石川裕二(編集者・ライター)

フリーランスの編集者・ライターです。新聞・雑誌・書籍・広告・ウェブなど、「編集・執筆事…

石川裕二(編集者・ライター)

フリーランスの編集者・ライターです。新聞・雑誌・書籍・広告・ウェブなど、「編集・執筆事務所 編まれた糸をほどいて」という屋号でいろいろやっています。この仕事を始めて16年になりました。

最近の記事

幸せの根源にある「他人と比べないこと」

毎日が幸せ、みたいに感じている人って、少ないのではないでしょうか。大体みんな、仕事や家庭の悩みを抱えていて、しんどいと思いながら生きているのだと思います。 そんな日常のなかにも、おいしいものを食べたとか、好きなテレビ番組を見たとか、好きな漫画の新刊が発売されたとか、好きなミュージシャンの新譜が発売されたとか、楽しみなことがぽつぽつとある。 そんな小さな、過ぎ去っていく日々にこそ、幸福は宿るのだと思います。 だから、人を羨んだりしても仕方がないと思うのです。もちろん、羨む

    • フリーの編集者・ライターになって10年が経った

      「会社に残って自社メディアに集中するか、自分のメディアで独立するか選びなよ」 ーー10年前に勤めていた、とある小さな出版社の代表から言われた言葉だ。当時、僕は自分のウェブメディアを立ち上げようとし、いくつかの取材を終えていた。選択を迫られたときに頭をよぎったのは、「取材をお蔵入りにさせることはあってはならない」という同代表の言葉だった。 東日本大震災が起きてから、初めて出勤した3月中旬の朝の決断。息子がようやく1歳になろうというタイミングだったが、僕は、2011年の5月1

      • 母の卒業アルバムに載っていた、名もなき詩の作者を探している

        「情は春の如く温かく 思いは秋の如く清くありたい」 ——70代の母の、高校の卒業アルバムに載っていた名もなき詩だ。 近年、母は物忘れがひどくなった。数分前に話したやりとりを1日に何度もする。それでも、特定の出来事はよく覚えている。毎日のように口にするのが、高校卒業後、大手デパートの呉服売り場に就職したことだ。 「●●さん(母の旧姓)はやればできるから」と担任教諭に勧められて面接を受けたところ、見事採用。祖母は鼻をふくらませてよろこんだと、うれしそうに話す。 そんな時、

        • 容赦なく訪れる朝に救われた

          写真は、1年ほど前のロン毛だった自分だ。プロレスラーかヘビメタバンドかってくらいに伸びたのだけれど、今は坊主にしている。髪を洗うのがラクチンでいい。 少し前、仕事で小説を書くことになった。人生で初めてのことだった。見本誌が届いたときは、自分たちのつくった雑誌が初めてコンビニに並んでいるのを見たときと同じくらいに感動した。 そこからの流れでシナリオの仕事をいただいたり、いろんな本や広告の仕事もやらせていただいて、印象的なのは、自分の提案した企画がコンテンツとして、しっかりバ

        幸せの根源にある「他人と比べないこと」

          書きたくもない文章に救われたライターの話

          この1年の間に、書くべきことが何もなかったとは思わない。 ただ、結果として、仕事ではないプライベートな文章を書くことはなかった。言い換えれば、堕落した現状を見つめて言語化しようとしなかった。書きたいことがなくなってしまうのを何よりも恐れていたのに、いつの間にか、現実を直視することのほうが怖くなってしまっていた。 ◆ ずいぶんと太った。恐ろしくて体重計には乗れていないが、2年前に履いていたユニクロのデニムはチャックが上がらない。鏡を見れば、サッカーボールのような丸い顔の男

          書きたくもない文章に救われたライターの話

          好きな音楽を広められない編集者の無力感

          あまのじゃくなのか、自分のいいと思ったものが相応の評価をされていないと、すぐに「おかしいよなあ」と思ってしまいます。こんな出だしで紹介するのも失礼なんですが、昨日、BAROQUE(バロック)というビジュアル系バンドのライブを観るために、渋谷にあるオー・イーストまで行ってきました。約1300人を収容可能なライブハウスです。ビジュアル系と言っても、漆黒の衣装をまとって血糊を塗りたくり、月夜の下で「愛してるよ」と言いつつ恋人の眼球をくり抜くような曲のバンドではありません(そんなバン

          好きな音楽を広められない編集者の無力感

          世界が困らなくても僕はさびしい

          夏は弔いの季節なのだ、と誰かが言っていた。6年前の8月に旅立ってしまった、一人の女性を思い出す。 まりさんと出会ったのは、彼女の誕生日だった。僕がまだ大学2年生の頃のことだ。彼女は、僕が当時付き合っていた女の子と仲が良くて、飯田橋にあるカナルカフェで一緒にお祝いをした。 「ごめんね、入稿がおしちゃって」 予定の時間に40分ほど遅れてきたエディトリアルデザイナーの彼女は、口を開くなりそう言った。「入稿」という言葉と、高級そうな黒い服に身を包んだ彼女に、出版業界に憧れていた

          世界が困らなくても僕はさびしい

          徒花上等

          生きていて何が悲しいかって、それは思い通りにならないことではないでしょうか。おもちゃ売り場でぎゃんぎゃん泣く幼児や小学生を見ていると、そんなことを思います。 32年しか生きていない私が知ったようなことを言うのもなんですが、人生というものは、思い通りにならないことのほうが多いです。では、人生とは悲しいものなのか。まあ、間違っていないのではないでしょうか。私たちは、悲しみの中を生きている。 生きていれば、親しい人はどんどん死んでいきます。自分の身体だって、自由よりも不自由ばか

          書きたいことがなくなってしまったライターの話

          久々にプライベートな文章を書いた。 編集者・ライターという仕事柄、日常的に記事を書いたり校正したりしているが、プライベートで何かを書くことなんて、とんとなかった。版元にいたときは週に2・3回はブログを書いていたが、独立してからは週に1度になり、月に1度になり、数ヵ月に一度となり……と、なし崩しに減っていった。 最後に書いたプライベートな文章は、昨年の9月。岩手・北海道へ4泊5日のひとり旅をしたとき、電車での移動時間が長く退屈だったので、ノートパソコンで旅の日記をつけていた

          書きたいことがなくなってしまったライターの話

          32歳のうつ病フリー編集者が8ヵ月ぶりに髪を切った話

          昨日、8ヵ月ぶりに髪を切った。1年ほど前にうつ病になってからというもの、外出するのが億劫になってしまっていたのだ。もともと長めだった髪はさらに伸び、昔のキムタクばりのロン毛になっていた。「ここまで伸びたら、逆に切らないのもありですよね〜」なんて美容師さんが言ってきて、まあ確かにシャレオツなクリエイター業っぽい雰囲気かも!?!?!?と思ったが、さっぱりしたかったので予約通りにカットとパーマをお願いした。 不思議なもので、髪を切ると憑き物が落ちたように心が晴れた。で、楽しくなっ

          32歳のうつ病フリー編集者が8ヵ月ぶりに髪を切った話