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目標があるからダメになる。必要なのは〇〇。

しゅんしゅしゅんです。

会社組織において上からおりてくる目標には意味がないらしい。

営業であればイメージしやすいと思うが、全社的な売上目標が部分に分割され、各部署に割り当てられ、個人にまで落とされるやつのこと。

なんで会社はこのように目標設定をするのか。

1、目標を通して全員の仕事を連携させることによって業績を促進できるから。

2、達成率を追跡することで、進捗状況に関するデータが得られるから。

3、目標達成度をもとに業績を評価できるから。

でも、このように上から課される目標がいい影響をおよぼすことはない。

まず目標は業績促進にはならない。業績がいい人は早々に目標を達成し、次年度にむけて力を温存する。つまり目標が頑張りの上限を決める天井の働きをする。

面白い話がある。
雨がふった日はなぜタクシーがつかまえられなくなるのか。それは雨がふると需要が急増するから、ではない。

需要が急増して目標を達成した運転手が早々に店じまいし家に帰って次の日のための体を休めるから、だ。

では、業績不振の人にとっては力を発揮するのではないか?それも否だ。目標はプレッシャーとなり、未達は恐怖となり、最悪の場合は不適切な方法に走る。

ノルマにおびえた営業の不正営業や悪徳営業のニュースは、よくある。

また目標へと至る道は直線的ではないから目標達成率だけで進捗を測ることにも大した意味はない。そして、各従業員の目標難易度を平準化することは現実的には不可能だから、相対的な業績を客観的に判断することも不可能だ。

ここで間違ってはならないのは、目標をたてること自体が悪ではないということ。上からおりてくる目標は本来の目的を果たすことはなく、むしろ悪になるということだ。

では、何が大切なのか。

王道のKPIだとか最近流行りのOKRだとか、そんなことはどうでもいい。上から降りてくる時点で同様に意味がないのだ。

目標が力を発揮する唯一の条件は、自発的に設定したかどうかだということ。

つまり社内の意思統一を図るためには、上から分割された目標をおとすことではなく、「意味」を落としこむことだ。この会社の使命は何なのか、そしてどの山を目指しているのか。この会社の存在意義は何であって、どんな行動を称え、どんな行動を許さないのか。

リーダーによって意味を吹き込まれたチームは、一人ひとりのメンバーが賢明でやる気に満ちあふれ、その意味を表明するような目標を自発的に立てることができる。

なんてことがこの本に書かれています。


仕事に関して盲目的に信じられている9つの嘘について書かれている本なのですが、3つ目の嘘として、組織の意思統一のために必要なのは、決められた目標ではなく意味からうまれる自発的な目標だといっています。

んまあ、そうだよな。そうだと思う。

しかし、この嘘を嘘だとして、やっていくのはとてつもなく難しい。

なぜならば、意味を吹き込むことは難しい。そして吹き込めているかどうかは測りにくい。そんな中で、従業員の自発的な目標策定を信じることは難しい。

会社は説明責任がある。係長から課長へ。課長から部長へ。部長から本部長へ。本部長から役員へ。役員から社長へ。社長から株主へ。会社は説明責任でなりたっている。うるさい上をだまらせるためには事業計画を達成するための目標がいる。

目標に落とし込んで管理もしていないのに、目標が未達成だった時に、何をどう説明すればいいのか。目標に対する進捗を聞かれた時に、目標がないと何を答えればいいのか。部下と面談する時に目標達成率がないと何を基準に褒めるのか、叱咤すればいいのか。

目標設定することほど楽なことはない。

それに目標を達成してなお、部の目標を達成するために頑張り続ける人はたしかに存在する。部の目標のためではなく、自分のために、顧客のために頑張り続ける人はたしかに存在する。ノルマによってあがき続ける力学が働くことだって真実ではある。

それに意味づけされた個人だといって、上から課されたノルマ的な目標なく頑張り続けることは本当にできるか。いくら意味づけされていても炎が燃え上がらない日が続くことだってある。

「やりたい」と「やらなきゃ」。

「やりたい」だけでは足りないし、「やらなきゃ」だけでは潰れてしまう。

「やりたい」と「やらなきゃ」の両輪でマネージすることが大切なのではないかと思う。

「やりたい」が究極までたかまった個人は「やらなきゃ」を超越することは想像できるし、それが理想だとは思う。

しかし、この嘘だけは、その理想までのハードルは高い。「やりたい」を高め続けるために「意味」を繰り返し繰り返しインストールし続けることは前提で、「やらなきゃ」のマネージで補完するのが現実路線だと思わざる負えない。

パーパスマネジメントであったり、カルチャーモデルなんてことが組織マネジメントではもてはやされてきている。世界はパーパスやカルチャーに重心を移しつつあるが、絶妙にバランスをとりながら重心を移すためにはどうするかが論点になる気がする。

いや、そんなバランサー的な考えだから、嘘から逃れられないのだろうか。

9つの嘘のうち、この嘘は、なんて強い嘘なのか。パーパスとかカルチャーってことを考える度に思う。

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