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フリーの編集者・ライターになって10年が経った

「会社に残って自社メディアに集中するか、自分のメディアで独立するか選びなよ」

ーー10年前に勤めていた、とある小さな出版社の代表から言われた言葉だ。当時、僕は自分のウェブメディアを立ち上げようとし、いくつかの取材を終えていた。選択を迫られたときに頭をよぎったのは、「取材をお蔵入りにさせることはあってはならない」という同代表の言葉だった。

東日本大震災が起きてから、初めて出勤した3月中旬の朝の決断。息子がようやく1歳になろうというタイミングだったが、僕は、2011年の5月1日から、思いがけず、フリーランスの編集者・ライターとして生きることになった。

今日に至るまでに、人生の酸いも甘いも味わった。

それでも、この道を選んだことに後悔はない。制作を通じて、さまざまな出会いがあった。日本各地へ足を運んだ。仕事の対価としてギャラをもらい、これまで生きてこられたことに感謝している。

夜、コンビニで酒とおつまみを買った帰り道、月を見上げながら「ああ、生かしてもらっているなぁ」とクライアントの顔が思い浮かんだものだ。こんなご時世でなければ、会って、直接、お礼を言いたい人が何人かいる。

僕は、何かを求めてフリーランスになったわけではない。10年を区切りに会社勤めに戻るのもいいかもしれないとさえ思っている。

それでも、やはり、自分のメディア・独自の記事をつくっていくことに関しては諦めが悪い。自分がすべきことが何か残っているように思えてしまうのだ。他人からすれば見切りのついた人生かもしれないが、まだ、自分だけにしかつくれないものがあるかもしれない、と。

ただ、いかんせん足が重い。僕はいつから、こんなにも臆病になってしまったのだろうか。どうしても、5年前に発症したうつ病の影がチラつく。

この5年間は、坂を転げ落ちるかのような人生を送っているというのが本音であり、僕の偽ることのない窮状だ。

そこで「心機一転、名前でも変えようか」と、思い立ったのが数日前。父の営んでいた「石川工務店」をもじった「石川編集工務店」という屋号を、「編集・執筆事務所 編まれた糸をほどいて」に改めることにした。

「編まれた糸をほどいて」は、僕のポートフォリオのタイトルとして以前考えたもので、編み込まれた既存の価値観から、物事を解放したいという気概を込めている。

友人に屋号を変更することを相談したところ、「長いから、『ほぼ日』(ほぼ日刊イトイ新聞)みたいな略称があったほうがいいんじゃない?」とアドバイスを受けた。まんまではあるが、「あま糸」にすることにした。新しいスタートだ。

というわけで、長々と書いたが、独立して10年が経った。学生時代、できないことだらけでコンプレックスの塊だった自分が、こうして、10年にわたってフリーの編集者・ライターとして生きてこられたことを祝福したい。

社会とのつながりと人々との出会い、そして、ささやかな自己肯定感を与えてくれる、この仕事を愛している。


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