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人生のやめ方、始め方

苦しんでいるときは、その苦しみの本質を理解することがとても大切です。

日本の自殺者総数では、病気や障害など健康問題による自殺者の割合が圧倒的に多いといわれています。病気を苦に自殺してしまうのは、ある意味仕方がないのかもしれません。本当にこればかりは努力云々で何とかなる話ではありませんから、尊厳死などが議論されるのも必然的な流れなのでしょう。

しかし健康問題以外であれば、自分の力で何とかできる問題はたくさんあります。たとえば私はカサンドラ症候群に苦しみましたが、人生を改革することで乗り越えました。失うものはたくさんありましたが、これから失った以上のものを得るのだろうとワクワクすらしています。

療養のために私は家族以外のすべてを捨てました。ほとんど人生をやめた気分です。財を捨て、仕事を捨て、住居を捨て、生活を捨て、事業を捨て、キャリアも捨てました。自分の命には代えられなかったからです。

私はその決断を下すとき、できるだけ客観的に「自分が本当に大切にするべきもの」について考えました。第一に妻と息子、つまり家族です。次に自分の健康。家族を養うには私が健康であることが前提ですから、家族と自身の健康は両輪でなければなりません。この二つを守るためにそれ以外のものを捨てたのです。

仕事を捨てたのは、そうする必要があったから。

私は発達弟と仕事でかかわりカサンドラになりました。そんな弟と離れるには、彼を自立支援し筋を通す必要があった。そしてそれは仕事と両立できなかった──ということです。詳しくは「発達障害とカサンドラのヤバイ関係」をご覧ください。

このとき、私は人生を一度やめたように思います。

家族と健康というもっとも大切なものだけを残し、ほかにはほとんど何も残りませんでした。人生をリセットしたような気分です。それはゼロからの新たなスタートを切ったということでもありました。

現に私は、症状がよくなってくるにつれてまた事業について考えています。人生に希望を持ち始めています。以前の自分に戻りつつあります。

私は以前、グローバルビジネスを展開していました。その経験やノウハウを踏まえて、次は別の自社商材を使いもっと大きなスケールで展開したいという目標を持っています。

発達障害者の楽園となるような組織的共存も実現したいと思っています。

一度人生を捨てなければ、決して持てなかった目標達だったと思います。

人生を捨てたのは英断だったと思いますが、それほど覚悟が必要だったわけではありません。なぜなら「この方法で心が必ず回復する」という確信があったからです。つまり希望の下の決断であったということ。人生を捨てるというのは、必ずしもネガティブなことではありません。

また、人生を捨てたり人生をやり直したりするのは大変なことのようで、実は意外とそうでもないのです。物質的豊かさを手放すことや短期的な苦労などを甘受すれば、人生は意外と簡単に仕切り直すことができます。なぜなら「リセット」とは言っても、自分のレベルまでリセットされるわけではないのですから。

確かに装備はすべて失います。武器も防具も薬草すらない状態ですが、レベルは引き継がれるのです。まずは弱い敵を素手て倒しながら、少しずつ装備を整えていけば問題ありません。以前よりも効率的に元いた場所まで上り詰められるでしょう。

問題は、リセットするときに武器や防具、アイテム、お金など物質的・社会的豊かさを未練なく手放せるかどうか──です。

この未練、執着心、欲望こそ、実は決断を鈍らせる一番の敵でもあります。

人生をやめるということは、新たな人生を始めるということ。

もし人生に苦しんでいるのなら、本当に大切なものだけを残し、しかもレベルはそのまま引き継ぐというほとんどチートのような「リセットボタン」を押してみるといいかもしれません。


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