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選択の連続の中で

 こちらの記事を読ませていただき、自分自身の人生の選択のことをふと思い出した。

 私の人生もまた選択の連続だったな、と。

 今から3年ほど前、結婚を前提にお付き合いしてほしいと言ってくれた方がいたのだが、私はその選択肢を選ばなかった。

 はたから見れば、その選択肢を選ぶことは至極無難で、いわゆる世間的に言う幸せなのだろうと思った。しかしながら、

 
私の心は動かなかった。

 悪い人ではなかったし、年上の頼もしい方でもあった。好きかといわれると何とも言えなかったが、一緒に生活していくうちに、好きになれるような気がしないでもなかった。結婚=愛着のリユニットみたいな感覚を持っている私にとっては、その選択肢に飛び込むことに戸惑いがあったわけでもない。それでもなお、私の心の信号は青にはならなかったのである。

 そして、そうこうしているうちに海外赴任の打診をされ今に至る。

 つい先日、自分と同世代の子持ち既婚女性たちとお話する機会があった。ここでもまた、選んだ選択肢によって自分を形作るベースの価値観が異なることに気がついた。

 お互いに「私とは違う世界で生きる人」というファーストインプレッションを持ち、これからも関わっていくのだと思う。それは、決して悲しいことでも否定的なことでもない。

 生きている世界線が違うという、ただそれだけなのである。お互いの価値観がどこまでも平行線であることに変わりはないが、相容れないというわけでもない。

 どちらが優っているとか、劣っているとかという話でもない。その人は私が経験したことのないことを経験をし、成長してきたのだろうし、一方で私もまた、その人が経験していないことを経験していて、成長してきたのである。それは心、精神の成長の種類が違うとも言えるのではなかろうか。

 そんな私も小学校1年生の時の将来の夢は、花屋さんかお嫁さんだった。学校の行事でどちらかの役をやらなければならなかった時に、最終的に迷いに迷って選んだのは、お嫁さんだったのである。

 母に白いスカートを選んでもらったのを今でも思い出す。私のお嫁さんの夢はもうそこで叶ってしまったとも言える。

 結婚と出産、私がこのフレーズに心を揺り動かされる日は来るのだろうか。

 人生は選択の連続であり、自分のハート(直感♥)に従って生きていきたいものである。

 今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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