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元不登校の反省日記 #1 すべてのはじまり

「あの日々に足りなかったものを補うために今を生きている」
そう思い続けて4年もたった。
何かに取りつかれているような、何かに追い詰められているような毎日が僕を焦らせる。
もう考えなくていいじゃないか、いやむしろ考えない方が楽じゃないかそう思うときも増えてきた。でも“奴”はそんな簡単なものじゃないのである…

今、僕は大学生だ。大学生と言っても世の中がコロナで騒ぎだして入学式もないまま学生になり、入試以来ろくにキャンパスにさえ行ったことのない偽大学生だ。そんな僕が唯一大学生として生きていられるのがオンライン授業なのだが、恥ずかしながら正直集中できていない。
こういう話は珍しくないのであるが、僕の集中できない理由は皆と違っている。
どう違うのか?話を聞いてほしい。いや読んでほしい。

僕が授業に集中できない理由を一言でいう。
「頭の中が中学生の時のことでいっぱいだから」
この言葉に共感してくれる人は多くないだろう。しかし、僕にとっては人生そのものといっていいほどこの事しか頭にないのだ。では一体何が中学生の時にあったのか。ことの発端から話を始めよう。

それは僕が中学2年生に進級した5年前の春である。1年生がとても楽しかった僕は2年生もいい一年すると意気込み、委員会決めでは代議員(学級委員のようなもの)になった。そんな普通の中学2年生の毎日が始まろうとしていた3日目の朝だった。

いつものように7時30分に目覚ましが鳴り、この世で一番嫌な音が鳴り響くベッドの上で僕は目が覚めた。朝は昔から嫌いだ。リビングに向かうとテレビからは、寝ぼけた僕に向かって綺麗なアナウンサーが元気いっぱいに挨拶してくるし、窓の外は1分でさえ惜しむ人間たちで慌ただしくなり、その向こうにはそれらを映し出しているかのように力強く太陽が登っていく。そんな朝はテンションの低い僕にとって、しんどい以外他ならないのだがこの日は少し違っていた。
いつものように辛い朝なのだが、その辛いものに重いものが加わった感じ?何というかいまだにそのことは言葉にできないのだが、少なかなずともいつものように気合を入れて1日をスタートできる気がしなかった。そんな状態でベッドに横になっていると学校に行く時間が迫ってくる。
学校に行く準備をしなくては…しかし体が全く動こうとしない。なんの決断もできないまま時間が過ぎていたその時、自分の部屋に母がやってきた。

「あんた早く起きーや!学校間に合わへんで!」

わかってる。わかってるけどわからない。その時の感情はどっちとも付かない複雑でかつ緊迫した状況。「どうしよう、どうしよう」焦りに焦った。そうして僕が振り絞って母に返した言葉は

「なんか…しんどいわ…」

この言葉からすべてがはじまる。“なんかしんどい”何の説明もできていないこの言葉だが、僕から発せられる最大限の表現だった。この言葉を聞き母は

母「なに?お腹痛いん?熱?どうしたん?」
僕「いや、んー違う、というか分からん」
母「えっ?ほなどうすんの、学校休むん?」
僕「…(無言)」

そうして母はリビングに戻って行った。もはやここまで来るとなにをしているのかも分からない状況。体調が悪いと言っておいて学校を休む選択を望まない。自分は何がしたいのか。頭の中が真っ白になる。そうして部屋にこもっていると、外から聞き覚えのある騒がしい声が聞こえてきた。みんなが登校し始めたのである。この時点で服も着替えていない状態。気づけば時間は着席のチャイム10分前。これから急いで支度をしてもいつも通りの時間に学校に行くことは不可能になっていた。するとリビングからいつもより高い母の声がする。この声は母が電話している時の声。内容をよく耳を澄まして聞くと
「2年5組の〇〇の母です。いつもお世話になっております」
学校に電話しているのがわかる。
「今朝から体調が悪そうなので欠席します」
ここで初めて今日1日学校を休むことが決まった。自分で言ったわけでもなく、直接母に休みなさいと言われたわけでもない。ただただ時間が過ぎ、その時が来ただけという様である。

「俺、学校休むのか…」
「いやいや、なんやそれ、自分でしんどいって言ったんやろ。なにを考えてんねん」

こんなことが頭の中で繰り返される。なにが今の自分にとって正しい判断なのか。そもそも自分は何でこんなことになっているのか、理解できなかったし理解できるはずがなかった。なぜならそのことは5年経った今でも明確なことは分からないままだからである。

この日から長いトンネルであり大きな壁である不登校の生活が始まり、卒業する日まで1回もクラスに戻らないことになるのだが、この時誰もそんなことは想像もしていないのである。

つづく…

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