ASD×ADHD夫婦がうまくいく場合

私の両親はどちらも未診断ですが、典型的な症状があり発達障害の可能性が高いと考えています。

そしてこの夫婦の場合、一応関係がうまくいっているように見えます。今回はその理由についてそれぞれの特性を照合し考察します。

※この記事は5604文字です。

病的なまでに健忘的な母

母の症状は典型的で、ADHD強めの発達障害者でほぼ間違いありません。健忘症的に自分の言ったことを忘れることが昔からしばしばあり、私はそれでいつも嫌な思いをしていました。伝えたことがちゃんと履行されない。逆に言われてもないことを「ちゃんと言った」と責められたり、自分が間違っているにもかかわらず、さも自分が絶対に正しいという論調で指摘してきたり──といった具合です。最後には「被害妄想」「思い込み」「考えすぎ」とこちらを非難するのですが、自分が間違っていることが明らかになっても「あ、そう」「勘違いしてたんだろうね(不思議そうな顔で)」「おかしいなー(不満そう)」といった調子。

たとえば彼女は小学生の私に「国民の三大義務は教育と納税と投票だ」と教えました(正しくは教育と納税と勤労です)。単なる間違いではなく、発達の場合これは「思い込み」なのです。普通の人なら「それは違うよ。投票でなく勤労だよ」と伝えれば「え、そうなの?いやだ恥ずかしい!教えてくれてありがとう」となるのですが、発達はそうなりません。「いやあなたが間違っている、投票が正解」と譲らないのです。それを正す作業は非常に骨が折れるので、私は「取り合わない」という術をすでに身につけていました。

その代償として、私が「教育、納税、勤労」と正しい情報を口にしたときに「あなたは間違っている」と悪者にされる、つまり冤罪被害者にされるのを甘受しなければならない──ということがあります。冤罪被害者でもいいからとにかく付き合わないという高度なテクニックを、小学生の時点ですでに私は身につけていました。なぜなら、頻発するこうした出来事にいちいち説明も弁明もしていられないからです。一人の人間にそんなリソースはありません。

そしてもっとも典型的な症状として、私の実家はあらゆる場所にメモが書かれた付箋紙が貼られています。棚や小物入れに入れてあるものが外からわかるように「飲み薬」「綿棒」「印鑑」「電池」などと書かれて貼られているのをはじめ、電源タップや電化製品いたるところに付箋が貼られています。

終いにはコンセントに「コンセント」という付箋が貼られているのを見たときはさすがに私も笑いました。コンセントに「コンセント」って書かれた付箋紙が貼られているんですよ。「いやこれは見ればわかるだろ⁉」って思うでしょ。これ、どういう気持ちでコンセントに「コンセント」と付箋したのかいまだに謎なんですよね。

母は昔はこんなではなかったのですが、おそらく「物をどこにしまったのか忘れる=整理整頓できない&記憶できない特性」への自助・対策なのだと思います。

とはいえ彼女は私に冷たかったり無関心であったりしたことはありませんでした。愛を受けて育ったという実感はあります。ただ特性により私は常に冤罪者で、そのうち彼女の理不尽に抵抗することさえやめてしまいました。

母とはいえ彼女もか弱い女性です。そして何よりモラハラじみた父の仕打ちを受け入れ続けた人間です。私は彼女に同情こそすれ憎しみはありません。ときには泣いている母に寄り添い肩を抱きしめてあげるのもやぶさかでありませんでした。

いまだに私を悪夢で唸らせる父

父は常識人です。何よりも常識を重んじます。自分の非常識的な振る舞いは許されると思っているところが問題なのです。頭おかしいんか。

私は彼がASD傾向だと疑っていますが、確信までには至りません。どうも症状が典型的でないのです。父も父でサイコパスチックな父親(私からすると祖父)に育てられて相当イカれた経験をしていると思います。「俺は絶対親父のようにはならない」がポリシーだったようですが、現状はこの通り、私に悪夢を見せているのが現実です。

しかしもしかすると、彼は彼なりに自分の父を反面教師として努力した結果「この程度で済んでいる」のかもしれません。いずれにせよ私には迷惑な話です。

私が幼少のころ、彼は浮気をしました。おそらく恒常的にしていたのでしょう。いよいよ母がそれに耐えかね、泣きながら幼い私の手を引いて「出ていきます」と玄関で父に訴えました。

