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【凡人が自伝を書いたら 97.いつも霞みを晴らしてくれたもの】
今の状況、やるべきことはハッキリしたものの、全く迷いがないか、先に一切の曇りが無いかと言われれば、正直そうでは無かった。
店にとっての「売上」は、人間で言えば「血液」のような存在である。(と思っています。)
どんなに強靭な肉体を持っていても、「血」が足りなくなったり、巡りが悪くなれば、身体に何かしらの弊害が生じる。(はず)
適切な治療を受けたり、食生活を改善したりすれば、そんな状況であってもとりあえず「生きていくこと」はできる。
ただ、そこに不安が無いか、不便なことは無いかと言えば嘘になる。
当時の僕の店はそんな状況だった。
そうやって何とか生きている、状態が完璧に改善したら、今の経験を活かして、より健康的な生き方をしていって、以前よりも元気にやっていこう。
そういう状況だった。
上司から見れば、僕らは「兵」のようなものだ。(語弊)
上司が、部隊を束ねる「部隊長」だとすれば、僕らの店は「小隊」であり、僕は「小隊長」だった。
今、このエリアには10の小隊があって、そのうち戦えるのは、僕の小隊を含め3つくらいだ。残りは死にかけだったり、戦える状態では無かった。
その中でも僕の小隊は、一番戦闘力は残っていたが、本来の力は発揮するまでには至っていない。
「部隊長」である上司の選択は、他の「死にかけの小隊」を何とか戦わせるのではなく、僕の小隊に「ドーピング注射」を打ってでも、強化することだった。
「10の弱い小隊」より、「1の強い小隊」を持っていた方が戦いに勝てる可能性が上がる。
ただ、死にかけの小隊が本当に死んではいけないので「延命治療」はする。
が、それ以上はしない。
そういう判断だった。
「ドーピング注射の副作用」
それが僕の一抹の不安、そして迷いとなっていた。心からの気乗りをしない、大きな原因の一つだった。
コロナ禍で、このように「迷うこと」「頭を抱えること」はたくさんあった。
本当にこれで良かったのだろうか。
そう思うこともあった。
そんな時に背中を押してくれ、先に見える「霞み(かすみ)」を取り払ってくれたのはいつも、部下であるチーフやスタッフ達だった。
会社からの「最低限スタッフのみ確保して、その他は基本休ませなさい。」命令を突っぱねた時、
明らかに減ったシフトに、(おそらく心の中にはあっただろうが)不満ひとつ言わず、いつものように明るく、元気に働いてくれたスタッフ。
「これだけでも、働けるだけありがたいです!」「こんな状況なのに、私たちのことを一番に考えてくれてありがとうございます。」なんてことを言ってくれるスタッフ。
いきなり僕が暴走して「勝手にお弁当販売」を始めた時も、
「新鮮で楽しいです!」「今日こんなに売れましたよ!」「常連さんが来てくれましたよ!」
そんなことを言って、楽しくやってくれるスタッフ。そんな言葉、そんな姿。
「人件費削減のための新人教育禁止」を無視した時、
人が減り、変更もたくさんあって大変なのに、新人スタッフを熱心に指導してくれるスタッフ。
そして、一生懸命指導についていき、みんなが驚くほどのペースで成長してくれた新人スタッフたち。
「弁当販売」の売上が、この人件費の捻出にも役立ってくれた。
状況の改善に没頭し、ややオーバーワークに走ろうとしていた僕を、意思を持って止めてくれ、そっとフォローしてくれた、No.2であるチーフ。
細かいことを言えば、もっとたくさんある。
僕なりのギリギリの判断が、全て、「唯一の正解」であったとは全く思わない。
僕は所詮、「凡人リーダー」である。
もっと優秀で、カリスマ性もあって、人徳もあって、良い判断ができる人間はたくさんいるだろう。より良い判断もあっただろう。
ただ、そんなチーフ、スタッフの「言葉」「行動」「働く姿」、それらが僕に思わせてくれた。
僕は決して「間違ってはいなかった」と。
「唯一の正解」ではないが、少なくとも「間違ってはいない」、そんなふうに自信を持たせ、先に見える「もやもや」、「霞み」のようなものを、いつも晴らしてくれたのは、部下たちだった。
僕はいつも、彼ら、彼女らのおかげで、道に迷わず、真っ直ぐに自信を持って歩けていたのだ。
つづく
お金はエネルギーである。(うさんくさい)