【凡人が自伝を書いたら 35.うどん県再び】
さあ、わたくしが帰って参りましたよ、うどん県。(何目線だ)
また美味しいうどんを食べさせてくれよ? 香川と岡山を繋ぐ、なんとか橋の上で、僕は何者かに語りかけるも、もちろん何も返ってこなかった。
入居を済ませ、早速うどんを食べに行った。
はい、これこれ!これですよ、はい。
香川の讃岐うどんは、「安い・早い・美味い」見事にこれである。500円もあれば、超大盛りのうどんに、天ぷらも付けられた。
グルメ系ブロガーではないので、奇妙なテンションでの食レポは避けるが、とりあえず、麺が美味い。スープもなんだか他のと違っていて、これまた美味い。天ぷらも美味い。なんなら、ネギや天かすまで美味い。
「讃岐うどん」の素晴らしさが伝わっただろうか。(逆に香川県に謝れ)
何がともあれ、僕は「うどん県」にカムバックしたのだ。
「このなんとも言えない微妙な感じ」
僕が配属された店舗は、以前いた店舗の隣の市にある店舗だった。
その店舗は、アルバイト出身の主婦さんが、契約社員となり、店長をしている店舗だった。アルバイト時代の僕のグレードアップバージョンだ。
そこに正社員となった僕が、部下として配属される。正社員と契約社員なら正社員の方が上だが、僕は副店長、あちらは店長。絶妙な「ねじれ具合」である。
「何やら絶妙な感じにございますな。」
営業に入ってもそれは如実に現れる。アルバイトスタッフもどちらの方が上なのか分からなくなっていた。普通の入社2年目であれば、実力も知識も下だから、割り切れるものだが、実力も知識も同等、むしろ僕の方が高いくらいだった。
細かいことを言っているようだが、組織においては、誰のいうことを聞けば良いか、最終的に誰のいうことが正しいのか、みたいなことは結構重要だったりする。下手に2トップ体制みたいになると、現場は混乱するものだ。
まあそんな感じで、僕は変な気を使いながら、絶妙な感じになっていたのである。
「リハビリ」
地区長(本来の呼び方は違うが分かりやすく)との面談があった。
この「中野地区長」は、元々、社員研修課でマネジャーをしており、僕も研修やらで大変お世話になった。僕の「アルマゲドン帰還」から、僕のことを認めてくれたようで、研修では一緒にタバコをふかしながら、しゃべったり、酒を飲みに行ったりと、可愛がってくれていた。久しぶりの再会だった。
面談の内容は意外なもの。
実は、僕が香川に強制送還されたのには、理由があったのだ。約4ヶ月後の12月から、会社全体として新規店を開けまくる戦略を計画していた。一店舗だけのオープンであれば、適当に社員を見繕って異動させれば、それで事足りる。
ただこれが、短いスパンで連続となるとそうはいかない。社員の移動を毎回毎回あれこれ考えるのは大変だ。それに能力的な制限もある。新規店はとても忙しい。オープン当初は通常店の2〜3倍の売り上げは当たり前である。そこに1ヶ月そこいらで育てた新人アルバイトと共に臨まなければならない。
強い営業力、お手本となるスキル、教育力、コミュニケーション力、リーダーシップ、そういうものが必要なのだ。
そこで、「オープンチーム」という専門部署の創設が決まった。全国からなのある社員が集まる、まるでスーパースター集団だ。
そこに若手代表として唯一、僕の名前が上がったというのだ。現に当時、僕の次に若かったのは、5つ先輩の28歳の社員だった。
僕を急遽、無理やり現場に戻したのは、営業の感覚を取り戻すための「リハビリ」のためだったようだ。
「ふむふむ。そうでしょう。そうでしょう。なんだかんだ言って、しっかりとわかってるじゃありませんか。ははっ。」
これだった。
まるで讃岐うどんの麺の如く、長く太く、僕の鼻が伸びていった。(成長が見えない)
「お前、あんまり調子に乗るんじゃ無いぞ笑」
笑っていたが、完全に見透かされている。
こわい。
こんな分析眼が「中野地区長」の強みであり、こわさであった。
「くせ者揃い」
その店のアルバイトスタッフはなかなかに特徴的だった。特に調理スタッフはなかなかの曲者揃い。ロックバンドのような風貌の30歳の男性フリーター「岩尾」。要領は良いが、怠け癖のある、いかにも「今どき感」のある男子大学生「山上」。黙々と働き、仕事もできるが、黙々すぎる女子高生「松本」、しかもこれがまた、ミニスカのギャルなんだから面白い。
この3名が事実上の主戦力だった。
営業中も、接客の方は明るく元気に営業しているものの、調理場は奇妙な雰囲気だった。
不貞腐れたような顔で、マイペースに働く「岩尾」
だりぃ。だりぃ。と言いながら働く「山上」
2人のことはガン無視で、自分のポジションを無言、無表情でこなす「松本」。
「なんじゃこりゃ。」
これだった。出てくる料理はもちろんしっかりとしているものの、こんな状況見ると、なんというか、それを食べよう、なんて気にはなれなかった。
「くせ者」
よくもこう、くせ者ばかりが揃ったな。
そう思うと同時に、
いや、待て、ここにもう一人「くせ者」がいるじゃないか。
僕だ。
僕も立派にくせ者認定されてるじゃないか。そうだ。俺しかいない。こいつらの気持ちがわかって、なんとかしてやれるのは俺しかいないんだ!!!
