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書きたくもない文章に救われたライターの話

この1年の間に、書くべきことが何もなかったとは思わない。

ただ、結果として、仕事ではないプライベートな文章を書くことはなかった。言い換えれば、堕落した現状を見つめて言語化しようとしなかった。書きたいことがなくなってしまうのを何よりも恐れていたのに、いつの間にか、現実を直視することのほうが怖くなってしまっていた。

ずいぶんと太った。恐ろしくて体重計には乗れていないが、2年前に履いていたユニクロのデニムはチャックが上がらない。鏡を見れば、サッカーボールのような丸い顔の男が冴えない顔で見つめ返してくる。

これは、不眠の影響が大きい。処方された薬を飲んでも、朝まで眠れない日が次第に増えていった。これがなかなか厄介で、布団の中で余計なことばかりを考えてしまう。「いつ眠りにつけるかわからない」というのは、自分の体をコントロールできていないということでもあり、己の身に起きている異常事態に気付いて恐ろしくなる。

不安を拭い去るように酒を飲む。すると、つまみが欲しくなる。酔うと、すっかり楽しい気持ちになれる。しかも、眠気までやってくる。何百もの真夜中が、いたずらすぎるほど自堕落に過ぎ去っていった。

2年半前の初診時に、医師から「うつ病は治療をすれば確実によくなる。ただ、よくなったり、悪くなったりして、少しずつコンディションが上がっていく。途中には踊り場もあります」と説明されたことを思い出す。

いま、自分は、長い踊り場にいるのだ。きっと。病院に通い始めた前後の、体が鉛のように動かず、何があったわけでもないのに涙がツーツーと流れるような状態は脱した。それでも、重い倦怠感で半日を棒に振るような日は未だにある。医師曰く、倦怠感は、うつ病の症状のなかでも最後まで残りやすいらしい。

自己嫌悪の毎日で、自分を支え続けてきてくれたのが仕事だ。これだけは声を大にして言えるが、病気になってからも、仕事だけは変わらずにやってきた。社会人になってからの10年間、プライベートの至らなさを言い訳するかのように仕事ばかりしてきたし、自分の人生において自己肯定感を与えてくれたのは、仕事だけだった。

仕事さえすれば、たとえ歯磨きせずに寝てしまっても、寝坊して燃えるゴミを出せなくても、子どもと遊んでやれなくても、自己評価では最低限の人間らしさを保てる。自分の存在価値を感じられる。

「好きなことで生きていく」というユーチューバーのキャッチコピーには賛否両論あるようだが、自分は大学時代に好きになった執筆や編集を生業にして、本当によかった。

人に依頼され、文章を書く機会を授かる。それが、たとえ特別書きたいものでなくとも、生きるための金を稼げて、おまけに感想までもらえる。なんて、ありがたいことなんだろう。他者によって生かされているのだという事実が、この身に突き刺さる。

書くことが趣味だったら、長い間、何も書けずにいる日々は、どれほどつらいことだったろう。もしかしたら、生きていけなかったかもしれない。

恥の切り売りしかできないが、自分のできることを以って、少しずつでも社会に還元していきたい。そう思うと、久しぶりに筆が進んだ。

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