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【凡人が自伝を書いたら 34.本部採用課(後編)】

「ジャッジメント」

面接通過率50%未満。

グループ外の他社の平均を知らないので、なんとも言えないが、僕の一次面接の通過率は少なくともグループ最低だった。要は、まさかの「最難関」だったのである。

僕がこの事実を知ったのは、もはや恒例となった、津川マネジャーのお説教タイムの最中だった。

「え、わたくしが最低ですか?」

これだった。要は「お前は合格者を絞りすぎだから、もっと合格させろ。」そういうことだった。

もちろん気持ちはわかった。ただでさえ飲食業は人手不足。それに加えて、就活市場でも、飲食業はなかなかに人気が低かった。毎年の新入社員も毎年下がり続けていた。目標は30名は、ここ4年間達成できていなかった。

いつもはすぐに白旗をあげて降参する僕も、これに関しては食い下がった。

「気持ちはわかりますし、現状は把握しておりますが、結局ガバガバ採用で人数だけ集めても、結局、早期退職すれば、それまでのコストが全部無駄になります。数も大事ですが、いかに辞退しない学生を採るか、いかにすぐ辞めない人材を採るかが、大事じゃないですか?」

これだった。

事実、僕が合格にした学生は全員内定まで辿り着き、内定後の辞退も無かった。二次面接以降の担当者からも学生の評判は高かった。

「一次面接の乱」

これが任期中唯一、津川マネジャーに勝利を収めた戦いだった。(戦うな)

「好き嫌い採用」

サイテー。

これである。

「面接ではここを見よう」

「こんな質問をしよう」

「こういう人材を取ろう」

「そもそも人材採用とは、、」

「採用論」的な本には、こんなことが色々、たくさん書いてあった。

ただ、僕らが本当に欲しい人材はべつに「優秀な人材」と言うわけではなかった。飲食業の店長に、高度な教養や、特殊なスキル、特殊な経験、プレゼン力、発言力、そういういわゆる優秀な感じ、「インテリ」な感じはいらなかったのである。

別に100人のボランティア団体を運営している必要はない。学生活動に積極的でなくても良い。東大やら、早稲田やら、そんなんじゃなくていい。何百人の団体をまとめるリーダーシップなんていらない。むしろ「目の前の一人の人から好かれる」能力が必要なのだ。

これは店長としても、一人の「サービスパーソン」としてもである。

「僕が一緒に働きたいか。」「僕が接客を受けたいか。」

判断基準はこの2つだけだった。

おそらく「人事のプロ」からしたら、しょうもない理論だろうが、それはその時の僕の経験上、そして能力的にも、最もマシな判断ができる基準だった。

正直、勘と言われれば、勘である。(おい)

ただ、たった30分そこいらで、他人を見抜くことなど、僕にはできない。そして、その未来を正確に想像するなんて不可能である。

身も蓋もない論だが、人間がやる採用なんて、結局は、そんなもんなのである。(プロの方、未熟なわたしを許したまえ。アーメン)

「ほら、言ったでしょう」

結果的に、僕の一つ下の代は34名の新規入社が決まった。

4年ぶりの目標達成。万々歳である。僕の代と比べると+8名。前年比130%。直近のトレンドを見ればこれはもう「爆あがり」である。

「ほら、言ったでしょう。」

僕の鼻は、パソコンの画面に突き刺さるほどに、伸びていた。(愚か)

きっとマネジャーも主任も、「ボーナスの査定」はさぞ良かったに違いない。僕はといえば、加点も多かったが、それ以上に減点が多すぎた。勤務態度、業務命令違反を初めとして、数々の失態によりボコボコに減点された。(ざまあ)

ここ半年で書いた反省文の数は、ギリギリ両手で収まる程度。現場では別に不思議ではない数字だが、お客様から直接のクレームがない本部において、この枚数は、個人ランキングダントツ1位。もはや殿堂入りだった。(愚か)

くそ!!! 目標はきちんと達成したじゃないか!!

異議あり!!! これは監督責任だ!!!