まさに「勝手にヒーロー」だった。
「心の開き方」
「誰しも必ず、きらりと光る良い点があるものだ。」
これは、僕も信じていたし、これまでの経験で「たしかに!」と思っていることだった。
ふむふむ。なるほど。ふんふん。こりゃあいい。
これだった。(内容の欠如)
岩尾は、常に不貞腐れてはいるものの、仕事はすこぶる丁寧で、料理の品質も申し分ない。実は非常に綺麗好きで、調理器具は常に整理整頓され、作業台も常にピカピカに吹き上げられていた。
「岩尾さん、めっちゃ仕事丁寧やなぁ。」
「あー、俺こんなんだけど、結構几帳面なんだよなー。なんかこう汚いの嫌いなんだよ。」
これだった。見た目はパンクロッカーだが、心はまさかの「ビジュアル系」だった。
山上は、だりぃ、だりぃ。といつもやる気がないものの、面倒くさがるからこその、効率を求める頭の良さがあった。彼のポジションは食材から、調理器具から、全てのものが、非常に効率的に配置を変えられていた。「最小の労力で最速を」こんな感じだった。
「山上、これどうしてここに置いてあんの?」
「え?だって、これをここにおけば、扉を開ける回数が一回減るじゃないっスか。往復が一回減るじゃないスか。移動の距離が短くなるじゃないっスか。」
「ふむふむ、なるほど。(論破)」
これだった。まさに「生産性の鬼」だった。
「松本さんは、なんでそんなに仕事早いの?元々から?」
「あ、いや、最初仕事遅くて、早くしろって怒られたんですよ。」
確かにこう、動き自体を観察すると、それは無駄なく、スピーディーで、ムラのない、社員研修の時のお手本のような動きだった。おそらく教えられたことを素直にやり続けてきたんだろう。
いかん、人を見た目で判断してしまうところだった。いつも無言で無表情でツンとしていたミニスカギャルも、実はとても素直で真面目な高校生だった。
そんな事実に気がつくと、何やらこの3人が好きになってきた。どんなことを考えて働いているのか、どんなことに興味があるのか、日々執拗に話しかける中で、徐々に打ち解けていった。彼らも僕の言うことは聞いてくれるようにもなった。
女子高生の松本には、なかなかに苦労したが、僕の「一日一笑い作戦」を根気強く続けていると、次第に心を開いてくれ、気がつけば普通に喋り、普通に笑うようになっていた。
「え、松本さんが、誰かと楽しそうに喋るの初めて見た。」
「あいつ笑うんだなぁ。」
「てか、あんな声だったんだなぁ。」
周りの人間は、これだった。
ふむふむ。こうやれば人の心を開くことってできるんだな。
ふむ。なんかあれだな、「ワンピースのルフィ」的なノリだな。年齢とか能力とか立場とか関係なく、常に人としては対等。あの感じだな。ふむ、なるほど。
簡単なようだが、人の判断に、見た目とか、立場を考慮しないって、結構難しいものだ。少し油断すると、すぐに「変な決めつけ」みたいな言葉が浮かんでくるもんだ。
ほう。これはこいつらに何かを教えるつもりが、逆に学ばせていただいているではないか。ありがたい。(合掌)
これだった。
「さて、わたくしは海老でも食いますか」
11月の終わり、案の定僕の移動が決まった。行き先は「三重県」。三重県は中学の時、大会で訪れて以来だった。
最後、特に仲の良かった調理場の3人と送別会とは別に、焼肉を食べにいった。
ロックバンドの「DAIGO」のような格好をした30歳のフリーターと、髪ボサボサ、気だるそうな顔をして、パーカーを羽織った男子大学生。ミニスカでケバめのメイクで、髪も巻き巻きでバッチリ決めた女子高生。そこにスーツを着た凡人サラリーマン。
周りから見たら、「あれはなんの集まりですか?」感満載で、肉を食べたのは、いい思い出である。
約4ヶ月の短い期間ではあったが、店のスタッフとも仲良くなれた。異動の際は、わかっていたことではあるが、主婦さんや、学生に大変寂しがられた。チーフの主婦さんも、「これから私一人でやっていけるかしら。」そんなふうに不安を見せていた。
「いや、僕が来るまで一人だったじゃありませんか。」
「ま、確かにね!笑」(そこは否定せんのかい)
これだった。
そんなところで、僕は香川県を後にし、車で、来た時とは別の、三重県の方に伸びる、なんとか橋を渡って行った。(いい加減、橋の名前くらい調べい)
つづく
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