなりましたし、なんなら普通の人より強くなったと思います。この点は自分のHSP傾向の中でも、昔と今でもっとも大きく変化した部分でした。負担に感じていたからこそ克服しようと意識し、結果的に鉄の心を手に入れた──HSP傾向があったからこそ強くなれたのだと思います。

弱い自分と強い自分、両方が自分の中にいるのはメリットです。お陰でどんなに現実離れしたような状況におかれても双方の視点でジャッジし、物事を正しく判断できるようになりました。

しかしこの過程では「怒りの心地よさからの脱却」が課題となります。

怒りの心地よさとはつまり支配や制圧の快感です。

HSP弱者が修行の末に強者となり、今度はその力に溺れる。要はいじめられっこがいじめっこになったような図です。

私がこの悪しき強者を脱したのは、妻と出会ってからだったと思います。

気持ちの切り替えができない

悲観的な出来事を過度に引きずってしまうのもHSPあるあるかと思います。

結局はこれも「他人の気持ちを想像しすぎる」のが原因です。言い換えれば人の気持ちを気にしなければ解決できる話で、私の場合は「たくさんの人と接すること」で次第に心を割り切れるようになりました。

やはりこれも慣れ、要は人生経験なのだと思います。

世の中にはどうやっても救いようのない人間がいますし、悪としか思えない人間もいます。そういう人間を知るにつれて「感情移入の価値もない相手もいる」ということを知り、そして「必ずしも自分の共感が相手にとっての真実でない」ということも知りました。

「この人はこういう理由で傷ついている」という自分の認識と実際が異なるという、思い込みによるバグがときおり発生します。つまりHSPの共感精度は、少なくとも私の場合は100%でなかった。これはたくさんの人と出会うだけでなく、たくさんの人と深く交流しなければわからないことです。私はこれを特に恋愛で学んだように思いますが、発達障害者と思しき人々と関わることによって得た知識や経験もおおいに役立ったと思います。

発達障害者(とりわけASD)の前でHSPの共感などまったく無意味で不毛だからです。

私は両親にそれらしき傾向や特性があったので、かなり早いうちに諦めの境地に立っていたと思います。そんなわけで気持ちの切り替えは比較的上手だったようです。

ささいなことに気が付く

ささいなこと、本当にどうでもいいことにもいちいち気付きます。たとえば食事の席で、一緒に食事をしている人の食べこぼしがどこに落ちて、それが靴の裏側にくっついて自宅の玄関マットを汚す確率まで考えてしまうような感じ。私の場合ですが、食べこぼしに気付くことがとにかく多く、自分の食べこぼしにかんしては手元を見ていなくてもそれがどこに落ちたかまでまるでエスパーのようにわかってしまいます。

箸やスプーンの重量変化や音、服の上からのささいな感触やその時の態勢や状況など複数の情報を統合していると思うのですが、自分でもそのメカニズムはわかるようで説明が難しく結局よくわかりません。

あとは体についている抜け毛もそう。背中についている抜け毛などを妻に「とって」と言うと「どうしてそこについているのがわかるの⁉」といつも驚かれます。

つい数日前、息子がこれとまったく同じ行動をしました。妻に「お母さん、ここについている髪の毛とって」と背中を向けて言ったのです。「これって遺伝するの⁉」と夫婦二人で驚きながら笑って話したばかり。

そんなわけで人より気が付くので、人より労働が増えがちです。グループ行動で誰が乗り気でないか、誰がつらい思いをしているか、誰が無理をしているかも常に把握しているので気をつかいがち。人が物を落としたことに最初に気付くから拾ってあげる役になりますし、とにかく物事がうまくいっていないときにその原因を最初に発見してしまうので修正作業に追われます。

で、これも私は途中からやめました。

誰かが何かをやらかしても無視できるようになったのです。最初は気持ち悪かったのですが、数年の時をへて慣れてくるともう「知らんがな」状態。つらそうにしている人がいても選択的に無視します。

わかっているのに修正してあげないというのは、やや冷たいように思うかもしれません。ですが私はこれでよかったと思っています。なぜなら、今まで自分より他人を優先する生き方ばかりしてきたから。自分を大切にする術をほとんど知りませんでした。

突き詰めると人間は、自分で自分の面倒を見られない者から自然と淘汰されるようになっています。動物界だけでなく社会もそう。弱者に手を差し伸べる心は大切ですが、世の中すべての人間を救えるわけではありません。どこかで必ず割り切りが必要です。それは発達障害問題を通し改めて肝に銘じました。

気付いた人がやるべきだ──なんて考えてたら、あらゆることをHSPがやらなければならなくなります。そんなバカげた考え方はありません。「放っておいたら損をする人」が自分で対処するべきなのです。それを予見できないのであれば単純に能力不足。運命と受け入れるしかありません。

自分で対処できない人間に対しHSPが過度に配慮して負担を一身に負う必要などなし。大丈夫です。最初は気持ち悪いですが、そのうち無視することに慣れますから。

HSPは人の痛みがわかる分、自分を犠牲にしがちです。

自分を優先する方法をしっかり学びましょう。

HSPは直せるのか?

個人的な考えですが、感覚過敏は努力で直せないと思います。いわゆる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感の過敏さなど。運命として受け入れるしかない。

しかし精神的な過敏さ(恐怖心、不安、驚き、緊張など)は場数を踏んで練習することである程度は慣れるはずです。

他人の感情に共感してしまうしんどさも、私の場合は数多くの感情的な体験とたくさんの人間との疎通で改善されました。共感すべき相手とそうでない相手を判断できるようになりましたし、心をコントロールできるようになりました。

「過敏によるしんどさを改善する」のは、言い換えれば「いかに鈍感になるか」ということでもあります。

この軸となるのが「利他でなく利己」の思考。

普通の人が利己的になったら困りものですが、HSPの場合はすでに過敏さゆえの利他思考がベースにあるので、利己的になるくらいでちょうどいいです。

実践的な練習としてはビジネスにおける交渉の場など理想的でしょう。客観視点が習慣になれば、自ずとHSP的なしんどさから解放されるはず。

7年かかるとはいえ、人生の中の7年をそれに費やして残りを気楽に生きられると考えればコスパは悪くありません。

すべてのHSPに幸あれ。

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