私は子どもですから何が何だか理解していなかったものの、大変なことが起きているということはわかります。そして不安から、しくしくと涙を流しました。すかさず父は「ほら、子どもが泣いているだろう。こんなことはやめろ」と言いました。私は見過ごしていませんでした、私が泣く様を見た刹那の彼の「してやったり」の表情を。

「ほら、子どもが泣いているだろう」

泣かせているのはお前なんだよ、私だけじゃない、母も泣かせているんだよお前は。

子どもながらに私は「父の出汁にされた」と感じました。

そのときの気持ち、光景、状況は今も鮮明に覚えています。

また、私が成人後にはこんなエピソードがあります。父と母がけんかし、母が泣きながら外へ出て行ったとき。父が家の中を(というか私の周りを)うろうろしているので「どうした?」と訊ねると、「お母さんを知らないか?」と言う。「知らない」と答えると「なんか出ていったみたいだ。探してくれば?」と言う。

「は?自分で行けよ」ですよね。

なんだよ「探してくれば?」って。意味がわからなくて逆に笑えましたが、しかし私は探しに行きました。私は父に従順なわけでは決してありません。ただ母に優しいだけなのです。

これとまったく同じ体験を、その後弟もしたらしいです。

こういうエピソードは枚挙に暇がありませんが、私がもっとも傷つけられた話でこの項を締めくくります。

父は洋楽を聴くのが好きでした。私が中学生くらいのころの話です。そのころ私は音楽にどっぷり浸っており、よくカセットテープをオーバーダビングしながら曲を作るなどして遊んでいました。記録媒体がカセットテープしかない時代です。

確か父の日だったか父の誕生日だったか、きっかけは覚えてませんが、私は洋楽好きの父のためにカセットテープを使い、いろいろな海外アーティストの楽曲を編集してオリジナルのコンピレーションアルバムをプレゼントしました。

返ってきた言葉は「センスないなお前、だっせぇ(笑」でした。

彼らがうまくいく理由

父は浮気をしましたし家庭では横暴でした。しかし基本的に彼らの関係はうまくいっています。時代背景も手伝っていたのかもしれませんし、ある意味で昭和的な家庭だったのかもしれません。父は絶対的存在。母は三歩下がり主人に献身的に尽くす。夫婦のこういういびつな関係性が正当だとされていた時代であったことが一つの理由ではあったと思います。

高校生のころ、私は母に「離婚したら?」と言いました。「なんで離婚しないの?俺は全然気にしないよ」と。母は「夫婦には夫婦の形があるのよ」とだけ言いました。

ASD疑惑の父は知能が高くありません。見栄を張ることには一丁前なのですが中身は非常に幼稚です。これも私が高校生のころの話なのですが、彼が突然私の部屋に入ってきたかと思うとこう言いました。

「兄、たばこって百害あって一利なしって言うだろ?でも一利あるんだぜ。何か知ってるか?」と。

私は「知らない」と答えました。

すると彼は得意げに「深呼吸ができる!」と言い放ったのです。

(だからその深呼吸が体に悪いんだよアホなんかこいつ)と内心思いながら、私は「ははっ」と鼻で笑いました。彼は得意げに去っていきました。

この通りバカなんですよ。

ですので彼はごく近しい人間からは天然扱いされるのですが、本人は至ってまじめなので、それをいじられると激昂するのです。

二人の正体

私の両親の関係は一見すると、専業主婦の母がサラリーマンの父を献身的に支えているように見えます。しかしおそらく実態はそうでなく、母がうまく父をおだてて気分よくさせることで均衡が保たれているように思います。つまりこの関係が成り立つのは母の戦術によるのではないかと、私は睨んでいるのです。

母は専業主婦でしたが、私たち兄弟の子育てを一通り終えてからは、まるで引きこもりニートのような暮らしぶりでした。もともと交友があまり好きでないタイプですから外出は必要最低限。家事はこなしますがそれも最低限の労力と時間で。自由な時間を効率よく最大限に確保してオンラインゲームと読書にあてる──といった具合です。ほとんど一日中ゲームをやっていた印象があります。

ただし自堕落的には見えませんでした。むしろ要領のいいやり方だなと。そしてこの快適な暮らしを維持するために、父をおだてて気分よく過ごさせるのも、ある意味一つの賢い戦術だと思ったのです。

実際、父をおだてるのは簡単です。

だってバカなんだから。

しかし父には神経質な一面があり、たとえば床や階段に落ちているゴミやホコリが気に入らない人間です。今は毎日父が自分で掃除機をかけているようですが、昔は母への小言が多かった。母にはADHD特性がありますから、たとえば整理整頓や完璧な掃除などがどうしてもできなかったのでしょう。その対策として「あらゆる場所に付箋を貼る」を実行したのだと推測しています。そしておそらく掃除にかんしては「気づいたらあなたやってよ」が夫婦の落としどころだったのでしょう。

父はASDなのか?