そんな思いも湧いてきたが、それはさすがに人としてどうかと美しくない、いやむしろ醜いんじゃないかと、そう思い、やめておいた。(あたり前田のクラッカー)

「友情? そんなもんキャンプやれば、勝手に仲良くなるでしょう。」

入社式も無事に終わり、僕らは次の代の採用活動にいそしんでいた。

就活解禁から3ヶ月が経ち、順調な滑り出しを見せていた。このペースでいけば40人も夢ではない。そんな感じだった。

次の目標は「辞退者」を減らすことだった。せっかく内定を出しても、入社前に辞退されてしまう。これはうちだけでなく、どの会社でも、ひとつ頭の痛い問題だった。

僕らはデスクに並んで座り、辞退者を減らすためのイベントを考えていた。内定者同士で、輪を作ってもらい、そのまま入社してもらおうという魂胆である。(こういう取り組みはどこの企業でもやっている)

大抵は食事会やら、入社前研修やら、通年そんな感じである。

つまらん。

ひじょーにつまらん。(経験者語る。いや、正しくは経験していない。)

僕は、つまらんそうすぎて行かなかった派である。

「そういえばあなた。一回も来なかったわね。」

相変わらず痛いところにすぐに気が付く。

津川マネジャーである。若干、根に持つタイプである。(こら!)

「あなた、どうして来なかったの?」

「あ、いや、何やら気分が向かなくて、こう、意欲が湧いて来ないと言いますか、、ええ。」

「ふーん。。」

不機嫌になるのも仕方がない。その意欲が湧いてこないイベントを考えたのは、津川マネジャー自身だった。(深すぎる墓穴)

「そうだ!キャンプってのはどうですか? こう、大学生のノリでキャピキャピっと。 僕も高校生の頃、初めは距離を置かれてたんですけど、自然教室でキャンプをしてから、めちゃくちゃ仲良くなりましたからね。ええ。」

「は? そんなのやったことないわよ!? 前代未聞よ!?」

もはや、反対されているというより、怒られている気分である。(日頃の行い)

「お、キャンプか! 良いんじゃないか!?」

ここでまさかの「人事部長」が乗ってくる。何やらめちゃくちゃお気に召したようだ。

「面白いじゃないか。そういうのも良いんじゃないか?」

もはや、軽い気持ちで言ったことを後悔するほどのノリだった。

「くそ!」と津川マネジャーの顔が言っていた。(勝手な妄想)

結局、部長を味方につけた僕の案が通ってしまった。

「成程、これが鶴の一声というもんでございますか。」

まさにこれだった。

自分の意見が通ったことで、僕はいい気になっていた。(愚か)

「それは無いだろ! こんちくしょう!!!」

「発言には責任が伴う。」

これが大人であり、社会人というものである。

「じゃあ、あなたが担当しなさいね。」

これだった。(石を投げたら、大砲が返ってくる感じ)

くそ!!! そんなことだろうと思ったぜ!!

俺だってキャンプなんてしたことないぜ!!!

これだった。

とりあえず、google先生に尋ねてみる。

えーと、「東京 キャンプ場」っと。

「ほう、結構あるじゃないか。」

あれ、でも予約っていつからできるんだ。てか、まだ人数わからないけど、どうしたら良いんだ。てか、何持ってけば良いんだ?

くそ!! わからん!!!

これだった。

その日から、空き時間にキャンプ場に電話をかけまくる日々が始まった。さらに勤務中にキャンプのブログやら、動画やらを見ていて、「何遊んでんの!?またサボってんでしょ!」と罵られる始末だった。(日頃の行い)

「え、わたくしでございますか?」

さらに1ヶ月が経ち、例の「キャンプ計画」もなんとか詳細が決まり、日程も確保、内定者への告知が始まった。

まあ、大変だったけど、これで安泰。なーんの問題もない。ノープロブレムだ。あとは楽しむだけだ。(ワクワク〜)

これだった。

9月の初めのキャンプを1ヶ月半後に控えた、7月中旬。

「ちょっと今、時間いい?」

津川マネジャーが神妙な顔で、聞いてきた。

「あれ、わたくしはまたなんかやらかしましたか? 最近は結構マジメにやっているつもりでしたがね、はい。」

僕は恐る恐る、机に向かい合った。

津川マネジャーはゆっくりと口を開いた。

「去年から、色々あったけど、しっかり結果も残してくれたし、今年も順調に行ってる。キャンプの件もほとんど一人で固めてくれて、ほんと助かってる。

そんな時に言いにくいんだけど、

あなた異動が決まったの。」

「え?」

「え?」

「は?」

これである。

まさかの途中離脱の戦線離脱である。

その後の抵抗虚しく、僕はなんと、元いた「うどん県」に強制送還されることになった。

後で知ることとなるが、これは別に問題を起こしたからとか、人員削減とかそういうことではなかった。

きちんと考えられた上での、将来への布石だったのだ。

陰謀怖い。

これだった。

つづく

















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