「“タルタロス”の進撃とスピシュスケー・ポドフラディエにそびえる天空の城」世界遺産の語り部Cafe #3
本日は、スロバキア 🇸🇰の世界遺産【レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財】についてお話していきます。
東欧最大級の巨城
東欧最大級の【スピシュスキー城】は、スロバキアの首都「ブラチスラヴァ」から400キロほど離れた、レヴォチャ郡スピシュスケー・ポドフラディエに立つ名城です🏰
1780年に発生した火災でスピシュスキー城は廃城となりますが、元々は13世紀初頭に「タタール人」の襲来に備え、防衛戦として築城された城でした。
タタール人の脅威
タタール人とはモンゴル民族の一派で、これはトゥルク語で‘’他の人々‘’を意味するヨーロッパ側の呼称であり、東方では“蒙古(もうこ)”や‘’韃靼(だったん)‘’などと呼ばれていました。
当時のヨーロッパ人たちは、東アジアから遥か西方の東ヨーロッパまで到達したタタール人の脅威に曝されていました。
ヨーロッパ人たちは、怒涛の勢いで迫り来る彼らを、ギリシャ神話における奈落の神「タルタロス」に例えて‘’タルタル人‘’と呼びました。
タタール人に由来する料理とは?
タタール人による西方遠征の名残は、意外なところでヨーロッパの伝統料理に残されています。
熱をかけて加工せず、薬味と卵黄を添えて生肉のまま提供される「タルタルステーキ」はその一つです。
「騎馬民族」であるタタール人は、馬を乗用としてだけではなく、長い遠征の際に食用として馬肉を調理していました。
乗用の馬肉は硬くて食べにくいため、潰して細かくみじん切りにした料理が、ヨーロッパでは牛肉で代用した「タルタルステーキ」として伝わりました。
タルタルステーキを焼いた料理は、それが誕生した地名であるドイツ🇩🇪のハンブルクにちなみ「ハンバーグ」と呼ばれます。
さらに「タルタルソース」の名称は、みじん切りにする調理法がタルタルステーキの作り方と似ていることから名付けられており、タタール人が残したインパクトは我々にとって身近なところにも影響を与えているんですね。
『天空の城ラピュタ』のモデル
『天空の城ラピュタ』のモデルにもなったスピシュスキー城には、ロンドンでの留学時代に出会った友人がこの地域の出身だった縁もあって、私も訪れたことがあります。
中世の面影を残す、スピシュスケー・ポドフラディエの牧歌的な街並みからは、かつての差し迫られた状況はとても想像出来ませんでした。
首都ブラチスラヴァから友人の地元ポプラト(スピシュスケー・ポドフラディエの隣町)まで向かうドライブの途中、のどかに広がる片田舎の風景を眺めながら、まるで自分の故郷に戻ったような感覚に陥ったのを覚えています。
車内にはTRAINの楽曲『Hey, Soul Sister』が流れる中、世界遺産の古城について誇らしげに語る友人の姿を、あれから数年が経った今でもよく思い出します。
【レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財:1993年登録:文化遺産《登録基準(4)》】
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