繰り返しになりますが母がADHD寄りの発達障害なのは確信しています。ASD傾向もあるでしょう。しかし父がASDかどうかは確信が持てません。自己愛性パーソナリティ障害とも違うしAC(アダルトチルドレン)とも違う。精神病質いわゆるサイコパスやソシオパスなどとも違う。

私は18歳のころから心理学を勉強し、最初に関心を持ったのが犯罪心理学でした。犯罪者には虐待を受けて育った人が少なくありません。機能不全家庭が人間に与える影響を知りたかったのです。なぜなら父がそういう家庭で育ったのを知っていたから。

父はもしかすると、反面教師を手本として学習しながら自己修正し、限りなく定型に近づくほど進化したASDなのかもしれません。

いずれにせよ、異常な特性を持った者同士が離婚することもなく日々争うわけでもなく(たまにけんかしているみたいですが)、むしろ楽しそうに仲良く定年を過ぎた今まで過ごしているのは、やはり「特性的に相性がよかった」と言うしかないのでしょう。

この関係が成立する方式はおそらく「自己中心的な父に、自己保身でいっぱいの母のwinwin」です。

父は母に家事をすべてやらせ、おだてられ、気持ちよく生活できる。その代わり外に出て働き、仕事の負担を一身に負う。一方母も父の知らないところで自分の好きなことをやり経済的にも不自由せず、その暮らしを維持するために父をおだてる。

育児に追われていたころはさすがに大変だったと思います。当時は貧しかったらしく、母は赤ん坊の私を抱えながら水だけ飲んでやり過ごし、ギリギリの食費を父の食事にあてていたそうです。しかしそれでも父は「こんなものが食えるか!」とちゃぶ台をひっくり返す(比喩でなく本当に)のでした。

もちろん私は覚えていませんが、こうした暴君的片鱗は幼いころから彼のあらゆるところから感じていました。

夫婦のステージにより関係性が変化するという考え方

私はたびたび「責任こそ定型・発達共存における最大の障害」と言っています。責任をシェアする関係を築けないのは、個々に過大な責任が求められる社会に問題があるという考え方です。詳しくは「発達障害者の楽園」シリーズをご覧ください。

責任の重さは、夫婦がパートナーとしてどういうステージにあるかによっても変わります。

たとえば子どもが生まれてまだ小さなうちは、発達パートナーとの暮らしはほとんど地獄ではないでしょうか。育児には途方もない体力と気力を奪われます。子どもをケガさせないよう、死なせないようにと親としての責任を全力で果たそうとします。夫婦のステージの中でもかなり大きな責任が要求される局面です。責任をシェアできない発達パートナーとの関係における負担が最大化するのもこの時期でしょう。

逆にいえば私の両親のように、そのステージを乗り越えて次に進んでしまいさえすれば、求められる責任が小さくなるとともに発達特性の負担も小さくなるのがわかります。

パートナーとどのステージにいるかによって特性による負担が変わる可能性があるので、将来に希望を持って発達理解に努めている方は、長い目で先を見据えると少しは気が楽になるかもしれません。

しかしいずれにせよ私が個人的に発達障害者とのパートナーシップ構築に挑戦することはもうないでしょう。父、母、弟、そのすべてとの共存を試みる運命を、私は生まれながらにして背負っていたのかもしれません。結果はこの通り、すべての発達と「離れる」しかありませんでした。

「発達とは離れるしかない」は私の持論です。

これは夫婦であれ兄弟であれ会社の仲間であれ、例外はありません。

愛されながらも虐げられるという矛盾と混乱を内包する環境で、私はずっと発達障害者に寄り添ってきました。理解に努めてきましたし、自分がおかしいのだと思い彼らの振る舞いを真似た(ASDが定型を真似るように)こともありました。

ですが、いつかどこかでカサンドラが決別を決断しなければならない出来事は起こってしまうのだな、と。それが定型と発達の運命なのだなと感じています。

やがては私が両親と絶縁した理由についてもお話ししたいと思います。

定型と発達の共存についてはこちらの記事もオススメです。

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