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イベント制作会社をやっています。母の闘病をきっかけに緩和ケアを終末期医療としてとらえる…

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イベント制作会社をやっています。母の闘病をきっかけに緩和ケアを終末期医療としてとらえるだけではなく、「働き続ける為」「より良く生きる為」に【生きる為の緩和ケア】をイベント会社だから出来る事を通して皆さんに知って頂きたいと思って活動を始めました。

最近の記事

しばらく蓋をしていた気持ち

noteを始めるようになって、私の拙い文章にも♡をして下さる 方がいて下さり、私もその方々のページも拝読させて頂く事があります。 同じような境遇で、大切な方を立派に天国へ見送られた方のページを読ませて頂きました。 涙なしでは読めなかったけれど、 とてもあたたかい気持ちになる文章でした。 私は、母の闘病の経緯を、最初のnoteでチラっとは書いたけれど、 闘病の様子、母が病気により変わっていく姿、7年経った今でも辛すぎて、 未だにこの場所で書けずにいます。 ですが、その方の

    • 義理母の闘病

      色々とバタバタしてあっという間に2月もあと1日。 皆様はいかがお過ごしでしょうか。 タイトルにも書きましたが、義理母の癌が発覚しました。 母は肺がん、 叔母はびまん性の悪性リンパ腫、 そして主人の母は濾胞性悪性リンパ腫。 せめて救いだった事は、母や叔母に比べて、 進行がとても遅いガンという事でした。 80歳になるので、先生が仰るには寿命かガンか・・というくらいの テンポで進むとの事なので、一応、抗がん剤を使って大きくなった腫瘍を 小さくして様子をみますが、「共存」という

      • とりあえず出す

        2月に入りました。 私の住む仙台では、2月は一番寒いともいわれますが、 やはり風の強い日や氷点下になる日も増えてきて、 暖冬だと思っていましたが、ようやく冬を実感しています。 先日、私のメンターとも言えるOさんと、 Oさんが繋いで下さった、緩和ケア啓蒙事業のロゴをデザイン して下さったMさんと、仙台と広島をzoomで繋いで web新年会を開催しました。 新年会の冒頭、一人ずつ今の心境や現状を話してから始めませんか、 とOさんが仕切って下さいました。(これを「check i

        • YouTube撮影

          先週、緩和ケア事業のYouTube撮影の為に、 登米まで行って来ました。一緒にこの活動を協働して下さる先生の撮影を する為でありました。 しかし先生はちょうど往診の連絡が入った所でした。 患者さんの往診が優先順位一番ですので、先生のお戻りを待つ間、 時間を有効に使う為に、私の部分の撮影を急遽することに。 自分の撮影をするつもりで行ってなかったので、よれよれのTシャツに セーターで行ってしまった事を後悔・・・。 でも、そんなことより話す中身が大事なんだと言い聞かせ、 自分の撮

        しばらく蓋をしていた気持ち

          2024年が始まりました

          皆様2024年のお正月はいかがお過ごしでしょうか。 年明け1日は、私の住む宮城県でも警報が鳴り、揺れました。 能登半島地震で被害に遭われた方にはお見舞いを申し上げます。 きっと被害の数は今後増えてくるのではと予想されますが 2011年の東日本大震災を思い出さずにはいられません。 あの夜もとても寒く、雪が降り、街中の電気が消えた中、星が異様に 輝いていたのを覚えています。 東北の我々にできる事を模索しつつ、一日も早い復旧を願います。 我が家も年越しの少し前の時間から救急車に乗

          2024年が始まりました

          皆さま良いお年を!

          クリスマスも終わり、2024まであと6日。 1年が過ぎるのが最近は特に早く感じるようになりました。 今年は、本業であるイベント業の方ではようやくコロナが明けて、 4年ぶりに通常のイベントが開催できるようになり、仕事を頂ける有難さをかみしめた一年でした。 そして、ありがたい事に新しくチャレンジさせて頂く分野のイベントも あり、自分としては幅を広げられた一年になった事に達成感で一杯です。 そしてこのnoteをはじめ、“正しい緩和ケアの普及”活動も一歩を踏み出せた 記念すべき年

          皆さま良いお年を!

          叔母の家の後片付け

          昨年11月に他界した叔母宅の売買がやっと決まり、 家を明け渡すにあたり、昨日家の荷物をまとめに久々に叔母の家に 行ってきました。幼馴染に手伝ってもらい、彼女も叔母を知っているので 昔話をしながらの片づけでした。(今日は案の定の筋肉痛・・・) うちの母は肺がんでしたが、叔母は「悪性リンパ腫」でした。 叔母の場合の緩和ケアは母と違ってあまりうまくいかなかったので、 ここに記しておきたいと思います。 最初は「背中が痛い、腰が痛い、痛い場所が移動する」と言い始めて、 整形外科に通っ

          叔母の家の後片付け

          緩和ケアという言葉の印象

          この「より良く生きる為の緩和ケア」を普及したいと思って 活動をしていく中で、色々な方にお会いしてお話をしますが、 “緩和ケア”=終末期のためのもの という理解の方がまだまだ多い事を実感しています。 もちろん、私も母の闘病を経験しなかったら、大多数の方と同じように 「末期の為のものだから、私はまだまだ関係ない」 と思っていたかもしれません。 私の仕事がイベント制作なので、緩和ケアの正しい知識を楽しい形で知って頂きたいと思って企画をしますが、暗いイメージがあるとか、もっと前向き

          緩和ケアという言葉の印象

          アドバンスケアプランニング講演聴講

          昨日12月3日は、より良く生きる緩和ケア事業を協働して下さっている田上恵太先生が基調講演された、仙台市医師会と仙台市主催の講座「終末期医療を考える講演会」を聴講してきました。 田上恵太先生は、東北大学緩和ケア科にいらした時に、母が最期までお世話になった先生です。先生の事をFBで探し、私からDMを送ってこの活動のアドバイスが欲しいと連絡しました。その日のうちに返信を下さり、ご快諾くださって今に至っておりますが、母の他界から6年経って今こうして田上先生を一緒に活動が出来るなんて

          アドバンスケアプランニング講演聴講

          はじめまして。

          皆様はじめまして。 HPから飛んで来て下さった方、ありがとうございます。 私は宮城県仙台市でラフ・アソシエイツというイベント制作会社をやっています。仕事で台本は書きますが、個人的な思いを含めてここに書き記すにはそれなりの勇気がいりました。 それでも、私には書かねばならない、どうしても書きたい、そんな思いでいます。少し長くなりますが、ここで何を書きたくて、何をお伝えしたいのか、お付き合い頂けたら嬉しいです。 私は大学卒業後、在学中にバイトをした会社に入社しました。そこでの

          はじめまして。