徒花上等

生きていて何が悲しいかって、それは思い通りにならないことではないでしょうか。おもちゃ売り場でぎゃんぎゃん泣く幼児や小学生を見ていると、そんなことを思います。

32年しか生きていない私が知ったようなことを言うのもなんですが、人生というものは、思い通りにならないことのほうが多いです。では、人生とは悲しいものなのか。まあ、間違っていないのではないでしょうか。私たちは、悲しみの中を生きている。

生きていれば、親しい人はどんどん死んでいきます。自分の身体だって、自由よりも不自由ばかりが増えていく。しかし、一方で、心というものはだんだんと自由になっていきます。

私が思うに、人間というものは、ある日を境に、心に、恥をまとっていく。それがサビとなり、心の重荷になるものの、日々の中で、さまざまな感情が心にぶつかり、次第にサビは落ちていく。そうすると、とても身軽な気持ちになれるんですね。修行用の道着を脱いだ、『ドラゴンボール』の孫悟空のようなものです。

先日、とある人に「ゴエさんは限界オタクだからな」と言われました。“限界集落”よろしく、「このままではダメになるギリギリ」のオタクなんだそうです。何の話をしていたのかは忘れてしまいましたが、不思議と、しっくりくるものがありました。

1984年生まれの私が中学生の頃、空前のビジュアル系ブームでして、「L’Arc〜en〜Ciel(ラルクアンシエル)」「GLAY(グレイ)」を筆頭に、「黒夢(くろゆめ)」「LUNA SEA(ルナシー)」「SHAZNA(シャズナ)」「SOPHIA(ソフィア)」「FANATIC◇CRISIS(ファナティッククライシス)」「La’cryma Christi(ラクリマクリスティ)」「MALICE MIZER(マリスミゼル)」「Janne Da Arc(ジャンヌダルク)」など、それはもう、たくさんのビジュアル系バンドがオリコンランキングを賑わせていました。

ブームが落ち着き、周りが「やっぱり『Dragon Ash』だよな!」「『ORANGE RANGE』サイコー!」と言っているなか、私は、その後もいろいろなビジュアル系バンドを聴き続けまして、パッと思いつくだけでも「CASCADE(カスケード)」「Cali gari(カリガリ)」「wyse(ワイズ)」「TAKUI(タクイ)」「deadman(デッドマン)」「Raphael(ラファエル)」「baroque(バロック)」「JILS(ジルス)」「Waive(ウェイブ)」「Due’l quartz(デュールクォーツ)」などの音源を聴き漁っていました。

長くなるので、この辺で割愛しますが、時代的には、いわゆるオサレ系や仙台バンドが頭一つ抜けていた時代でした。いま挙げたのは、有名どころですね。時代の徒花となったバンドの、なんと多いことでしょう。MDでのダビング交換が懐かしいです。

しかし、私としては、どことなく恥ずかしさがあって、ビジュアル系バンドが好きということは、あまり公にはしていなかったんですね。非常に失礼な話ではあるんですけれど。以前、「ダウト」というバンドに取材させていただいたときは、「Fatima(ファティマ)だ!」と思った程度には詳しいですし、『Break Out(ブレイクアウト)』というビジュアル系御用達だったテレビ番組のウェブサイト版インタビューに携われたときは、この仕事をしていて本当によかったと思えたほどなのですが。

で、先日、1990年代に人気を誇ったビジュアル系バンド「PIERROT(ピエロ)」と、現在もシーンの最前線で活躍する「DIR EN GREY(ディルアングレイ)」の対バンライブに行き、とある同年代の方と知り合ったんですね。フェスに引っ張りだこの、今を輝く有名バンドのメンバーの一人なのですが、非常にビジュアル系に詳しい方だったので、それはもう、隠していた性癖を初めての風俗でぶちまけるように、ビジュアル系トークを楽しみました。彼との出会いが、私の心のサビを取ってくれたんですね。

何が言いたいのかと言うと、人生には、唐突に光が差し込むことがあります。好意を寄せる異性に出会ったとか、趣味の合う友人ができたとか、ドラクエの新作が発売するとか、宝くじを買ったとか、生きることが楽しみになる何かです。“期待”とか“希望”とか、まあ、呼び方はなんでもいいんですけれど。

私自身、大して人生に悲観してはいませんけれど、世の中には「こんな人生……」と思っている人も少なくありません。もしかしたら、「まさか、そんな人がいるだなんて」と感じる人もいるでしょう。いるんです。新聞記者時代に、嫌というほど見てきました。私たちは、間違いなく、悲しみの中を生きている。

だからこそ、自分が、誰かにとっての希望になりたいと感じます。大げさなものではなくて、「あ、ゴエも今日飲み会来るんだ」とか「あの人の新しい企画、楽しみだな」とか、そういう、道端に咲く花のような存在でいいんです。徒花でも、誰かにとっての花になれるのなら、それは、紛れもない幸せだと思います。

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